江國滋さんの観戦記(2)

[第3譜]

構想の練り合い

「東京地方に大雨強風注意報発令」と報じられるカーラジオの耳を傾けながら、小田急新宿駅に向っているときには、決戦にふさわしい空模様だ、と思った。

初登場の挑戦者がいきなり三連勝、あわやというところで踏みとどまった名人が二連勝―波乱の展開で迎えた第六局である。日本シリーズで西鉄がやってのけたような「三連敗後の四連勝」という記録は、名人戦にはない。その快挙を名人がなしとげる可能性と、史上最年少名人が誕生する可能性と、確率だけでいえば後者のほうが高い。当然のことながら、挑戦者の一挙手一投足にマスコミの目が集中して、学芸部よりもむしろ社会部に属すかと思われるような熱っぽい名人戦になった。

文字どおり風雲急を告げる「大雨強風注意報」だったが、箱根に着いて、一夜明けたら快晴だった。

(中略)

しんとした対局室に正立会・加藤博二八段の、低いがどすのきいた声が流れたあとは、沈黙がいっさいを支配した。

二日制の大勝負の場合、第一日の午前中と、午後もおやつの時間ぐらいまでは、緊張の中にもまだ和気の名残りが漂っていて、対局者同士が直接口をきくことはないにしても、盤側の第三者を相手に、何か言葉が出たりするものだが、この二人はちがった。加藤も谷川も、徹底的に寡黙の人である。

無言の行が果てしもなく続くなかで、序盤から中盤に駒組みだけが着実に進行していった。

(以下略)

[第4譜]

封じ手の心理学

ゆっくりと日が傾き、衰弱した陽光がゴルフ・コースのグリーンの起伏をよわよわしく照らしている。指しかけの時間が近づいてきた。

指しかけの時間というのは、昼食休憩の時間とは性質が全然ちがう。午後五時半になったときの手番の中原が六時半ごろまで封じ手を考えていたことがあったと記憶する。

一夜最高の機密文書となる封じ手を「権利」だと思えば行使すればいいし、逆に「義務」だと思えば回避すればいい。だれが考えてもその一手しかないというような見え見えの手で封じるのは意味がない。損得でいえば、なるべく迷うような局面で相手を封じさせるほうがトクかもしれない。

局面の状況判断に加えて、心理的なかけひきという要素も当然働くにちがいない。二日制の対局に不慣れな棋士が、封じ手で神経をすりへらすという話も、そのへんの機微を物語っている。戦いに心理作戦はつきものではあるけれど、だからといって、封じ手番というボールを時間ぎりぎりになって相手にひょいとトスするのでは、一応失礼とされている。一応であるから、してはいけないということではない。かつて大内八段が、五時二十五分に一手を指して封じ手番をゆずったので、あの温厚な中原名人が「カッとなって」五時二十七分に自分の手を指して大内八段に封じさせたという話も聞いたおぼえがある。

それにもう一つ、封じ手が好きか嫌いかということもあるようだ。十局戦った去年の名人戦では、中原が九局、加藤は一局しか封じていなかった。今季も、それまでの五局のうち4局までは谷川が封じている。

今度もかな、と思ったら、案に相違して加藤が封じた。

(つづく)

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1983年当時は、タイトル戦一日目の午後三時くらいまでは雑談が普通に行われていたようだ。

この観戦記は、1譜と2譜で終局後の描写、3譜と4譜で1日目の模様、5譜から12譜までが2日目という譜割りになる。

谷川八段のひねり飛車に加藤名人が素直に定跡形で応じ、その後の駒組みは、それはそれで一つの形、という展開の1日目であったので、3譜と4譜では棋譜については触れられていない。