江國滋さんの観戦記(3)

[第5譜]

童顔よみがえる

二日目。新緑の向こうに雪をいただいた富士山が、くっきりと顔をのぞかせている。薄曇りのせいか、芦ノ湖の色が、きのうよりも濃い。

(中略)

時計をにらんでいた記録係の飯田四段が、きっぱりとした声で告げた。

「加藤先生四時間つかいました」

「はいっ」

お行儀のいい返事といっしょに、ルーム・キイのアクリル棒をわしづかみにして、名人は、さっと対局室を出ていった。

とたんに、めずらしく―ほんとうにめずらしく谷川八段のほうから話かけてきた。

「ゆうべ、あれからおそくなったんですか?」

夕食後、軽く遊んだマージャンの話である。谷川八段も半チャン一回だけ加わって、あとは早々と自室に引き上げた。ニキビの口元をほころばせて、いかにもたのしげだった昨夜の童顔が、雑談のあいだによみがえった。マージャンの話、ゴルフの話、ボウリングの話、食べ物の話…。

名人はまだ戻らない。

[第6譜]

関取とお子様ランチ

局面が本格的に動きだしたのは、昼食休憩のすぐあとである。

【二日目昼食メニュー】

挑戦者(谷川八段)=うなぎ定食。例によって、みんなと同じ選択である。

名人(加藤一二三名人)=オムライスとアイスクリームとイチゴ。なんだかお子さまランチである。

うなぎの6五歩、オムライスの同歩―いよいよ戦端が開かれた。

(中略)

まだ日は高い。もう終盤の寄せ合いがはじまるのだろうか。おなじみの加古記者が、夕食のオーダーを聞きにきた。

【二日目夕食メニュー】

挑戦者=大盛りざる、精進揚げ、野菜たき合わせ。

名人=コンソメとスパゲッティ・ナポリタン。

関取のようなからだで、やっぱりお子さまランチ。

(つづく)

—–

なんと、今からでは信じられない名人時代の加藤一二三九段の食事だ。

将棋棋士の食事とおやつによると、加藤一二三九段の二日制タイトル戦での食事は、

1980年十段戦

天ぷらごはん、うな重主体で、十段位奪取。

1982年名人戦

うな重の連採、天ぷらごはんで、名人奪取。

1983年名人戦

上記以外に、天ぷら定食、天ざる、うな重、カレーライス、ヒレステーキ定食。

1984年王位戦

寿司、テンダーロインステーキのフルコース(二日とも)、ビフテキ、カレーライス、ステーキ(二日目昼・夕とも)で、王位奪取。

どうやら、この観戦記の一局の食事だけが異色だったようだ。