「丸山忠久名人30歳。謎の男」

将棋世界2001年6月号、米長邦雄永世棋聖の第59期名人戦〔丸山忠久名人-谷川浩司九段〕七番勝負第1局観戦記「激辛流の真髄を見た」より。

 21世紀に入っての新年度は名人戦で幕があく。その第1局の観戦記を書けという田丸昇編集長の依頼である。これ程の栄光はない。

 丸山忠久名人に谷川浩司九段が挑戦する今期は、私には全く勝敗の予測がつかない。二人の対戦成績も9対8で丸山リードとの事で互角の戦いだ。

 丸山忠久名人30歳。謎の男。

 この世代というよりも年齢の者は10名ばかり馬鹿強いのがいる。羽生五冠も藤井竜王も含めて、どうしようもなく本当に強い。

 将棋の強さの他はどうか。人間を見比べてみると、お粗末な者から私がひれ伏したくなるような者まで千差万別、ピンからキリまで序列がつく。

 丸山名人の評価は極めて難しく、彼を評論出来るのはごくごく限られた棋士だけだろう。彼の本質を見抜くのは、これまた簡単である。彼を尊敬する、と心に言いきかせれば答えはすぐ出て来る。

 丸山名人は親しまれ、ニコニコ流の平素の言動から、思わず誰もが「丸ちゃん」と呼びたくなってしまう。これは親近感があって良い事なのか、それとも威厳がなくて困る事なのかは分からない。

 激辛流と棋士仲間に言われている程に勝負に辛い。

 腕相撲は棋士の中では五指に入るはずで外見からは到底思いもつかぬ腕力の持ち主である。

 昨年の名人就位式には、マウンテンバイクを所望している。今流行のものと言っては見ても「まさか」とにわかに信じ難い趣味を持っている。

 書も抜群。しかし王義之の系列ではなく、むしろ前衛である。書は、上手下手は別にして必ず本人の心が残される。

 今期の名人戦記念扇子の「潑」の字をじっと見つめれば彼の人格が浮かび上がってくる。

 1本2,000円。さあ買った!

 ここまで理解してくれば、第1局に茶髪にしても、その二日目の昼食にステーキを追加注文しても驚きはしない。

 対する谷川浩司九段39歳。

 19歳八段、21歳名人は天才に価する足跡である。

 丸山名人と比べれば彼ほど分かりやすい人間もまたいない。多分、それは心が素直であり夫婦円満の家庭で育ち、本人が幸せのまま今日に至っているからだろう。

 その昔、米長三冠王に対して当時の谷川浩司名人が棋聖位を取りに来た事があった。

 実力通りに書くとクレームが来るから、まぐれで、と書くが私の3連勝で終わった。この時の私の防衛戦に臨むコメントは次のようになっていた。

「谷川は強い。とても男同士の戦いでは勝てそうもない。今回は女になります」

 このコメントは私の谷川観をズバリ表現していて、しかも20年近く経った現在でも通用するものだ。

 本意は「貴方は強い。しかし欠点もありますね。今期は世の女性の如くに、貴方の方から手を出すのを待ってます」という訳。谷川美学を逆手に取ろうというのである。平易に拙い表現をすればカウンター狙い以外私には勝ち目がありません。結局谷川名人は思った通りに攻めまくり、形勢の良し悪し、実力の強弱とは全く別に3連敗となった。

(以下略)

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「ここまで理解してくれば、第1局に茶髪にしても、その二日目の昼食にステーキを追加注文しても驚きはしない」と言われたって全然理解できないよ、とツッコミを入れたくなるような米長邦雄永世棋聖の愉快なプロローグ。

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丸山忠久名人(当時)は、名人戦第1局の1ヵ月前に美容院で髪の毛を茶色に染めたと同じ号のグラビアには書かれている。名人戦第1局の時の様子が下の写真(after)。

maruyama1

将棋世界2001年6月号掲載の写真の一部。撮影は弦巻勝さん。

髪型と髪の毛の色が変わる直前の頃は下の写真(before)。

maruyama2

将棋世界2001年5月号掲載の写真の一部。撮影は河合邦彦さん。

あまり変わっていないように見えるかもしれないが、髪型・髪の色ともソフトランディング的に変えたのだと考えられる。

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「二日目の昼食にステーキを追加注文」というと、元々頼んでいたステーキだけでは足りなかったので、もう1枚ステーキを追加注文したのだろうと私は思ったのだが、念のために「将棋棋士の食事とおやつ」で調べて見ると、元々の注文が「めはり寿司と伊勢うどん」で、更にステーキを追加注文したということだった。

かなりダイナミックな決断だ。

対局場は三重県鳥羽市の「戸田家」。

めはり寿司は、高菜の浅漬けの葉でくるんだおにぎりで、酢飯が用いられることもあるという。

伊勢うどんは、たまり醤油に鰹節や昆布等の出汁を加えた黒く濃厚なつゆを太麺にからめて食べるものが主流。

この名人戦第1局は、丸山名人が勝っている。