昨日の話の続き。
将棋マガジン1988年12月号、福本和生さんの「第29期王位戦を振り返る」より。
将棋界の七つの公式タイトルを二十代が独占したとき”若手の時代”という声が上がった。ひしめく俊才をみてみると、二十代どころか十代のタイトル保持者も登場しそうな勢いという雰囲気があった。
ところが若手の時代は”一瞬の夏”であった。
田中寅彦新棋聖に続いて、中原誠王座の返り咲き、そして森けいニ新王位の誕生とベテラン陣が三冠を奪回してしまった。若手はふがいないかぎりだが、それにもまして満をじす感のベテランの奮起は見事である。
なかでも今をときめく三冠王の谷川浩司名人から王位をかちとった森の健闘ぶりは賞賛に値する。若手の時代をリードする谷川が敗れたことは、将棋界の新時代が足ぶみしたようなもので、これを機にベテランと若手の対決はさらに激しさをましていくであろう。
王位になった瞬間、カメラの注文で森は笑顔でVサイン。陽気な勝負師の登場で、将棋界はからっと明るくなった。話題の王位戦七番勝負を振り返ってみた。
わたしは有馬温泉「中の坊瑞苑」の第二局と、鶴巻温泉「陣屋」の第七局を観戦した。
二局目を敗れた夜、打ち上げの宴のあとで森は「さあ、勝負といこう」と叫んで、マージャンを始めた。浴衣をぬいでパンツ一枚となり、筋を痛めたといって左胸部にでっかいパテックスをベタリとはって、激闘また激闘で翌朝九時過ぎまで徹夜のマージャンであった。
その姿をみながら、わたしは(気合いが入ってるな)と思った。森は何かに憑かれているようだった。
ギャンブルに熱中というのではなく、自分で自分を痛めつけている。陣中見舞いの銘酒の一升びんをかたわらに、森は強気のマージャンで、相手とではなく自分と戦っていた。
棋士というスマートなものではなくて、いかにも将棋指し、といった印象である。
(怖いぞ)と思った。
(中略)
七番勝負が始まる前、森は「からだで覚えた将棋を教えてやる」と豪語したそうだ。じつはこれは豪語ではないのだ。”教えてやる”相手は谷川ではなくて森自身なのだ。背水の陣を決意しての悲壮な森語録というのが、わたしのヨミである。
谷川が二十一歳で史上最年少の名人になったとき、森は対局場の箱根の「ホテル花月園」にいた。名人になるべき選ばれた人であると、周囲で賞賛しているのを聞きながら、森はぶぜんとした表情でこうつぶやいた。
「名人になる男が決まっているのなら、ほかのものは何のために努力を重ねているのか」―。
タイトル戦の場で、その谷川と初対局である。四十二歳の森は一期一会の思いであっただろう。
(以下略)
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パンツ一枚とパテックスでの麻雀。
普通の人のそういう姿ではないので、鬼気迫る迫力があったものと思われる。
銘酒の一升瓶をそばに置いているのが、雰囲気を盛り上げる。
このような姿が絵になるのも、森けいニ九段の勝負師らしい個性によるものだ。
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この当時のタイトル保持者と年齢は次の通り。
谷川浩司名人・棋王 (26)
高橋道雄十段 (28)
田中寅彦棋聖 (31)
森けいニ王位 (42)
中原誠王座 (41)
南芳一王将 (25)
加重平均年齢は31.3歳。
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現在は、
森内俊之名人 (41)
渡辺明竜王 (28)
羽生善治王位・王座・棋聖 (42)
郷田真隆棋王 (41)
佐藤康光王将 (42)
加重平均年齢は39.4歳。
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1988年は30代以上がベテラン、20代が若手と呼ばれていたことがわかる。
42歳の森けいニ九段のタイトル獲得は、世代を二つ飛び越えた快挙と位置付けられている。
それから24年。
2012年の現在は七タイトルのうち六タイトルが41~42歳。
40代のタイトル保持者が全く珍しくなくなっている。
羽生世代と呼ばれた棋士のすごさが、以前にも増して際立っている時代だ。