将棋世界1998年6月号、行方尚史五段(当時)の連載自戦記「裏街道を行く」より。
今月、連載三回目にして早くも危惧していた事態に見舞われた。解説できる、それなりの内容を持った将棋を一局も指せなかったのだ。
締め切りはとうに過ぎた今日、とりあえず机の前に座ってみても、これから解説する棋譜の中身の薄さを思うと、ペンを持つ手が重たくなってしまう。
ここ一月の雑感、日記のようなものを織り交ぜながら進めさせていただきます。
<3月31日>
バスの中で目を覚まし、カーテンを開けると、朝の光に包まれて桜が鮮やかに咲き誇っていた。僕は息を呑みながら東京に戻ってきたことを実感した。
先月号の原稿を何とか書き上げた後、僕は東京を離れ、約十日間札幌と弘前の実家に戻っていたのだった。
ここ数年、札幌は何度も訪れた。妹が札幌の大学に入ったので、宿の心配をしなくて済んだし、食べ物はおいしく、街も人も東京とは違う。真冬は大変そうだけど。
この春、妹が大学を出るので気楽にフラッと遊びに行ったりするのは出来なくなるかもしれない。四年間はあっという間だった。
感傷に浸るような思い出一つ作れなかったことを少し残念に思いながら、雪降る夜道をただ歩いた。
札幌に五日ほどいた後、実家に戻り故郷ののどかな空気にすっかり呆けて、この日深夜バスで東京に帰ってきたのだった。
バスは隅田川のほとりを走っているようだった。東京の桜を見ると、サニーディ・サービスの「東京」のアルバム・ジャケットを思い出す。
サニーディの中心的人物曽我部君は、バンドの転機になることになった桜ジャケの「東京」について、”桜が咲いて人々が卒業したり入学したりするように自分もそんなふうになれたらいいのにと思って作った”みたいなことを言っていた。
そして僕もそう思った。自分も卒業したり入学したりそんなふうに変われたらいいのになと。バスはまだ車の少ない早朝の街を都心に向かって進んでいった。
先月号の「棋士たちの背景」を読んで一言。山崎君は僕に例えられてはメチャクチャ嫌だろうと思います。佐藤紳哉と並んで棋界きってのジャニーズ系との呼び声高い山崎君と比較されて、僕としては嬉しいけど、違うなっていう感じです。
間違いなく僕よりはモテモテになってしまうであろう山崎君に、どこかで聞いたような大人の心配。悪い女には気を付けなよ。
(以下略)
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この時、行方尚史五段(当時)24歳、佐藤紳哉四段(当時)20歳、山崎隆之四段(当時)17歳。
当時の写真(上の行のリンク)を見ると、三人ともジャニーズ系と言って間違いない。
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飛ぶ鳥落とすジャニーズ事務所。
初めての所属タレントは、1962年のデビューの「ジャニーズ」だった。
真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良、青井輝彦(後のあおい輝彦)の4人グループ。
第二世代はフォーリーブス。
第三世代がたのきんトリオ。
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リアルタイムでは特に何も思わなかったが、今聴くと、とても良い曲だと思うのが、
特に「踊り子」は、作詞:阿久悠、作曲:井上忠夫という夢の組み合わせ。
ベスト・オブ・ベスト/フォーリーブス DQCL-2036 価格:¥ 1,680(税込) 発売日:2010-12-01 |
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札幌は大好きな街だ。
出張だったが、初めて行ったのが1984年の12月。
その後、仕事を中心に30回くらいは行ったと思う。
富良野も一度行っている。
感傷に浸るような思い出はできなかったものの、良い思い出ばかり。
仙台の方言と北海道の方言がやや似ているということもあったのかもしれない。
松尾ジンギスカンは1週間続けて食べてもいいと思ったし、毛ガニなどの食べ物も美味しい。
夕張メロンゼリーを凍らしたものは二日酔いの特効薬にもなった。
東京のオフィスを出た瞬間、目の前がススキノなら最高だと思っていた時期もあった。
行方五段(当時)の札幌四泊五日の旅、飲み歩いていたものと思われるが、とてもうらやましい。