佐藤康光五段(当時)の情熱

将棋世界1990年11月号、滝誠一郎六段(当時)の第31期王位戦(谷川浩司王位-佐藤康光五段)第6局観戦記「佐藤、若さの勝利」より。対局場は神奈川県秦野市の「陣屋」。

 しかし、大勢には影響なかったようで谷川も形を作り、佐藤もきれいな寄せをみせて131手で佐藤が勝ち、3勝3敗のタイとして第7局に持ち込んだ。

 なお、佐藤の残り時間は1分、谷川の方は1時間29分。

 終局は二日目の17時43分であった。

(中略)

 打ち上げの後、谷川、佐藤、先崎でマージャンをやっていたが途中で佐藤は「明日の朝、5時に野球の試合に出なければ……」と、深夜の12時にタクシーで家へ帰った。

 おそらく眠る時間はないだろうと一同あっけにとられていた。

 対局の次の日、午後2時頃、偶然ある研究会を覗くと、なんとそこには佐藤がいるではないか。いつものように平然として将棋を指している姿には驚いてしまった。

 彼は私の顔をみつけると笑みをかえし、改めて佐藤の将棋に対する情熱はすごい!……と実感した。

(以下略)

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この対局は、1990年9月10日(月)~11日(火)に行われた。

この頃、佐藤康光五段(当時)が住んでいたのは多摩市。駅でいうと京王多摩センターか小田急多摩センター。

陣屋がある鶴巻温泉駅から電車で1時間15分。距離にして約45km。

鶴巻温泉から23区内までだと65kmを越してしまうが、多摩市は23区内に比べれば陣屋に近い。

9月12日(水)の午前0時に陣屋からタクシーに乗って、午前1時30分には自宅へ着いているはずだ。

午前2時に眠ったとして・・・

問題は、午前5時から試合が始まる野球場がどこかということになる。

棋士の野球チーム「キングス」がよく試合を行なっていたのが神宮外苑の軟式グラウンド。

最寄り駅は信濃町。

現在の時刻表でいうと、始発(4:57)で京王多摩センターを発ったとしても、信濃町に着くのは6:01。距離にして32km。

電車では間に合わない。

早朝のタクシー(あるいは自家用車)で1時間弱で着くとして、家を出るのは午前3時30分。

寝る時間は、多くて1時間30分だったことになる。

その後は、

5:00~7:00 野球の試合

7:30~8:00 朝食

8:30 将棋連盟着

9:00~研究

という感じになるのだろう。

佐藤康光王将が20歳の頃とはいえ、2~3kgは痩せると言われる二日制のタイトル戦を戦った直後のスケジュール。

なかなかできるものではない。