将棋世界1990年9月号、中村修七段(当時)の「プロのテクニック」より。
さて今回のテーマは、「感想戦」についてです。
自分とは違う、相手の考え方を聞くのは、勝負においては常々大切な事でしょう。建前ばかりで話す人もいますが、うまく質問さえすれば相手の本音が見えてきて面白いですよ。一局が終わったら「さあ次」ではなく感想戦を楽しむ事も上達法の一つと言えると思います。
例題図は▲4五銀とぶつけた局面。
対局者に言わせると、終わっているんだそうです。(一見、これからと思えるが)。
感想戦でも図以下については、ほとんどふれず、仕掛けのあたりを1時間以上も話していました。
郷田-佐藤(康)戦。
先手の3筋交換に対して、後手も中央から動いてきた所です。決戦前の重要な局面と言えるでしょう。最近では感想戦も、終盤より中盤重視の傾向が強くなって来た様です。
1図以下の指し手
▲4六銀△3四銀▲2六角△8五歩▲7七銀△2五銀▲5九角△3六銀▲6八角△4七銀成▲2四歩△同歩▲4五歩△3四歩▲4四歩△同金▲5六金 (2図)
投了の合図と共に一局の将棋が終わる。
緊張から解き放たれ、感想戦は始まる。勝って陽気になる人、負けて怒り出す人、あまりしゃべらない人、感想戦の方が対局より長くなってしまう人など様々である。
(中略)
プロ同士の感想戦の場合、単なる事後処理と言うわけには行かない。次の将棋へのステップとするために、それこそ対局以上の真剣な話し合いとなる事も少なくはないのである。
早速、(先)郷田四段-佐藤(康)五段戦を見てもらいたい。向上心の強い二人であり、ライバル同士と言う事もあって感想戦でも大熱戦となった。
この日は観戦記者なし。二人は気を使う事無くいつものペースで喋り始めた。それを聞いている内に、観戦される方々の苦労が少し分かり同情したい気持ちになった。なぜかと言うと、プロの私でさえ駒の動きを見ながら集中していないと理解できない内容である。
アマチュアの方には難し過ぎる。観戦記者にしても早送りのテープを聞かされている様なものだろう。
二人は読み筋が合うのか、変化を切り上げるのも早い。「自信なかった」「これダメでしょ」といった合言葉でどんどん他の変化に進んでしまうため、ちょっとメモを取りながらよそ見をしているとすぐにわけがわからなくなってしまう。ああ、恥ずかしい。
多岐にわたる変化、ムダなものも多い。
せめて急所の局面だけは性格に観戦記者に伝えたい。でなければ読者に理解してもらえないだろう。
さて、話を戻してこの将棋の急所と言えば1図の仕掛けから2図あたりの局面である。1図で郷田四段は57分の長考の末、▲4六銀と上がった。他に▲5八飛もあるところ。
佐藤「やあしかし、突かなきゃいけないんじゃ誤算でしたね、これは」。
△8五歩と突かずに△2五銀▲4八角△3六銀の予定が▲6五歩(参考1図)と指されて苦しい事に気付き後悔している。
以下△6五同桂▲6六歩△4七銀成▲6五歩△7三銀▲3五桂で先手優勢。
郷田「余計だったですか、単に打った方が良かったか」。
佐藤「え、そうなんですか」
郷田「分かんない、単にこうだったかなあ、読めなかったんですよ」。
△4七銀成に対して▲2四歩の打ち捨てをすべきかどうかの話し合い。佐藤(康)五段の一言には「そんなもの入れるに決まってるでしょう」といったニュアンスが感じられた。難しい局面、読み切れるものではない。
佐藤「△3四歩打って結構指せると思ったんだけど」。
郷田「いや、自信なかったです」。
佐藤「桂跳ねんの」。
郷田「桂跳ねてくるかなあと思った」。
2図で△5七歩と指し▲4五銀(例題図)と進んだのが本譜。以下一方的に先手が勝利をおさめた。
実の所、△5七歩が敗因で最善は△3三桂らしい。
以下攻めるとすれば▲3五歩だが△4五歩▲3四歩△4六歩▲3三歩成△同金▲3九桂(参考2図)に△5七歩ぐらいで大変と言える。
郷田「▲5八飛だったかなあ」。
△3三桂以下の変化に自信が持てず、思わず出た郷田四段の呟き。その一言によって感想戦は1図”振り出し”へと戻って行った。
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対局が終わった直後に、
佐藤「やあしかし、突かなきゃいけないんじゃ誤算でしたね、これは」
その後、初手から並べはじめ、▲2四歩のところで、
郷田「余計だったですか、単に打った方が良かったか」
佐藤「え、そうなんですか」
郷田「分かんない、単にこうだったかなあ、読めなかったんですよ」
と、4五に歩を何度かカラ打ちする。
佐藤「△3四歩打って結構指せると思ったんだけど」
郷田「いや、自信なかったです」
佐藤「桂跳ねんの」
郷田「桂跳ねてくるかなあと思った」
この間、駒はほとんど動かさず会話だけ。
お互いに考え込み、沈黙が続く。
そして、
郷田「▲5八飛だったかなあ」
このような情景を想像したくなる。
観戦記者がいないので、本当のプロ仕様の感想戦。
お互いの読みが合えば合うほど、このような傾向が強くなるのかもしれない。
それにしても、例題図で将棋が終わっている(先手の勝ち)とは、やはりプロの世界はすごいと、あらためて感じさせられる。