古代的美男子棋士と近代的美男子棋士

将棋マガジン1993年9月号、故・団鬼六さんの「オニの五番勝負 第2番 郷田真隆王位の巻」より。

 それはともかく、この郷田王位は若手棋士の中では最高の美男子である。加勢大周など足元にも及ばぬ。私がおかまであったならただではおかない。この対局の前日、旧、将棋ジャーナルの社員であった原マチ子と国枝久美子が就職がきまった報告を兼ねてひょっこり遊びに来た。明日、郷田王位を負かしに行くのだというと、「あなにやし、えおとこを」と和歌を詠み上げるみたいな調子で声を合わせるのだ。これは郷田王位の事を指しているのだが、この意味がわかる人は相当な識者である。これは古事記に出てくる言葉で、何とまあ、いい男である事よ、という意味だ。天の御柱を廻っていた時、夫の伊邪那岐命の美男子ぶりに改めて気づいた妻が感嘆の声をあげるという神話であって、彼女達は昇段祝いか、何かの席で郷田王位を見かけた時、とても棋士とは思えなかったという。テレビタレントか、または茶道家華道の家元の御曹司を連想したというのである。

 郷田王位の美貌は、あなにやし、えおとこを、と女共がいうように古代的であってかすかな光の加減によって彼の容貌はほんのりと青味を湛える事がある。彼が菊とじの狩衣に烏帽子をかぶり、口元に薄い笑みを浮かべて桜の散る下など歩き出したなら正しく光源氏であって、見た女性は恐らく魂を宙に飛ばしてしまうだろう。美男子といえば、かつて、いや今でもそうだが、真部八段など典型的な美男子であった。真部八段は郷田王位とは違って近代的なニュアンスがあり、何となく理智的な中に不思議なペーソスを漂わせていて、おば様族からは大もてするタイプの美男子であった。

 美男子というのは好男子と区別しなければならない。一口にいえば前者はどこか病的で妖しい翳りを秘めているが後者は健康的で明るさが漂うものだ。名人になられたからお世辞をいうわけではないが米長新名人は好男子である。名人だけでいうなら中原前名人などは典型的な好男子である。大山、升田両先生は一寸、横へずらして木村名人、これがまた若い時はなかなかの好男子であった。そして、関根名人も若い頃は女好きのする好男子であったと聞く。

 (以下略)

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何とも素晴らしい、誰にも真似のできない団鬼六さんの表現力。

男性の容貌の美しさを、ここまで言葉を尽くして形容した例はあるのだろうか。

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郷田真隆王位(当時)が光源氏を思わせるような古代的な美男子、真部一男八段(当時)が近代的なニュアンスのある美男子、というのは当時の写真を見るとわかりやすい。

1990年の郷田真隆四段(19歳)・・・写真は1990年の将棋世界より

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1971年の真部一男三段(19歳)・・・写真は1971年の将棋世界より

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1990年の真部一男八段(38歳)・・・写真は1990年の将棋世界より

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郷田王位(当時)が文学作品の中に登場する美男子のイメージ、真部八段(当時)がテレビドラマに登場する美男子のイメージ、ということになるのだろうか。

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男性・女性を問わず、棋士は、写真や映像で見るよりも、実際に生で見たほうがずっと魅力的なことが多い。

そして、棋士は外面よりも内面がもっと魅力に溢れる。

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