「先崎さんはやんちゃ坊やみたい。羽生さんは静かでおだやか。塚田さんは好青年」

いろいろな棋士が登場する。

将棋世界1993年4月号、作家有馬頼義氏夫人の有馬千代子さんのエッセイ「棋士の方々との楽しい麻雀対局」より。

 私は将棋のことは、何にも分かりません。夫頼義が、戦時中灯火管制で黒い布をかぶせた光の下で教えてくれましたが、夜寝ることも出来ない日々で、盤を見ているうちにねむくなり、駒の動かし方ぐらいは少し分かりましたが、あれが、こうなるとかは、ほとんど駄目でした。歩は一ツ、角はななめ、飛車は真直ぐに進めるとかで、金銀の区別もつきません。

 頼義の兄の頼春は、永い病気で熱海に住み、何よりの楽しみは、将棋でしたが、相手もなく、詰将棋を考えて、たくさんの作品を作り本も出しました。その頃、おつき合いしていた大山名人に、序文を書いていただきました。その本は勝浦さんにお渡しして、連盟に置いてあります。

 5、6年前に、大山名人のごひいきの寿司屋の旦那から、名人のお宅で大晦日に麻雀大会があるからと、招待されましたが、初めての方々ばかりの中で戦う勇気もなく、遠慮してしまいました。お逢いして兄のことなどをおききすればよかったと、今は悔やんでおります。その後、1989年3月15日付の週刊将棋の記事に兄のことが出ておりました。本当に将棋が好きだったことがよく分かりました。兄のペンネームは有馬康晴で、大山名人と同じでした。なぜそのような名前にしたのかも、おききすればと思いました。頼義は作家になりましたので、その後はあまり指さなくなりましたが、文藝春秋社の大会には、出たこともあると思います。

 カメラマンの弦巻さんとは、渡辺淳一さんのお宅でお逢いしました。麻雀を朝までして、彼の愛用ジープで環八を走り帰りました。私はいつも和服です。ジープですごい組み合わせの悪い二人(彼はひげだらけ)を、トラックの運転手さん達は変な顔で見て行きました。のせた弦ちゃんもこまったでしょうが、後で私もよくのったものだとおかしくなりました。それからとても仲良しになり、度々我が家にもいらっしゃってあそびます。

 棋士の方に初めてお逢いしたのは、松本清張さんのお嬢様の結婚式の時に、升田さんと同じテーブルで、こわそうな感じを受けました。

 勝浦さん、森さん、小林さんと棋士の方々が麻雀の仲間になり、楽しいおつき合いが始まりました。勝浦さんとは、旅行も度々。私が大好きな京都先斗町の芸妓久富美さんに逢い、踊りを見たり、また九州久留米の花火を見たりといろいろと話題はあります。呼び名も勝ちゃんに変わりました。お酒も好きで、夜明けまで飲みおしゃべりをします。森さんは、またその上を行く飲んべえで、麻雀と時トイレに立つ度に台所から一升びんをぶらさげて来て、ガブガブ大丈夫かと心配しましたが、酔った顔は見せません。一寸怒りっぽくなります。怒る相手はほとんど弦ちゃんですが。

 渡辺淳一さんも、昔は麻雀でよくあそびましたが最近はゴルフとか。将棋で弦ちゃんがよく呼び出されて、お宅へ行っているようで、こちらのメンバーが足りなくなり、こまったものです。勝ちゃんも「あきた」と言って競輪にこってしまい、これもこまったものです。

 色川さん(阿佐田哲也)も、亡くなりました。麻雀の師匠であったのですが、とてもあのように上手にはなれません。色さんも将棋が好きだったとは知りませんでした。連盟のお祝会の時にお逢いして、びっくりしていました。色さんとは40年のおつき合いでしたのに。

 小林さんは、NHKの対局の後で勝ちゃんとご一緒にいらっしゃって、4人の対卓をしました。気の毒なほど駄目で、しょんぼりしていました。3時間ほど寝てから、それとばかりに張り切って戦いました。これがまたつき出して、前の日の倍ぐらい勝ち、大よろこびで大阪に帰って行きました。その後お逢いすることはありませんでしたが、先日駒音コンサートで、見事な歌をきかせていただきました。

 ある寒い日に、あんこう鍋をかこみながら先崎さん、羽生さん、塚田さんなど十人ぐらいの方々と忘年会をしました。我が家で飲み直しをしました。みなさんとても可愛く、おとなしく、この人達があんなすごい対局をするのかと、とても思えません。先崎さんはやんちゃ坊やみたい。羽生さんは、静かでおだやか。塚田さんは好青年。気持ちのよい青年ばかりでした。他の方々は申し訳ありませんがよくおぼえていません。どうしても、若い可愛い人の方に、気を取られました。

 勝ちゃんは競馬も好きで、有馬記念によくご一緒します。私は毎年招待されて参りますが、馬券を勝ったことはありません。自分でしない勝負事はきらいなのです。いつも大勢の人達で参りますが、中々良かったと言う人は少なく、駄目だ、口惜しいとなげく人の方が多いようです。その中で、いつか忘れましたが、勝ちゃん一人が、すごいのを取りました。みんなで、おごれ、飲ませろとさわぎ、日をあらためてそのうちにと言いながら、2、3日後には、もうなくなった、とにげられてしまいました。一生忘れませんよ。その時たしか、弦ちゃんも居たはずですから、実行するように、高飛車に出て、話して下さい。

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有馬千代子さんの夫の有馬頼義氏(1918年-1980年)は小説家で、大衆小説、社会派推理小説で活躍した。旧久留米藩主有馬家の第16代当主。

有馬頼義氏の父親は有馬頼寧伯爵で母親が北白川宮能久親王の第二女王女子。

有馬頼寧伯爵は戦後、日本中央競馬会第2代理事長に就任し、数々の施策で中央競馬発展の基礎を築いている。

「有馬記念」は、有馬頼寧理事長の功績を称えて命名された。

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詰将棋作家の故・有馬康晴氏は有馬頼義氏の兄(有馬頼寧氏の次男)にあたる。リンクしたページには有馬頼義氏が有馬康晴氏について語った文章が載っている。

有馬康晴作品集(詰将棋博物館)

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有馬千代子さんは花柳界にいた頃に有馬康晴氏に見初められ結婚をした。

有馬千代子さんは岡崎満義「人と出会う 1960~80年代、一編集者の印象記」にも登場している。

「人と出会う」からの抜粋記事

文章の通りの、とても魅力的な女性だったのだろう。