行方尚史四段(当時)と木村一基三段(当時)

将棋世界1993年11月号、炬口勝弘さんのフォト&インタビュー「さらば三段 十九歳・九月の船出  行方尚史四段」より。

将棋世界同じ号より、撮影は炬口勝弘さん。

 佐瀬八段、有吉九段と、ここのところ年配の棋士が続いたので、今回はぐんと若返って、十代の新四段に登場してもらった。

 有吉九段預かりだった。故・大山康晴十五世名人の門下生。晴れてプロになった抱負を聞いたら、

「羽生からタイトルを取って、それでいい女と寝たい」

 なんてうそぶく型破りの新人。どこまでが冗談で、どこからが本音なのか分からない。チャランポランのように見えて、いや見せて、実はクールで芯が強い。

(中略)

「僕なんかでホントにいいんですか。くだらない話だったら、まあ色々ありますけど……」

 と最初は尻込みしていたが、アルコールが入ったら気炎をあげて、大いに語り始めた。奨励会時代の地獄と将来の夢を。

 これは、平成の新感覚派棋士の誕生と呼んでいいのではないか。そんな風に思った。なお、奨励会仲間の木村一基三段(佐瀬門・20歳)も一緒で、実はこの日、二人は昼から夕方まで、VSという名の研究対局を、連盟の道場の一角でやっていたのであった。

行方「ひどいんですよ。僕は負けたとき死のうかと思いましたね。負けて昇段が決まったんですよ僕。松本さん(佳介・劔持門・21歳)が負けて。だからちょっとすっきりしないですね。負けて、おめでとうって言われたんですから。私も前回の最終局、上がり目ありましたけどね、僕はいつも常に注目されないんですよ」

木村「そうだね」

行方「いくら勝ってても評価低いままで、予想には、まったく私の名前はどこにも出なかったです」

木村「それがよかった。でも最初から上がるつもりだと言ってたんですよ」

行方「意味ないんですよ、今期上がんないと。いろんな面で厳しい状況にありましたから。もう金もないし、体はボロボロ、精神的にも参ってたし……」

(中略)

行方「その年の奨励会試験は、当然受かるものと思ったけど、まあ僕も弱かったですから簡単に一次で落ちて、エヘヘ。小学校6年生で、屋敷伸之とか、その辺には勝ったんですが……。そのときは、たぶん一番最後の、しっかりした奨励会試験、人数も70人ぐらいいたし、滅茶苦茶厳しかったですよ。僕なんか今なら5年生で受かってますよ。(中略) 木村一基は、59年に受けたときにね、6勝3敗で落ちてるんですよ。今は4勝5敗で受かるんです。同じ成績の人が何人もいて、一番若いからって落とされたんだから」

(中略)

 中学卒業後、高校にも入ったが中退している。そして学校に関しては、「中学中退が恰好いい。大学なんて行くのは馬鹿だ、八割はね。スキーやテニスやるために行くなんて腐ってる。命かけるようなもの見つけないと意味ないですよ」と気炎をあげる。しかも一芸推薦で亜細亜大学に通う、親友・木村一基の前で堂々と言うのだ。

(中略)

 すっかり横道にそれて、前置きが長くなってしまったが、以下は、居酒屋で、いやウナギ屋で、二局を残して昇段を決めた時点での新四段の行方と、来期に懸ける親友木村一基との放談である。

 酒は二十歳になってから……行方四段は自分は飲まず(趣味は酒と放言しているが)、筆者のグラスが空になると注いでくれる。醤油も注いでくれる。実によく気が付く細やかな神経の持ち主である。

行方「奨励会てのは地獄ですよ。負けたらホント淋しいですからね。いや淋しいなんてもんじゃないですね、もう絶望、なんど絶望したか分かんないですよ。今の奨励会の制度は、人間を歪ませますね。よっぽどの馬鹿か、よっぽどの天才じゃないと四段になれないですよもう。みんなその辺でもう精神的なバランス崩していきますよ。僕は、よっぽどの馬鹿になりきれたんですよ。えっ?あのT君のことですか?いやあ、あのときは、僕はしばらくちょっと寝込んでました」

木村「あれ相当考えさせられますよ。一つ下か、それがいきなりでしょう。なんでだろうと。将棋界って、そんなに魅力ないかなと」

(中略)

木村「そうらしいよ。やめたとき大検受かってたでしょう、それだけでもたいしたもんだという気がする。でもそれぐらいの努力するんなら、四段に」

行方「それはちょっと違うでしょう。まあショックだったですよ。同期だったから。同期で年下で、頭のいい感じの将棋で」

木村「何期も上がれないんじゃ、やっぱりそうなっちゃうよね」

(以下略)

行方四段(当時)のこの頃の部屋。将棋世界同じ号より、撮影は炬口勝弘さん。

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「筆者のグラスが空になると注いでくれる。醤油も注いでくれる」を見て、醤油をグラスに注いでくれるのか……と勘違いをしてしまった。

この辺も、20代の頃の行方尚史八段の酔った時の愛すべきキャラクターなら、間違って酒の代わりに醤油を入れてしまうことも大いにありうるだろうというイメージから来ているのだと思う。

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T君とは、1992年9月、17歳のときに奨励会を三段で退会し、後に医師となる立石径さんのこと。立石さんは、将棋世界2006年9月号の上地隆蔵さんの「元奨の真実」第1回に登場している。

行方三段も木村三段も立石 元・三段も、皆が一生懸命だった。

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木村一基三段(当時)が四段に昇段するのは1997年4月、この記事から3年半後のことだった。

木村一基八段は、三段から四段になるまでに6年半、二段から数えると9年かかっている。その間には大きな苦労があったが、その苦労の蓄積を一気に吐き出すかのように四段昇段後から猛烈に勝ち続け、『高勝率男』と呼ばれようになる。

木村一基八段が四段に昇段する1期前(1996年後期)の三段リーグ最終戦のレポートは、木村八段のファンの方なら涙なしでは読めないと思う。

→ 1996年三段リーグ最終局

木村一基三段(当時)の自戦記「生意気小僧」