1996年三段リーグ最終局

近代将棋1996年11月号、湯川博士さんの突撃レポート三段リーグ最終局「創ったような結末」より。

奨励会最終局の取材にきた記者が、

「今回は行数が少ないもので…」

と言ったら、そばにいた沼六段が、

「へたな棋戦より重要だし、おもしろいですよ。レイアウトを変えて、もっと多くしたらどうですか」

沼さんは弟子(木村一基)の応援を兼ねて観にきている。たしかに最終日は毎回凄いドラマが演じられている。

(中略)

この日のスタート時の順位・成績は。

2位 野月浩貴(10-6)

4位 木村一基(10-6)

9位 山本真也(10-6)

10位 伊奈祐介(10-6)

16位 山崎隆之(11-5)

18位 近藤正和(13-3)=昇級決定

昇級枠は2つゆえ最終局はあと1つのイスしかない。それを実質5人(計算上は9-7の人も可能)で争うのだ。

(中略)

午後1時を過ぎると三段陣が続々報告に来る。まず自力の山崎が早々と黒星。15歳棋士誕生かと期待していた向きはこれでガッカリ。

野月、木村、山本、伊奈が白星で5人が11勝6敗で上から順に自力チャンス。

2局目開始は予定の2時をやや回る。

野月は一人部屋、木村はその隣の二人部屋、山本は特別室のいちばん奥の席と深刻な順に部屋割がなされ、ライバルの模様がわからないようにされている。

午後4時ころには、下位の山崎、伊奈が負けの申告。順位トップの野月が勝てば決まり。しかし、

「奨励会は上からすんなり決まったことがない。それに相手の石掘クンはさっき退会(年齢制限)を食い止める大きな勝ち星を上げて気を楽にしているところ」

で、予断を許さないのだそうな。

途中で対局室を見てきた大野六段(元奨励会幹事)に、控室の面々がしつこく局面を聞き出し、検討を加えるが野月の勝ち目は薄いと出た。

5時ころ記者が部屋の外から様子を伺うと、それまで聞こえていた秒読み機の音が消え、両者の声がする。部屋の襖をそっと開けると感想戦が始まっていた。

プロ高段の感想戦はどちらが勝ったか分からないときがあるが、奨励会は明暗がくっきり。野月はガックリ肩を落とし、「ひどかった~」と自嘲の声。石掘はときおり笑顔が出る。

自力で念願の四段を逃がす無念さは、想像するだに胸が痛む。終局後しばらくして野月が本部席へ顔を出し、

「近くの喫茶店にいますから(勝ち負け)どちらでも報せてください」

野月が負けて残りは木村、山本。

「これはひょっとして全部負けて、また野月まで戻るところまであるよ」

全員が7敗になって、結局野月の頭ハネになるかもしれないという。まさかと思うが奨励会だけは分からない。

次は木村の自力に移る。おそらく当人は分からないだろう。階下のロビーでは、対局が終わった奨励会員や若手プロ、将棋雑誌記者などがうろうろしている。その中に混じり、沼六段が心配そうにしている。

そこへ木村負けるの報が入って、いったん人の群れが崩れる。今度は本部席に人が集まり、最後のチャンスを握った山本の動向に興味が移った。

いよいよ残るのは山本だけ。彼がこければありえないはずの、一周巡り頭ハネが起きる。山本のいる特別対局室は8局同時対局なので、襖は開けたままのオープンスペース。したがって覗きやすい。報告によると山本有利説だ…。

「山本クン、(昇段のチャンスを)知ってるかな~」

「あれだけ見に行けば気が付くでしょ」

「私なんか昔、付き合いのない高段棋士が見にきて気が付いたことがあったよ」

勝負に影響を与えかねないので皆さん、見にいけないのである。

7時ちかくになってから、入玉模様持将棋らしいの報。ロビーで大阪の山崎クンが二局終わって休んでいた。朝は自力の一番手だったのが、なんと2連敗した。

「朝から2連勝しないといけないと思い込んでいたので、1局目ポカで負けたときもうダメと思い、2局目ポンポン指して負けちゃった。こんなことなら、もっとちゃんと指しておけばよかったかな」

「ほなら山崎クン上がっとったワ」

「山本クン(大阪)はどうかね」

「持将棋にするんだったら、指し直し局は勝てないと思います。相手は気軽だしこっちは必死ですから。その差がでると思いますけど…」

これが15歳山崎クンの直感だ。

7時10分過ぎ、両者合意に達し、持将棋決定、指し直し。

「おいおい、持将棋って何分? 45分持ちか~。すると15分休憩として、対局に3時間…うーん10時だなあ。帰るか…」

記者も関係者も、メイクドラマはおもしろいが実際は参った表情。ただ、この時点での感じは山本ノリが少なかった。なりより勝てそうな勝負を延長に持ち込まれた流れが、彼に利あらずと思った人が多かったのだろう。

(中略)

やはり、予想通り山本は負けた。そして創ったような、一周巡り頭ハネが実現した。もしも将棋小説でこのような筋書きを書いても、読者は本気で読んでくれないだろう。むろん、将棋界始まって以来の記録づくめ。7敗で昇級も初めて。

そのときの模様は、上がった野月クンの口からどうぞ…

野月浩貴・新四段

「最終局の自力を負けたあとは、対局室で30分くらい、独りガックリしていました。下へ降りて友達にサヨナラを言うと、まだ目があるから見てきたほうがいいと言われました。それで成績表を見ると、木村、山本の二人が残っていて、木村は負けそうという情報が入ったところでした。いったん喫茶店で休んでいて、7時ごろ戻ると、木村クンが負けて山本さんが入玉模様。これはもしかすると、と思った。持将棋が決まってからは、昇段祝いの予定会場2階で、沼先生たちと待機していました(どっちにしても彼は出席のつもりだったから)。そこへ仲のいい木村クンが、野月クン上がったよって教えにきてくれたのですが本当に思えなかった。自分では7敗したんだからと言い聞かせていたところでしたから…」

(中略)

兄弟子の森内八段は7敗昇級について

「彼はきっと、ふだんの行ないがいいんでしょう。運も実力のうちですよ」

一人は最終局を待たずに断トツの成績で上がり、一人はギリギリ目一杯の運を使っての昇級だ。でも内容は同じ苦しみであり、ふだんの積み重ねが実ったものだろう。新棋士に未来あれ。

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明日の王座戦第2局の動画中継(インターネット上大盤解説会)には、野月浩貴七段が登場する。