将棋世界1995年7月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。
終わるとすぐ真部君が控え室へ引き揚げて来た。井口記者が声をかけ、碁を打ちはじめた。かまってくれる人がいるとは、真部君も仕合わせだ。彼は判っていて、二局打ち、1勝1敗、ちゃんと気を配っている。私も見習わなきゃ、と反省しても遅いか。私を見ると、碁盤を片づける者までいる。
夕暮れどきになった。鈴木輝彦七段がやって来て「久しぶりに代々木あたりで……いかがですか」。真部を誘った。真部はニコリともしない。ややあって、「君はこのごろ声がよくなったねえ」。お鉢は当然私にも回り、三人で飲みに行く相談がまとまった。
”最近、真部と親しい鈴木七段に聞いたのだが、真部の、首が動かなくなる病気は、正体不明のなにかが、首の筋肉をゆっくり時間をかけてしめ上げているそうだ。それは本当の「真綿で首」なんて言うのは悪いしゃれだ。ちょっと寝ちがえただけでも、うっとうしくてかなわないのに、それがずっと続くとは、考えただけでやり切れなくなる。疲れて横になると、一人では起き上がることもままならない。長時間の対局は辛いに決まっているが、真部は一言も泣きを入れない。プライドが高いのである。
「勝負!と手術するしかないんでしょうが、リハビリに数年かかるっていうし、真部さんでは耐えられないだろうな」
鈴木はそう言ってうなだれた。手術をすすめれば、「酒が飲めなくなるなら、生きていてもしょうがない」、真部はきっと芹沢と同じことを言うはずだ。
大山なら、助かる道は手術しかない、と判れば平然と立ち向かうだろう。そういった面での克己心は並はずれている”
右の文章は、真部君がA級にいて谷川と壮絶な戦いの末、敗れたときに書いたものである。
状況は5年以上経った今も変わっていない。だが、大山は亡く、真部は酒を飲もうと言う。どうも私は考え込んでしまう。
酒を飲み始めたのは7時ごろ。最初のうちはよかった。真部君も年を取ってまるくなったな、と思ったりした。
「この世に仕合わせはない。あの世にも仕合わせはない。そういう宗教です。河口さんにはぴったりだと思うけどな。入りませんか」
髪を後ろに束ねて、言われれば教祖らしい。なんという名だったかな。ムコウ教と言ったかな。ともあれ、平に辞退申し上げたが、このくらいのときは、二人に対抗できた。そのうちボトルが空き、代わりのボトルを見ると、シーバスである。
「これ芹沢が好きだったな」と昔話になればもういけない。二人の記憶力たるや驚異的で、30年も前のことをほじくり返して議論を吹っかける。老荘の徒、と称するくらいだから漢文は手合い違い。その他森羅万象に話題が及ぶが全部負け。中原、米長、谷川とそちらに議論を引っ張り込もうとしたが、それもだめ。こちらは薄い水割り一杯、敵は数十杯、こういうのも衆寡敵せずの類だろう。
(以下略)
—–
真部一男八段(当時)はこの日、久保利明五段(当時)と対局していた。
真部八段の筋違い角(1図)に対して、久保五段が△6二飛(2図)、▲3四角には△4二飛(3図)と、あくまで振り飛車の形にする着想を見せた。
筋違い角をやられると、通常であれば後手は振り飛車にできなくなってしまうのだが、△6二飛~△4二飛は唯一振り飛車にできる指し方として知られている。
その手が初めて世に出たのが、この一局と思われる。
真部八段は4図のような構想でこれをとがめにいく。
さらには5図の形となって、先手が優勢。
しかし、終盤の久保五段の頑張りにより、久保五段の勝利。
真部八段が控え室へ引き揚げて来たのは、この対局の直後のこと。
—–
「この世に仕合わせはない。あの世にも仕合わせはない。そういう宗教です。河口さんにはぴったりだと思うけどな。入りませんか」
真部八段がその場で作り上げた真部教なのだろうが、真部八段が言うと何かとても説得力があるように感じられる。
—–
この2ページ後の加藤一二三九段の「わが激闘の譜」には次のように書かれている。
この世の幸福な人生と、来世の幸福を求めるために、道があることを忘れてはならないと教えられている。イエズス様は、「私は道である」ともおっしゃっている。天国について、イエズス様は度々語られている。
真部教というかムコウ教とキリスト教は真逆のアプローチのようだ。