将棋世界1995年8月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。
そうして控え室にいると、先崎六段と北浜四段が継ぎ盤を作りはじめた。いつの間にか、村山八段がテーブルにひじをついてぶすっと眺めている。道場の用心棒、といった感じだ。
盤上で素早く駒が動きはじめると、つい目を止めてしまう。そのうち、半袖姿の羽生六冠王が現れ、対局を終えた、郷田五段も入って来た。それに行方四段も。
どうだろう。これだけ粒よりのメンバーが集ったなんて、信じられない幸運ではないか。
もし早見えベストテンを選んだなら、羽生、村山、郷田、先崎、行方の五人はかならず入るだろう。それより、この天才達の集ったところを見まわして、なかに助け舟を出す者がいないのが面白い。
どういうことかと言えば、継ぎ盤の局面について、誰かがピント外れの意見を出したとする。たちまち反論が出るが、そのとき、恥をかいた者を、他の誰かが冗談を言ったりして救ってやるものだ。今日のメンバーは、愛想を言う者なんかいない。仮に、私がヘボな手を言おうものなら、羽生六冠王は「エッ?そんな手あるんですか」と驚いてみせるし、村山は虚無のまなざしをちらりうかべて下を向くだろう。郷田君は、いやな目にあった動物がするように、フイと知らん顔をする。先崎、行方両君は、顔をしかめるだけですまない。想像できないような辛辣な一言が出るはずだ。
であるから誰もうっかりしたことは言えない。といって、黙っていれば、何も判っていないと見くびられる。平凡な手を言っても同じ。ここはセンスのよい一言で力を認めさせなければならない。羽生、村山に、あいつは強い、と思われれば、タイトルを取ったも同然である。すなわちさりげなく、内面で競り合っているのだ。先崎、行方両君も、さすがに言葉が少ない。
(中略)
控え室はこれも予想していた。中田対屋敷にかぎらず、佐藤(大)対日浦戦その他全部調べているのだが、全部当たる。控え室の天才達の読みの量たるや、真に恐るべきものがある。一局について、二通りか三通りの進行を調べると、かならずそのどれかを対局者は指す。
継ぎ盤の周囲の声を盤上に再現するのは、もっぱら先崎君の役目である。これが、オーケストラの指揮者のごとし難しく、気を遣わなければならない。
たとえば、▲6九銀と引いた局面で、六冠王が「歩をタラして、そうかちょっと寄らないか」と呟く。すぐ横から郷田君が「いや、角を捨てて必至じゃないかな」向かい側の村山用心棒が「うん、あるな」とうなずく。
すると先崎君は「じゃあやってみましょうか」とか言って、実戦と同じの、△6九と、までの局面を進め、▲5三と寄と銀を取る。それから、△2六角▲2七金△1七銀と打ち込む。これから先の変化をみんなは言い合っているわけだ。
断っておくが、実戦の手順が指される前の話なのである。なんべんも書くが、天才達の相乗効果はすごいものだ。このメンバーで共同研究をやったらどうなるのだろう。
さて、ここで先崎君の前に坐って駒を動かしている北浜四段にふれねばならない。私のとなりにプロがいる、という感じがしなかった。カドがなく、いかにもおとなしく好人物なのである。早大在学中の棋士で、だから注目されているが、今日のような機会に、自分の考えを主張しなければならぬ。側の呟きは聞こえないふりをし、自分の考えた手を盤上に指す。そして存在を主張するのである。恥をかくのはいやだ、と尻込みしていては、タイトルに手はとどかない。
もっとも私は酷な注文を出しているようで、ある人にこの話をしたら「無理ないよ。まだ二年生だもの。その場に坐っていただけでも偉い」と言った。そうかもしれない。行方君だって、たまにしか意見を出さなかったくらいだから。
(以下略)
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「エッ?そんな手あるんですか」と驚く羽生善治六冠、
虚無のまなざしをちらりうかべて下を向く村山聖八段、
いやな目にあった動物がするように、フイと知らん顔をする郷田真隆五段、
顔をしかめるのみならず、想像できないような辛辣なことを言う先崎学六段と行方尚史四段、
一人だけにこのような表情をされたり言われたりしただけでも相当に痺れるが、これが5人同時にということになれば、人生観が変わってしまうほどのショックを受けてしまうに違いない。
それにしても、河口俊彦六段(当時)の観察眼と表現が絶妙だ。
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北浜健介四段(当時)も、嬉しくなるくらい今の北浜健介八段そのものの雰囲気。