「勝って欲しいです……。欲でしょうか」

昨日の記事の続き。

将棋世界1995年6月号、中野隆義さんの第53期名人戦〔森下卓八段-羽生善治名人〕第2局観戦記「心の読みを取り戻せ」より。

将棋世界同じ号より、撮影は中野英伴さん。

勢いのある手

 「久しぶりに勢いのある手を見たよ」と米長。森下の指した▲2六角を言っている。△6二金寄とマイナスの手を指させて▲3七桂と活用し、まさに先手絶好調を思わせるコマさばきではないか。

 羽生も負けじと△3五歩から△3四飛の好手を繰り出す。△3四飛は▲3五歩と先手で取られてつまらないようだが、飛車を第一線に留め置く好着想である。流石は羽生の声が控え室に上がる。

 しかし、これより双方の主力が激突する大決戦が展開されるぞと期待に沸き返る取材陣は森下の次の一手に一様に首をひねることになる。

森下名人戦第2局6

5図以下の指し手
▲3八飛(6図)

森下名人戦第2局7

 「なんだなんだ、▲3八飛とは」

 5図から▲5五歩と突き出す手段を中心に、つい先ほどまで嬉々溌溂として盤上の変化を追っていた米長が語気荒く言う。▲5五歩以下一例を挙げれば、△同銀▲9四歩△同歩▲9三歩△同香▲8五桂。次に▲3四歩として△同飛なら▲9三桂成△同銀▲3五香を見せながら相手の動きを窺って先手有望である。

 ▲3八飛の意味するところは、△3六歩に二重三重の備えをしたもので、要は相手の手を徹底的に殺して何もさせないというものである。

 「これで相手には有効な手がないと思った」と森下は断を下したのだが、後手には実に自然な好手があったのだった。

6図以下の指し手
△6三銀▲6五桂△6四銀▲6六歩△7五歩▲同歩△6五銀▲同歩△7七歩▲8八金寄△1四桂(7図)

暴発

 △6三銀は先手の狙いである▲5五歩の筋から未然に身をかわしながら、△6四銀、△7二金寄と味良く陣形を組み直す滋味溢れる好手である。プロならば一目、直感で浮かぶ手段であろう。

(中略)

 大体が、△6三銀のような手は普段の森下が得意としている手口でもある。 しかも、なお拙かったのは、△6三銀に対して▲1六歩とでも辛抱していれば後手の方から厳しい攻めはないのにも拘わらず、敵の陣形が良くなるのに耐えられず▲6五桂と跳ね出したことである。

 7七の桂は、8五に跳ねて後手の穴熊の急所である玉頭を狙うべき駒であった。

 6五に跳んだために△6四銀から△6五銀と喰いちぎられ、△1四桂と角を殺されることになっては一気の転落である。

 前に出るべき所で行かず、我慢すべき所で辛抱が利かない。やっていることがまるっきりちぐはぐだ。森下将棋は、病気に罹ってしまっているとしか思えない。一体どうしたというのだ、森下よ。

森下名人戦第2局8

7図以下の指し手
▲6八飛△2六桂▲6四歩△5九角▲6七飛△3七角成▲6三歩成△同金▲同飛成△6四飛(8図)

欲でしょうか

 衛星放送のモニターが、突然、大盤解説場に来ていた森下のおばあちゃんを映し出した。棋士を目指して12歳で上京した森下の身の回りの面倒を見るために、住み慣れた福岡を離れて、8年間を少年と共に過ごした祖母であった。立派に成人した森下に見送られて福岡に一人帰ったのは7年ほど前のことになろうか。御年88の米寿なり。

 将棋は分からぬというが、大盤解説の様子から森下の不利を悟っていたのであろう。マイクを向けられると、二度三度と両の目を拭い「勝って欲しいです……。欲でしょうか」と言った。

 内藤、米長、青野、福崎、鹿野女流らで賑わっていた控え室は色を失った。

 足どりも重く大盤解説場に赴いた内藤、青野の解説の歯切れが悪くなった。祖母の前で、森下不利の言葉を禁句とした内藤と青野に切ない優しさを感じる。

 二人の困惑を慮って壇上に立った米長が「ここでは先手の森下側が不利である」と憎まれ役を買って出た。はっきりと伝えることもまた優しさであろう。

 逆転の望みが未だ残されていれば、米長は森下不利と断じなかったはず。米長の発言に勝負の動かざる結末を知った記者は、心を戸外の夕闇に飛ばしていた。

森下名人戦第2局9

(中略)

 羽生の収束に遺漏はなかった。

 △6五桂から馬取りに構わぬ△5七桂成が決め手である。

(中略)

 森下の感想を聞きながら思うことが二つあった。

 一つは、▲3八飛(6図)として相手にやる手がないので困るのではないかと思った、というものであり、もう一つは、▲8五桂を跳ねていくのは当然心得ていて、有力な狙いではあったが、できればそれを出さずに勝とうと思っていた、というものである。

 相手の手段を消すことは、自分がやりたいことを具現化するための手段であって目的ではない。相手の困窮に塩を送るという器量を備えた者でさえ天下を取ることは叶わなかった。相手が困ったのを見て満足するような者に天下を窺えようはずはないではないか。また、自らの切り札を出さずに勝とうというのはどういうことであろうか。これは相手の力量を甘く見ている者の考えそうなことだ。羽生を甘く見るなぞとんでもない話である。

 従を主としようとし、主を従とする姿勢が、森下の心眼を曇らせているように思えてならない。プロの力量をもってすれば目を瞑っても踏みつけぬような陥穽に落ちた第1局といい、最善の路線が頭にありながらそれを見送って、相手の平凡な好手の前につんのめった本局といい、このような戦いようをしていたのでは、羽生を向こうに回して勝負の形になりはしない。

 一刻も早く、心の眼を見開け。

 心の読みをもって臨めば、盤上で決して羽生に遅れを取ることはないと思う。

将棋世界同じ号より、撮影は中野英伴さん。

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中野隆義さんの森下卓八段(当時)への厳しくも愛情の込められたメッセージ。

森下卓八段を少年の頃から知る中野さんでなければ書けないことだと思う。

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森下卓九段のお祖母様を知る人は、例外なく「昔気質の非常に立派な人だった」と語っている。

お祖母様は、森下卓九段が奨励会入りしてからC級1組に昇級するまでの間、森下九段と東京で一緒に暮らしていた。

森下少年の対局がある日の朝食には、「テキ(敵)にカツ(勝つ)」という験担ぎから、いつもステーキとトンカツを用意したお祖母様だ。

「勝って欲しいです……。欲でしょうか」。そのようなお祖母様の言葉だから、とても重みと深みがある。

お祖母様は、この3年後の1998年6月、90歳の時に亡くなる。

「ケツの穴に問うて石を飲め」

森下卓少年の入門将棋

森下卓九段のステーキとトンカツ

広島の親分(3章-3)