近代将棋1989年10月号、故・池崎和記さんの第12回若獅子戦準決勝〔村山聖五段-小倉久史四段〕観戦記「立ち向かう精神」より。
福島村の夏は静かだ。この時期は対局数が少ないから、ほとんどの棋士たちが「リフレッシュするために」とか「家庭サービス」と称して行楽に出かける。今年の夏もそうだった。
森五段はインドへ20日間の一人旅に出かけた。脇六段夫妻は沖縄に行ったし、淡路八段夫妻は軽井沢へ。また、南王将は師匠(木下六段)と久美浜で泳いだし、東六段も家族全員で日本海へ行った。
みんな旅行が好きだ。棋士はいいな、自由で気ままで―と、クーラーのきかない部屋で原稿を書きながら、私はあらためてそう思う。
棋士は遊ぶ。私は遊べない。だから、夏は嫌いだ。ついでに書くと、浦野六段はフィアンセとのデートで忙しい。今年の夏は、どこもかしこもアツイ。
旅行といえば、村山五段も北海道へ行った。生まれて初めての一人旅である。万一のことがあってはと、師匠は出国前まで反対していたが、当人はインドでのんびり長旅を楽しむのだから、弟子が聞くはずがない。
村山が北海道旅行を実行したのは8月13日らしい。近鉄将棋まつりで羽生五段と席上対局した翌日である。らしい、と書いたのは、だれも旅行スケジュールを知らないからだ。
北海道は広い。村山は、師匠の留守をいいことに(あるいは師匠に了解を取っていたかもしれない)、だれにも行く先を告げずに出立した。
そういえば今年の2月ごろ「順位戦が終わったら北海道へ行く」と村山は言っていた。「雪で凍え死んでしまうから、絶対にアカン」と師匠は許さなかったが、村山のほうは「雪が見たい」と主張、かなり抵抗していた。結局、3月の北海道行は中止になったが、夏になって、今度は本当に行ってしまったわけだ。
滞在期間は10日間。所持金9万円少々。片道切符だけを持って行った。宿の手配はしていない―。私が得ている情報はこれだけ。この予算で北海道10日間の旅は可能なのか。いや、それよりも、ちゃんと大阪まで帰って来られるかどうか、それが心配だ。(この原稿を書いているのは8月16日。森師匠はまだインドから帰って来ていない)
(以下略)
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当時は、羽田から千歳の航空運賃だけでも片道で3万円したと記憶しているので、片道切符を持って所持金9万円ということは、実質5万円くらいで10日間の旅をしなければならないことになる。
もっとも、手なりで行く旅なので、行ってから例えば5日目で帰ってくる自由度はある。
村山聖五段(当時)は北海道のどこへ行ってどのような旅をしたのだろう。
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考えてみると、私は生まれてから一度しか一人旅というものをしたことがない。
冬の北海道の富良野。
結局は時間が余りに余って、ホテルの売店でテレビドラマ「北の国から」のビデオを借りて何本か見て、それで「北の国から」に完全にハマってしまったのだから、広い意味で考えれば一人旅が自分に与えた影響は大きなものがあった。
しかし、昼間の2時間くらい富良野の街に出て昼食を食べ(二日間とも三日月食堂という同じ店に行った)、あとはほとんどホテルの中にいた2宿3日の旅行が一人旅と胸を張って言えるのかどうかは、かなり疑問かもしれない。