近代将棋1988年2月号、羽生善治四段(当時)の連載自戦記(若きエース勝負の記録)「座談会」より。
登場人物紹介
A…アマチュア8級。まだ覚えて日が浅いため将棋界のしくみなどは全く知らない。
B…アマチュア四段。将棋を覚えてから10年以上たつ。将棋界のことはかなり詳しく知っている。
C…奨励会員。最近、AさんとBさんの出張稽古を始める。今回は1枚の棋譜を教材にして勉強する。
昭和62年11月24日 C級2組順位戦
羽生善治四段-安西勝一四段(中略)
頭の歩
B「相矢倉になりましたね」
A「相矢倉?」
C「お互いに矢倉という形ですから相矢倉と言います。現在プロの実戦では最もポピュラーな戦型です」
A「先手の飛車の頭の歩を突いていないのはどうしてですか?」
C「流行だからです」
A「なるほど。よく解りました」
B「もう少し具体的に言うとどうなのですか?」
C「飛先はいつでも突けるからそれを他の一手にまわそうということです」
1図以下の指し手
△3二金▲6六歩△4一玉▲6七金右△8五歩▲6八角△4二角▲7九玉△3一玉▲8八玉△2二玉▲1六歩(2図)穏やかな展開
B「玉をお互いがっちりと囲いあいましたね」
C「そうですね。▲6八角の所では▲3五歩と仕掛ける手もありました。本譜は穏やかな展開です」
A「実戦ではこのあたりで何時頃なのですか?」
C「そうですね。昼食休憩前後だと思います」
B「アマチュア同士の対戦では矢倉が少ないのはどうしてですか?」
C「たぶん、解りにくいからだと思います。例えば端歩を突いてあるかどうかだけで形勢が全く違ってくるということもあります。振り飛車ではそういうことがあまりありません。だからといって、振り飛車は矢倉より劣るということではありません」
2図以下の指し手
△7四歩▲3五歩△同歩▲同角△7五歩▲4六角△7三銀▲7五歩△同角(3図)同形は先手有利?
B「いよいよ▲3五歩と仕掛けましたね。形勢はどちらがいいのですか?」
C「まだ何とも言えません。これから数手進めばどちらかが優勢になるような気がします」
A「この局面はお互い似た形ですが、もし同形なら先手が必ず勝つような気がするのですが、どうでしょうか?」
C「そんなことはありません。もちろん先手が勝つ場合もあります。しかし、並べ始めの局面も同形ですが、必ずしも先手が勝つとは限りません。もし、先手後手両方が最善手を指し続けたらどうなるのかは誰にも解りません」
A「へー。将棋って難しいのですね」
3図以下の指し手
▲7四歩△6四銀▲3六銀△5五歩▲同歩△8四角(4図)ケースバイケース
B「確か定跡書に3図で▲7四歩として先手良しと書いてあった記憶があったのですが……」
C「この場合は△6四銀に対して▲6五歩としても△4五歩があるため、一筋縄では行かないのです。定跡書にのっているような手でもケースバイケースで使いこなさなければなりません」
B「なるほど。それで▲3六銀としたのですね。今度は何かそれを防がなくてはなりませんね。そのために△5五歩と突き捨てるのでは後手が辛いのではないでしょうか?」
C「確かに一歩損ですが7四歩が負担になっているのです」
A「さて、そろそろ形勢判断して下さい。だいぶ局面も進みましたし」
C「うーん。そうですね……次に進みましょうか」
A「……………」
4図以下の指し手
▲1五歩△5二飛▲5八飛△7五銀▲5六飛(5図)△7六歩は論外
B「4図でじっと▲1五歩ですか。こんな手がいい手なんですかね」
C「さあどうなんでしょうか。▲3七桂としておく手も有力だったと思います」
A「C先生、先程からあいまいな表現が多すぎるような気がするのですが、もっとはっきり言って下さい」
C「あははは………。これからは少し気をつけます」
B「△5二飛の所で△7六歩はなかったのですか?」
C「そんな手は論外です」
A「先生、ストレート過ぎます」
C「いや、どうもすいません」
5図以下の指し手
△5四歩▲同歩△5五歩▲同飛△8六歩▲同歩△5四飛(6図)素直に応接
C「持久戦になると一歩損が響いて来ると見て後手△5四歩から飛交換を狙おうと勝負に出ました。こう考えて見ると先手が少し良かったのかもしれません」
B「先手はずいぶん素直に応じているような感じがあうるのですが」
C「先手としてはそのように対応するしかないようです。ただし、△8六歩に対して▲同銀とする手はありました。以下△6六銀▲8五飛と言った展開になると思います」
A「いよいよ本格的な戦いが始まりますね。それではこれからの見所を教えて下さい」
C「何か勘違いしているんじゃないんですか。後手の角、銀が働くかどうかがキーポイントになりそうです」
6図以下の指し手
▲同飛△同金▲9一角成△6九飛▲8二飛(7図)教員試験
B「飛交換をした後すぐに飛車を打ち込む手はなかったのですか?」
C「もちろん、その手もあったと思います。正直な所このあたりはどう指すのが最善手なのか本当に難しい所です」
B「△6九飛は急所の一着ですね。次に△8七歩が金でも玉でも取れませんから」
C「全くその通りです。Bさんは将棋の先生みたいですね」
A「それで教員試験は一体いつあるのですか?」
C「はあ?」
B「▲8二飛は馬の行く筋を消しているようですが」
C「そうですね。しかし、馬は8一~6三の構想で使うつもりなのでしょう」
7図以下の指し手
△2九飛成▲8一馬△8七歩▲9八玉△3八竜▲6八香△3六竜(8図)格言
B「いよいよ寄せ合いになりましたね。形勢はどうなのでしょうか?」
C「後手としては△6六銀が決め手になるような展開になればいいのですが」
A「本譜は銀を取りに行ったんですね」
C「一気に寄せに行くのではまだ寄らないと見たのでしょう。しかし、これでは少し悪いような気がします」
B「しかし、駒得ですが」
A「終盤は駒の損得よりスピード!!」
C「すごいですね。どこで覚えたのですか?」
A「それどういう意味ですか?」
B・C「……………」(長き沈黙)」
8図以下の指し手
▲6三馬△4二桂▲7三歩成△3九竜▲7九歩(9図)岩より固い
B「金底の歩岩より固し、ですね」
C「その通りです。この一手で先手玉が非常に寄せにくくなりました」
A「岩より固いって事は一体何でできているんですか?その歩は」
B・C「はっきり言ってワンパターンですよ」
A「ど、どうもすいません。将棋の事は解らないもので。今後気をつけます」
C「これからも努力して下さい」
A「何をですか?」
9図以下の指し手
△8八銀▲同金△同歩成▲同銀△1九竜▲4一銀△3一金打▲7四と△7六香▲7五と△7九香成▲3二銀成△同金
▲4一銀△3一金▲3二金△同金▲同銀成△同玉▲5四馬(投了図)
まで、97手にて羽生の勝ち
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Aさんのキャラクターが中盤以降どんどん崩壊してボケ役となっていく展開が絶妙だ。
Cさんはかなりサディスティックだが、Aさんからこれからの見所を聞かれて、「何か勘違いしているんじゃないんですか」と言いながらも、「後手の角、銀が働くかどうかがキーポイントになりそうです」ときちんと答えているところも微妙な可笑しさがある。
羽生善治四段(当時)の意外な一面が現れている自戦記だ。