元・近代将棋編集長の中野隆義さんから貴重なコメントをいただいた。
棋士、奨励会員ら数名とスキーに行ったことが何度かありました。
斜滑降、停止、向き返る、斜滑降の千日手模様を繰り返して、冷静に降りてくるのは大島流でした。永作流は、直滑降一本でてっぺんから下まで降りていってましたですね。あるとき、ゲレンデの左サイドにある崖の壁にスキーが一本突き刺さっているのを発見し、皆と合流したときに、崖にスキーが刺さってたぞお、と報告しましたら、「あれは、さっき、ボクが崖に激突したとき刺さって取れなくなっちゃったんです」と永作流が言うのでたまげました。あのときは確かもう帰る時間が迫っていて、あと30分ほどしか滑る時間はなかったのですが、永作流がスキーをまた借りに行くので、またまたたまげたものです。
また、あるときは私めがリフトに乗っていましたら、四分の三くらい上った先のリフトコースの真下で、武者野流が明るい顔で「おーい」と手を振っていました。どうしてあんなところにいるんかなと思いつつ、再びリフトに乗りますと先ほどと同じところで手を振る武者野流の姿が・・・。そこでようやく、助けてくれと言ってるんかいと分かり、スキー1級だかの手練れの植山流に救出を頼んだのでした。助け出された武者野流に「なんで、あそこにいたの」と聞きましたら、リフトに乗っていてスキーの先で下の雪に触ってたら思いの外深く刺してしまって抜けなくなった。このままだと足の骨が折れるのでそうならないようにとリフトから降りた」とのことでした。
降りたのではなくて落ちたんでしょと思いましたが、そこを突っ込んでもおそらくへのカッパだと察しまして「笑っておーい、じゃなくて、もう少し困った顔して助けてくれーでしょ」と、言おうとして心にとどめるだけにしました。それから数年間、越後湯沢スキー場の第二リフト頂上付近は、ごくごく少ない関係者の間で武者野峠と呼ばれたものです。
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永作芳也五段が直滑降一本派だとすると、今朝の記事のように女性とぶつかってしまったのも無理はない成り行きと言える。まさに香車のようなスキーだ。
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リフトの下は、コースとして整備されておらず危険なため、通常は人が立ち入らない場所となっているという。
リフトの下に落ちた武者野勝巳七段は、かなりの長い時間、リフトに乗る人達から奇異な人に見られていたわけで、それを笑顔で耐え忍ぶ精神力はすごいものだと思う。
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どちらにしても、棋士のスキーは、普通では済まなさそうな面白い雰囲気がありそうだ。