郷田真隆四段(当時)「その後羽生クンは連勝して四段になっています。その上がる瞬間も特別対局室の同じ部屋で隣で見ていました」

近代将棋1990年11月号、湯川博士さんの若手棋士インタビュー・郷田真隆四段「逆光が美しい」より。

 棋聖戦はだいぶ勝っているらしいねェ。

「予選を勝って、今本戦1回戦が終わったところです」

 どうだったの。

「全然ダメな将棋でしたけど、相手の南先生が油断されたようで……。読み筋にない手を僕が指したので動揺したみたいです」

 あの南さん、動揺したのが、わかるの。

「はいそれはポーカーフェースでもわかります。第一に長考しますから」

 実際に戦ってみてA級棋士の手応えは。

「南さんの対局は記録を採ったことがあるのでだいたいわかっていましたけど、盤をはさんで目の前で見ると、ずい分厳しい顔付きだなあと思いました」

 ところで予選を勝ち抜いたっていうけど、どのくらい勝たなくてはいけないの。

「ふつうは6番なんですけど、僕は最後に入っちゃったので山がひとつ増えて7番になっちゃいました。えーと強い人では、大内九段、小野修一七段それから佐藤康光クンかな」

 佐藤五段とは同期なの。

「ええ、奨励会同期は他に羽生クン、森内クン、小倉クン、木下クンかなあ」

 凄いメンバーだね。よく入ったね。

「ええ。師匠の大友先生も、どうせ受かんないだろうけど受けてみなさい。経験のためにと言っていましたし。僕もそう思っていました。あ、その他にアマ名人になった竹中クンもいました。ところがマグレに受かっちゃって」

 その時の成績、覚えている?

「はい。受験者同士が4勝2敗。奨励会とは2勝1敗」

 ずいぶんいい成績じゃないの。これでマグレ。

「入ってからすぐ負けまして7級に落ちましたから、その時手合が違うなって思ったんです。でも7級に落ちてすぐ3連勝したんで、かえって自信がつきました。それから割と勝てるようになりました。香落ちの勉強もしまして、ほとんど上手には負けないようになりましたから」

 羽生さんとはやってるの?

「僕が7級に落ちている間にパーッと上がっちゃったので少ないです。なにしろ僕が7級の時彼は1級か初段まで行ってましたから。でもその後彼がゆっくりしている間に僕が上がって羽生クンが三段で僕が初段で香落ち1局指しています。これは僕が勝ちましたがその後羽生クンは連勝して四段になっています。その上がる瞬間も特別対局室の同じ部屋で隣で見ていました」

 羽生さんは変わりましたか。当時と。

「ええ明るくなりましたね。かなり世間に慣れてきたんでしょうね。そういえば『オール読物』に『ハブ』という小説が出たんですが、あれはハッキリ嫌がってましたね。一応、文春から載せるけど、という連絡はあったらしいですね。でも将棋というのはメジャーじゃないので世間に認めてもらうチャンスなら、それはそれでいいんじゃないかという結論のようでした。先崎クンも出てくる小説なんですが彼も嫌がってました」

イメージ変えたい

 先崎さんは芹沢さんみたいな棋士になるのかなあと思って見ているんですが。

「彼は原稿書いたりいろんなところに出るのは将棋にとって不利なのはわかっているけど、押してやると言っていましたね。将棋界の暗いイメージを変えたいという気持ちが強いようです」

 そういう話ってよく仲間内で出るの。

「僕らの仲間ではよく話題になります。ですから島先生とかも意識的にやっているけど、評価していますよ」

 なるほど。それで竜王戦の公開対局(島-羽生)が実現したのか。今の若い棋士は将棋もしっかりしているけど、考え方もしっかりしている。

(中略)

引っ張っていく将棋

 将棋の棋風だとどういう棋士が好きですか。

「昔なら升田先生。自分からつくっていくでしょ、将棋を。名前出して悪いですけど、名前出して悪いですけど、南、森下って、くっついていって、もし相手がミスしたらとがめるタイプでしょ。失礼ですけどそういうのは楽だと思うんです。僕は性格的にも自分から引っ張って将棋を作っていきたい方ですね」

 今の棋界は若手の研究が先行して、それに引っ張られてベテランがついていく展開でしょう。

「共同で研究しているとある局面の結論について信頼できるというか安心できる面がある」

 でもそれだと皆同じになっちゃわない。

「ま、それはベースがあって、そこのデコボコで自分が感じたものを自分なりに工夫して自分のものにするから、個人差は出ます」

 昔は研究している人が少なくて、ちょっとでもやる気がある人は伸びた、と中原名人が言ってたけど、今は皆がやってるでしょ。するとやってない中堅クラスのベテランは困るでしょ。

「今の将棋は終盤の戦いを序盤にさかのぼって、ここの歩を突いとけばあの形になった時勝てる、まで進んでいますので、序盤ぼんやり指している人は勝てないと思いますよ」

 今は米長さんまで研究しているらしいね。

「序盤ベタといっていた米長先生もやはり序盤離されると苦しいと感じたのかもしれません」

 ベテランの棋士でも研究はしているんでしょうけどね。

「この間研究会で青野先生に一番願ったんですが、序盤の一手一手に、研究しているなあって感じました。必ず味付というか工夫が入ってるんです」

 好きな戦法は。

「矢倉と相掛かりです」

 こりゃ素人には指しにくい分野だな。

「矢倉はハッキリ言って難しいでしょうね。ほとんど序盤の一手で勝負がつくこともあります。一手勝ちの差がどうやっても縮まらないのです。矢倉は研究が進んでますから歩ひとつ突いた突かないで、駒組み負け=負けにしちゃう」

 相掛かりも屋敷さんの将棋見てると感覚が他の将棋と違うね。

「彼はそうとう指していても研究してます。あの形はほかのと感覚が違ってますからね。彼の感覚に合ってますよ」

昔10年、今20勝

 でも、昔の小堀先生なんかは、腰掛銀で10年は楽に食えたわけじゃない。でも今は塚田さんは塚田スペシャルで20勝稼いだといっているけど、それだけでもう潰されちゃうんだからね。凄い時代だ。

「恐らく近代では一番進歩している時代なんでしょうね、今は」

 遊びの話をしようか。麻雀は。

「先崎クン、中田功さんなんかとやります。でも僕はあんまりギラギラになって賭けてやるの好きじゃない。100円(1000点につき)かせいぜい200円でガラガラとパイをかき回しているのが楽しいですね。お金に対してあまり執着ないんです」

 スポーツも好きとか。

「野球は観るのもやるのも。他は、全部観ます」

 どこが好き?

「巨人です。なんか間抜けな負け方するでしょ巨人って。原なんてチャンスに弱いし。川相は一生懸命やるし。なんかそれぞれ人間臭いところがあるでしょ。西武は嫌いですね。広岡とか森とか、監督が冷たそうというか、腹の中がわからないというか。藤田は少なくとも人を裏切るようなことはなさそうですよ」

 そういえば、曲がったことが嫌いとか。

「はい。将棋やってると、相手の気持ちが読めるんです。ナニ考えているか。でも自分の気持ちは隠そうとするんですね、習性で。僕はこれ嫌いで、友達と話すときは意識して平等というか地を出そうと意識していますね」

 サラリーマンになりたくなかったというの、子供のころですか。

「ええ、ヒーローっているでしょ。長島選手とか。ああいう人サラリーマンじゃない。(笑) 天邪鬼だったのか、怖さを知らないというか。みんな受験勉強していい大学いい会社目指すんですが、あの流れに入りたくないみたいな。ところが高校(駿台学園)入ったら少し考え変わりましたけど。今は逆に将棋指しよりも一般の人と遊ぶ方が好きです」

 皆と同じ方向へ走っていくことにどうも乗れない。ちょっとはずして斜めの角度から自分の依って立つ所を眺める。

 統治者権力者から見ると可愛くない奴だが、こういう人がたくさんいる社会は知的成長の可能性がある。郷田クン、このまま、走れ。

—–

郷田真隆九段が四段になったばかりの頃のインタビュー。

自分から引っ張って将棋を作っていきたい、曲がったことが嫌い、など、この頃から郷田九段らしさが嬉しくなるほど現れている。

—–

「それはベースがあって、そこのデコボコで自分が感じたものを自分なりに工夫して自分のものにするから、個人差は出ます」は、非常に論理的で的確でわかりやすい言葉だと思う。

—–

小説「ハブ」は、オール読物1990年6月号に掲載された四方山坂さんの作品。

1991年の将棋ペンクラブ大賞雑誌部門話題賞を受賞している。

私は「ハブ」は読んだことはないが、実名小説という形をとっていたようだ。

将棋マガジン1990年7月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。

 結婚式は島らしいいい意味でのこだわりが感じられて、楽しかったが、その折、出席した棋士達の間で「ハブ」という小説が話題になった。

 オール読物の新人賞応募作品で、棋士が実名で登場する。ハブとは、羽生善治のことである。小説だから話は荒唐無稽、事実と全然ちがうが、作者はカンの鋭い人らしく、うがった見方のなかに真実にふれている部分もある。カラッとしていて嫌味はないが、なにせプライバシーにうるさい将棋界だから、オール読物の編集部は、登場する棋士達にゲラを送って掲載の可否を問うた。

 当事者達はいい返事をしなかったそうだが、そんな事情を聞くと、本欄でゴシップを書くのをためらってしまう。

 あるマスコミ人がいうには、将棋界のスキャンダル(があったとして)が外部にもれないのは、棋士に気を遣っているからではなく、マイナーな世界だからだそうである。

 ならば、なんであれ将棋が話題になるのはいいことだと思うのだが。

—–

将棋界が明らかに多くの媒体で取り上げられるようになったのは、この4~5年後から。羽生善治名人が七冠にリーチをかけてから世界が大きく変わった。