将棋マガジン1991年3月号、羽生善治前竜王の「羽生善治の懸賞 次の一手」より。
正月
子供の頃からのイメージだと、正月は家でのんびり過ごせるもの、と思っていました。それがここ数年、家にいるのは元旦だけで、松の内は将棋まつりや他の仕事があってほとんど出掛けています。
雑煮を食べたか食べないかの内に松が取れている、という感じです。
でも慣れとは恐ろしいものです。体の方がそれについていってしまうのですから。
正月といえばお年玉ですが、ここ2、3年はもらいません。逆に、あげる側になってしまいました。ただし、小さな子供だけですけど。
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この時、羽生善治名人は20歳。
「ここ2、3年はもらいません」ということは、羽生名人は、高校時代まではお年玉をもらっていたことになる。
羽生名人は中学3年の12月からプロ棋士になっていたとはいえ、お年玉をあげる方の立場からすれば、そのようなこととは関係なくお年玉を渡していたのだと思う。
2013年のマイナビウーマンの調べによると、「お年玉をもらうのは何歳までが適切だと思いますか?」の質問に対し、最も多い回答が「20歳まで」だった。
そういうことからすると、「ここ2、3年はもらいません」というのは、くれる人がいなくなったのではなく、くれようとしてくれる人はいるけれども受け取らないようにしている、という意味なのだろう。
20歳の若さで、お年玉をあげられるようになるということは、本当に立派だと思う。
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私は子供の頃、餅が嫌いだった。(今でもそんなに好きではない)
餅を喉に詰まらせて亡くなる人がいるということを聞き、そのような危ない食べ物とは関わりを持たないようにしようと思ったのが、嫌いになるきっかけだった。
おまけに、おせち料理は、「そんなに美味しいものなら1年中需要があるはずなのに、正月以外は誰もおせち料理を食べない」という客観的事実、「栗きんとんと黒豆以外は食べたいと思うものがない」という主観から、私は正月も普段と変わらないものを食べたいとする派だ。
もちろん、正月を正月らしくしてくれる風情を持った料理であることは理解できるが、餅とおせち料理は、私の中では縁遠い世界。
昔、「おせちもいいけどカレーもね!」というテレビ広告を見た時は嬉しくなったものだった。