林葉直子「私の愛する棋士達 第3回 谷川浩司竜王の巻」

将棋マガジン1991年3月号、林葉直子女流王将(当時)の「私の愛する棋士達 第3回 谷川浩司竜王の巻」より。

「谷川浩司竜王婚約」

 という記事が新聞をにぎわすことになるのはいつの日だろうか……。

 仲のいい中井広恵女流と私は二人でオシャベリする度、なぜか谷川竜王の話で盛り上がる。

「将棋界の大物が結婚するって情報が流れてるんだって」

「えぇー、じゃ谷川先生が結婚しちゃうの」

「うーん、まだハッキリしないみたいだけど」

「そんな……ショックだわっ……」

「そうよ…。直子ちゃんどうする」

「どうするってったってしょうがないじゃない……。でも、その情報は確かなの?」

「んー、けっこういい加減なウワサかもしれないけど」

「……だといいけどねぇ」

「寂しくなっちゃう……」

「そうよ、結婚したら絶対私達と一緒に食事に行ってくれたりしなくなるわよ」

「あーあ、つまんないの」

「もうきっと、ご馳走してくれないネ」

「イヤな顔しながらも付き合ってくれた谷川先生……」

「清々するかな」

「そりゃそうよ、だって失礼な事ばかり言ってるし、私達は谷川先生と一緒にいて楽しいけど」

「そうなんだよね」

「からかうと困った表情が可愛い」

「そうそう、作られたイメージがあるけど、しゃべると感じが違うんだよね、これが」

「案外、見栄っ張りなところなんかも面白い」

「フフッ、そういうところがまたイイんだけど」

「しゃべり易いよネ」

「やさしいから低俗なレベルに合わせてくれてるんだわ」

「うん。ほんとうにイイ先生だから幸せになってほしいよね」

「でもさ、谷川先生って女性を見る目があると思う?」

「んー、美人に弱いっていうのがちょっと問題があると思うけど」

「いえてる」

「美人で、頭が良くてやさしくってちょっと気の強い女性が好きなんでしょ」

「女ってわかんないからねぇ」

「なかなか、そう簡単にそういう条件の揃った人っていないんじゃない」

「そうだよ」

「騙されなければいいけど」

「んじゃ、私達がお嫁さん候補の面接をしてチェック入れてあげようか」

「あー、それがいい。どんなにステキな女性でも全員不合格にする」

「そう。そうすれば、谷川先生はずっと独身で、私達と食事に行ってくれる」

「グッドアイデアじゃない!!」

「そうしようよ」

 と、私と広恵ちゃんは二人して手を取り合い自分たちの考えに満足するのであった。

    

 いつでもどこでもみんなの話題になる谷川竜王。

 将棋はもちろんのこと私生活のことまで詮索されてしまうというのはご本人にとっても迷惑な話だろうが、それだけ人気者という証である。

 21歳という若さで将棋界の頂点を極めたお方だ。

 初めて谷川先生にお会いしたのはちょうどその頃だったか。

 21歳という若き名人の印象は”やはり名人になる人は違うなァ”ということと”背が高くて無口な先生”だった。このとき私は15歳。

 当時は恐れ多くて話しかけることすら失礼だと思っていたのだ。

 おっと、こんなことを書いては、今はどうなんだ!とお叱りを受けそうだが、それは今でも私の心の隅では変わりない。(本当です)

 ここ三、四年ぐらいだろうか、将棋まつり等でご一緒させていただく機会が多くなり、お話しできるようになったのは。

 そして私は谷川先生の知られざるチャーミングな部分を知ることができた。

 たとえば何か頼みごとをされると、ブツブツ言いながらも断れないという優柔不断なところ。

(どこがチャーミングなんだろか)

 カラオケスナックに行き、谷川先生の歌を聴きたいと曲目を挙げれば

「いやぁ、私その歌はあんまり…」

 と言いながらも見事に歌いこなしてくれるのである。

 どこで練習なさってるのか、本当に上手い。

 将棋の抱負に関してもコメントはいつも謙虚な谷川竜王。

 しかし、結果的には見事にそれを自分のモノにしているというのも、こういうところで見え隠れしているのだ。

 物腰がやわらか、言葉遣いが丁寧で何にしても謙虚なお人柄。

 人のことを悪くいうことは聞いたこともないし、どんなに疲れていてもけっしてそれを表面に出さずに、その場の雰囲気に合わせる。

 流れに逆らわず、いつもクールでやさしい谷川竜王。

 欠点のないところが欠点だ!と言ってる人もいるぐらい。

 しかし、一見完璧に見える谷川先生にも弱点があるのを、私は発見したのである。

 せっかくお仕事で谷川先生とご一緒させていただいているんだもの、何かおしゃべりしたい。将棋のことを訊こうか……。

 しかし、天下の谷川先生に対して将棋のことを訊くというのは、大変失礼なことではないかと思った私。

 では、どうすればと思いながらも口から出た言葉は、

「谷川先生、彼女とはうまくいってるんですか?」

 平成を装ってるものの、ちょっと表情が変わる谷川竜王。

「誰から聞いたんですか、そんなこと」

「みんな、谷川先生のことに興味があるようで、いろんな情報を聞いてますので」

「……しょうがないですねぇ」

「で、もうそろそろご予定が?」

「……」

 無礼者! と一喝されればそれまでの話で、これ以上こういう話題に触れることもないのだが、腹が立っててもけっして怒らないのが谷川竜王。これが最大の弱点だ。

 最近では、ファンの方からもそのテの質問が多いようで、

「また、その質問ですか?」

 とボヤいておられる。

 真剣な眼差しで将棋を指しているお姿もステキだが、私はどちらかといえば、少し困った表情の谷川先生の顔を見るのが好きだ。

 おかげで谷川先生を困らせる術が身についてしまった。

「また中井、林葉と一緒ですか…」

「たまには、いいじゃないですか」

「いやー、ちょっとぉ……」

「ちょっと、なんですか」

「いえ、別になんでもないですが」

「そーですよね、まさか私達と一緒なのがイヤだって、おっしゃりたかったとか?」

「そうです、っていったら怒りますかね」

「谷川先生ひどい!」

 広恵ちゃんと私が絶叫すると、耳を抑えながら、フォローをして下さる。

「いやいや、お二人とご一緒だなんて光栄です」

 まったくこの娘たちは、どうしようもないという表情で。

 本来は、私にとって谷川竜王というのは将棋界の第一人者であるから神サマのような存在のお方なのである。

 中井女流ともそれを話す。

「私たち、谷川先生に、ずい分失礼なこと言ってるよね」

「本当は、一緒にいることすら恐れ多いのに」

「そうなんだよね、だから私たちも今年は失礼のないよう言動を慎もうか」

「そうしようか」

「でも、谷川先生寂しくないかな」

「そっか、いきなり私たちがおとなしくなったらビックリするわよ、きっと」

「じゃ、今までのまんまでいいんじゃないかしら」

「そうよね」

「ねぇねぇ、ところで新しい谷川情報何か入った?」

「また同じようなもんよ、ガセネタじゃない?」

「つまんないの。でも、結婚しちゃうともっとつまらない」

「困らせることできないものネ。唯一の弱点がなくなってしまうわ」

「そうよ、人間完璧じゃないほうがいいのに」

 と、なぜか笑いながら私と中井女流は目を潤ませるのであった。

 いやでしょうけど、ちょっと困った顔のステキな私の愛する谷川竜王、益々、将棋でも私生活でも!? がんばっていただきたい。

    

直子の谷川浩司分析

〔特徴〕

 28歳で独身!四月には29歳…。

 六甲アイランドの豪華マンションを昨年購入された。

 谷川先生に不釣合いな!? 可愛らしい建物なのだ、これが。

 きっと先の展開を読み切っているのだろう。

 そしてこのマンションをキャッシュで買われるあたりが谷川竜王らしい。

(中略)

 そんなリッチな谷川先生は、現代女性が結婚相手の条件に求める”3高”というのは完璧にクリアしている。

 ちなみに”3高”とは、背が高い、高収入、高学歴(地位)。

 将棋の寄せは天下一品だが、女性に対する攻めはまだまだ甘い!?

〔口グセ〕

「えぇ、そうですねぇ」

「ええ、まぁ、そんなものですねぇ」

 しゃべる前に「えぇ」と言うのが谷川流。そして「そうですねぇ」の語尾の「ね」を少し伸ばして「ねぇ」という独特!?ないいまわし。

 甘い声で品よく丁寧なしゃべり方は、なかなか真似しにくい。

〔趣味〕

 カラオケが大好き。

 何でもゴザレ、という感じ。

 中でも、ニューミュージックの分野が一番お得意のよう。

 演歌はあまり歌われない。

 最近聴かせていただいてビックリしたのは、少年隊の歌を塚田八段と二人でハモっていたこと。

 たしか「仮面舞踏会」というノリのいい曲だったか。

〔性格〕

 見てとおり温厚なお方。

 表情はあまり変わらないが、やはり勝負師であるが故、相当な負けず嫌い。

 常に責任感や使命感で溢れている。

 そして、意外だがけっこう口が悪いという評判を男性棋士から聞く。

 ただし、質のいい口の悪さだそう。

 私は数多く言われたかもしれないが、鈍感なのでちっとも気が付かない…。

〔棋風〕

 私なんかよりもファンの皆さまのほうがよくご存知のはずである。

 将棋雑誌には必ず谷川竜王の華麗な光速の寄せについての局面が掲載されているから、これは省かせていただくとする。

〔対局中のクセ〕

「ンッン」と、二度ほどノドをたまに鳴らすのが特徴。

 背筋をピーンと伸ばしている。

 対局中にハカマの脇、ちょうど腰のあたりに手を入れて考える、というのを私は衛星放送の「竜王戦」を見ていて気付いた。

 扇子はご自分のをお持ちになっている。

 考慮中にパチンパチンと鳴らすよりも、どちらかといえば掌でクルクルと扇子を回しているよう。

 そして将棋盤を見ずに、扇子を見つめながら光速の寄せを考えている。

 ピシッと指す駒音は、あくまでも上品に静かに…。

 某棋士によると、イヤミがなくものすごくきれいな指し方だそう。

 なんてったって、お美しい指先は国宝級である。(ちょっと大ゲサですが)

 勝っても負けても変わらぬ表情。

 感想戦では常にひかえめな意見を述べられる。

※ ※ ※

 谷川竜王へ。

 本当に失礼なことばかり書いてゴメンナサイ。

 でも心の広い谷川先生のことですから、口をきいてくれないなんてことないと信じています。

—–

谷川浩司九段は、この翌年、1992年に結婚する。

将棋マガジン1992年8月号グラビアより。

 谷川浩司竜王が5月28日、東京千駄ヶ谷の将棋会館で婚約を発表した。お相手は名古屋市在住の恵子さん(24歳)。愛知県立大学文学部卒業後、名古屋銀行秘書室に勤務している。身長162cm、スラリとしていて、可愛らしいお嬢さんである。棋界のプリンス谷川竜王の婚約記者会見とあって、当日は報道陣が押し寄せ、質問を浴びた。二人の出会いは、谷川竜王の母・初子さんの知人の紹介で4月18日に神戸でお見合いしたこと。

「4月、5月は幸か不幸か対局がなく(谷川)、十分にデートを重ねる時間があり、一ヵ月足らずの5月10日にプロポーズしたという。4月に30歳になったばかりの谷川竜王、棋風そのまま光速流の寄せだった。結婚式は10月3日、神戸ポートピアホテルで行われる。

1992年3月のA級順位戦、谷川竜王はプレーオフで高橋道雄九段に敗れ、名人挑戦を逃がしている。

災いを転じて福となした、最も良い事例と言える。