内藤國雄九段と『ベン・ハー』を見る夕べ

月刊宝石2002年7月号、湯川恵子さんの「将棋・ワンダーランド」より。

  アメリカ映画の超大作「ベン・ハー」が、正月に再上映された。ビデオで何度か観たことがあるので私はピンと来なかったが、日本での初上映は1960年。以来42年ぶりのことだ。
 「ル テアトル銀座」にて、思いがけない形で見た。「内藤九段と『ベン・ハー』を見る夕べ」(主催・近代将棋社)。
 映画館に将棋の大盤が持ちこまれ、並んだ配置が、
 昨年の近代将棋誌10月号の、特別懸賞詰将棋として発表された、「ベン・ハー」です。
 映画の前にこの作品の解説会と、そして作者である内藤国雄九段の講演があった。
 一般読者には「おゆき」を歌うきれいな高音やNHK紅白歌合戦の審査員役のほうが有名でしょうが、将棋のほうもタイトルを取ったし、1昨年1千勝を達成した有数の棋士。
 むかし茨城県での催しに同行したとき、大きな看板に「内藤国雄を囲む夕べ」とあった。九段とか先生とか肩書きがない。呼び捨てで看板にされる芸をもった稀有な棋士なのです。
 インタビューしたときは神戸弁で苦労した。そのまま書いたら大阪弁との区別がでない。内藤九段のやわらか~い神戸弁を文字に表すのは難しかった。注文つけられたわけじゃないが、そういうことをとても気にかける人だなと私は感じたのです。 42年前、新米棋士だったときに映画「ベン・ハー」を見た。「超大作という言葉は今でも心に興奮と感動を呼び起こす特別な響きを帯びている」ーー
 特に戦車競争のシーンに感動し、詰将棋で表現できないものかと考えた。創作にとりかかって10年経っても満足いかず、組み立てては崩し組み立てては崩し40数年の歳月が流れた。
「これ以上やり直していたのでは私の命がもたない。神様もこの辺で許して下さるだろう」
 111手詰め。この数字も、いかにも内藤九段らしいお洒落な感覚が表れていると思う。
 戦車競争のシーンの感動を託したその手順は初手▲3七香。以下△3二香▲同香成△同玉……。玉の位置が一升ずつ移動し盤上全体に壮大な流れを作る。 最後は9六地点で詰む。
 途中33手目の竜の王手に対し普通に歩を合い駒すると97手詰み。この難所で回答者の半分は脱落するだろう。桂合いが正解で111手詰みになる。
 42年ぶりの「ベン・ハー」。超大作の感動は変わらなかったが内藤九段は、若い頃には聞き過ごしたなにげないセリフ、たとえば「お慈悲を……」という言葉に心を動かされたそうだ。

——–

近代将棋の主催で「内藤九段と『ベン・ハー』を見る夕べ」が催されたのは2002年1月20日(日)のこと。

私も参加している。

ロビーで行われた内藤國雄九段による「ベン・ハー」の解説と講演が終わった後、当時の将棋ペンクラブの幹事だった週刊誌のアンカーのSさんから「3時間半も続けて映画を観ると疲れるし、映画の見せ場は後半だから、これから軽く飲みに行こう」という提案があり、私はその話に乗ることにした。湯川博士さん、湯川恵子さんも一緒に飲みに行っている。

飲みに行くと言っても、ドイツ料理系洋食店でアイスバインやパテをつまみにビールを飲み続けるといった程度。

1時間半ほどしてから映画館に戻り、そこから映画「ベン・ハー」を見始めた。

その日の模様→内藤國雄九段「ベンハー」

少し酔っ払っていても寝ることなく、最後まで面白く観ることができたのだがら、「ベン・ハー」はすごい映画だと思った。

——–

「神戸弁で苦労した。そのまま書いたら大阪弁の区別がでない」。

たしかに難しい問題だ。

ネットで調べると、例えば「なにしているの?」は、

神戸弁だと「なにしとぉ?」、大阪弁だと「なにしてんねん?」、京都弁だと「なにしてはるの?」のような違いがあるという。

しかし、一言一句、話す言葉を文字にしたとしても、そううまくいくものでもない。

湯川博士さんがどこかで書いていたが、方言を文章に盛り込む時は、方言100%にするのではなく、方言の中に標準語を含ませた方が良いということだ。

私の故郷、仙台弁で試してみたい。

標準語:「ちょっと待って。そのままいくの?みっともないからアイロンのかかったスラックスはいて行ってよ」

100%仙台弁:「ちょっと待ってけさいん。そんまんまいぐのすか?みったぐないからアイロンぐれかがってるズボンこはいで行ってけさいん」

これを湯川流にすると、

「ちょっと待って。そのまま行ぐの?みったくないからアイロンのかかったスボンはいていってけさいん」

のような感じなのだろうか。

それにしても、実際にやってみると難しい。