将棋世界1981年9月号、能智映さんの第22期王位戦〔中原誠王位-大山康晴王将〕第1局観戦記「終盤の大逆転劇」より。
大山は昨夜の麻雀の話をしながら駒を進める。得意の四間飛車だ。中原の9六歩に端を受けずに7一玉。ここで手が止まった。熟慮31分、意を決して9五歩と詰める。以後中原陣は俗にいう四枚高美濃に、大山陣は高美濃(1図)になっていく。
ふらっと大山が控え室に現れたとき、タイミングよくテレビ局から「どんな駒組みですか?」の問い合わせの電話。私が「銀冠」と答えると、「いや、高美濃ですよ」と大山。
「西と東では表現が違うんですよ。シルコとゼンザイみたいにね」に、みなわかったような、わからぬような顔をしてうなずく。
板谷進八段は繁華街の西武デパートの前で大盤解説だ。ちょっと見に行ったが、猛烈に暑い。しかも丑の日とあって隣でウナギの蒲焼きの大売り出しをやっている。その煙が風の具合で大盤の前を漂う。それでもやり過ごすのが板谷流。「1年分のウナギの匂いをかいじゃったよ」と満足げだからおかしい。
時々、控え室に現れる大山、ホテルの担当者二人をつかまえて「あんたたち、麻雀強いでしょ、お酒も相当やるんじゃない?」と真顔で聞いている。その二人の名札を見ると「北村」「芹沢」と書いてあった。偶然なのだが、変な取り合わせだ。
夕食後は、誰がいい出したか妙な麻雀遊び。中原は仲間に入り、大山はニコニコ笑って見ている。10時すぎに二人は消えた。
(以下略)
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タイトル戦一日目、昨日の麻雀の話をしながら指している大山康晴十五世名人の姿がいかにも昭和で嬉しい。
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昔の関西では銀冠のことを高美濃と読んでいたとすると、高美濃は普通に美濃囲いと呼ばれていたのだと思う。つまり、片美濃も銀美濃もダイヤモンド美濃もすべて「美濃囲い」。
3八に銀、4九に金、2八に玉(7二に銀、6一に金、8二に玉)があればとにかく美濃囲い。
この辺のざっくりとした感覚が、古き良き時代の振り飛車の感覚そのものなのだろう。
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「美空」「五木」のような名札なら「あんたたち、歌うまいでしょ」と言われても通じると思うが、「北村」「芹沢」の名札で「あんたたち、麻雀強いでしょ、お酒も相当やるんじゃない?」と突然言われればポカンとするしかなかっただろう。
しかし、このようなところが大山流の人心掌握術のとっかかりのようにも思える。