「クライマックスはしめやかに」

将棋世界1995年5月号、鈴木輝彦七段(当時)の第44期王将戦第7局(谷川浩司王将-羽生善治六冠)観戦記「クライマックスはしめやかに」より。

将棋マガジン1995年6月号より、撮影は弦巻勝さん。

 王将戦がこれ程注目された事は、かつてなかったのではないだろうか。

 もちろん長い44期の中では、社会を揺るがす”陣屋事件”等もあった。しかし、それはあくまでも対局を取り巻く事件であり、対局そのものではなかった筈だ。

 仮に、香落ち対局が実現していれば、「名人の下手局」として棋譜を残すのみに終わったのではないか。名人の香落ち下手局が、棋士にとっては大変な事でも、社会現象になるとは考えられないのである。将棋を知らない人にとっては「か落ちって、そんな凄いの」といった感じだと思う。これは今でも同じようなものだろう。

 有名な”陣屋事件”をたとえにしてみたが、それでも、このシリーズと較べるのは無理があるのかもしれない。

 だいたいにおいて、将棋界が将棋を知らない人達を巻き込んだ事があったのだろうか。新旧の名人の交代劇ですら、やはり密室の出来事であったような気がする。

 その意味では、このシリーズが将棋界初の表舞台という事になる。

 将棋界が満を持した初舞台だけに、シナリオは完璧に出来上がっている。

 羽生が名人・竜王を取ったのが第一幕なら、美男の郷田に王位戦の仇を討たれそうになる、王将戦プレーオフが第二幕になるだろう。この辺で若い女性の紅涙を絞る事になっていた。

 そして、いよいよエピローグ、第三幕が谷川王将との大決戦である。

 それも、3月23、24日の第7局。これが平成6年度最後のタイトル戦というのだから憎い。と、本当にこんなシナリオがあるのではないかと思ってしまうような展開になってきた。

 もし、そんな脚本があれば監督、主演も羽生善治で、題名は「七冠への道」とでもなっているのだろう。

 しかし、その本の題名は数年前に谷川が使っていたのであり、目の前でそんな芝居を見せられては谷川としてもたまらない。とにかく、大変な大一番になったものだ。

 私の乗った、3月23日羽田発三沢行13時0分の便は知った顔で一杯だった。数百人の乗客全員が「奥入瀬グランドホテル」に行くのではないかと思った程だ。事前にも、100社以上のマスコミが現地に行く、と聞かされてもいた。

 このマスコミのフィーバーぶりも、ある程度は予想がついていた。第6局が羽生勝ちとなった時には、副立会として現地にいた私にも、テレビ、写真週刊誌からの取材が多かった(普段はくる事がない)。

 「七冠はどうですか」と最近よく訊かれるが、単純には答えられない。島君がいうように「棋士として一度は見てみたい」という気持ちもあるし、「谷川さんにせめて一冠は守ってもらいたい」という気持ちも正直言ってある。よほどのファンでない限り、両方の想いを持っているのではないかと考えている。

(中略)

 3時半過ぎに現地に着き、モニターに映る二人を見た。追い上げる羽生に竜王戦の最終局に見せた緊張感もなければ、谷川に追い詰められた悲壮感も感じられなかった。羽生はともかく、谷川にとって、この一局で敗れて無冠になることは、順位戦のクラスを下がるようなものである。当然、順位戦の最終局に棋士が見せる姿があっても不思議ではない。

 それは、A級からC2まで形は違っても似たような重苦しさをかもし出すものだ。それが、谷川にはなく、本当に澄んだ目をして盤に向かっている。

(中略)

千日手局

 第7局は1図の▲3五歩で第5局に別れを告げ、33手目▲5七角の新手で類似局もなくなった。2図の▲7五歩を「少しありがたい」と谷川は思ったようだ。これは局後にも言っていたが、別の所で雄弁に語る事になる。

羽生谷川王将2

 1図、2図と軽く飛ばしてきたが、指し直し局で詳しく書く事にする。そう、この将棋は千日手になり、41手目の▲7五歩から変化するのだ。

 それはともかく、羽生の「全く読んでいませんでした」という48手目の△8四飛が好手で先手がやや苦しいようだ。3図の△3五歩とされた所では何かありそうだが、▲6六銀、▲6六金、共に△7四飛でいけない。結局、ここから羽生は千日手の構想を描く事になる。

羽生谷川王将3

3図以下の指し手
▲同銀△同銀▲3七香△3六歩▲同香△同銀▲同飛△3四香▲3五歩△同香▲2六飛△1五銀(4図)▲2五飛△2四銀引▲2六飛△1五銀▲2五飛△2四銀引 以下千日手

千日手回避の手は谷川に何度もあった。△3六歩では△3四歩が、最後の△2四銀引では△2四銀上等。もし、谷川から千日手を望むなら△3四香では△3五香が確実。本譜は▲3五歩で▲2六飛の余地があった。この間の手順に微妙な心の揺れが見てとれる。

羽生谷川王将1

 4図は千日手成立の局面。▲2五飛△2四銀引の同一局面が続いてしまう。

 「千日手」と聞いて、プレスルームに陣取るマスコミの人達は一瞬何が起こったのか分からなかったようだ。将棋の千日手を知らない人もかなりいたが、これは無理もない。大盤解説会の人達の中にも知らない人がいたのだから。

 中には、「どちらが勝ったんですか」という人もいたから、動揺の大きさも分かって頂けると思う。

 6時前後の終局を予想し、結果によっては新聞の一面やテレビのニュース枠を予定していたマスコミの人には言葉もなかった。

 有吉立会人の「大変な事になりました」が全てを代弁しているように思えた。

 それからは規定通り、4時からの指し直しが決まり、感想戦もなく、対局者は自室に引き揚げた。この判断は良かったと思う。両対局者の事を考えて、後日の指し直し等の提案はどうかと思う。規定を知りながら千日手にするのも一つの勝負術であり、考えて千日手にする事もあるだろう。

 千日手局も指し直し局の内に入ると考えるからだ。

指し直し局

 先後を入れ替え、谷川王将が先手になった。これを、一日目の振り駒が先手になった、と思えばそれだけの事だが、先手を自力で取った、と考えれば気持ち一つ有利になれるのではないだろうか。

 控え室では森内新八段が、25手目の▲3七銀(5図)まで同じになるのでは、と言っていた。一同は「まさか」と思っていたが、予言通りに進むのに呆れてしまった。森内は霊媒師の素質があるのではないか。そう言えば、ここは恐山にも近かったのだ。

羽生谷川王将4

 次の△8五歩が一番驚いた手。これをどう説明していいか分からない。羽生はこのシリーズ、ずっと△6四角で戦っていたからだ。いわば、△8五歩は谷川作戦である。

(中略)

 前後して申し訳ないが、33手目の▲5七角(6図)は前局(=千日手局)での羽生の工夫。「羽生新手」と言ってもいいかもしれない。他の将棋では▲6五歩とするのが多かった。

羽生谷川王将5

それよりも、本局で谷川が▲5七角としたのが面白い。いくら情報化時代とはいえ、こんなに早い2号局はめずらしいだろう。指先で「▲5七角は流石にいい手でした」と言っているようなものである。そして、羽生も「△4二銀から△3三銀は柔らかい指し方で感心しました」と指し手が物語っている。

 それにしても、指し直し局が千日手局と同じ様に進んだ対局があったのだろうか。とにかく、お互いを認めていないと出来ない事である。将来、この第7局を語る時、必ずこの同形局の事も話題になるだろう。

羽生谷川王将6

7図の▲3五歩で初めて変化した。(▲3五歩の直前までは千日手局と同形)羽生は▲3五歩は△4三銀でどうかと読み、谷川は▲3五歩がイヤだった事になる、前局はやはり生きていた。

(中略)

羽生谷川王将7

 9図の▲5五桂が打てて銀得が確定した。この辺を谷川は「指せる」と見、羽生は「苦しい」と言った。

 問題は10図の局面。

羽生谷川王将8

 銀損ではあるが、5七のと金が大きく「後手必勝」という声が聞かれた。慎重な森内までが、形勢を訊かれ「僕もそう思います」と言うに及んでは「夢の七冠誕生か」の声が上がった。

 主催紙以外の一面にタイトル戦が載る時代になったのである。本社から「どうですか」と訊かれる度に150人のマスコミ人が揺れ動いた。

 10図から▲4四歩△同金▲5六金△同と▲4四角と一直線に攻め合うのは直後に△6七とでも先手が勝てない。次に△3七歩が痛打であり、どれもこれも後手優勢を裏づけるものばかりだった。

 それにしても10図からの▲5五銀は良く指せたと感心した。持ち駒を使い、遊んでしまう銀をである。震えていたらまず指せない一手だ。

 11図の▲3四角を攻防に打てて「良くなった」と谷川は言っている。

羽生谷川王将9

11図以下の指し手
△5八飛▲5二角成△同金▲5七銀△同飛成▲6七金引△4八竜▲5三歩(12図)

 それも、△5八飛に対して、▲5二角成から▲5七銀、▲6七金引の好手順を知っていたからで、控え室の並の攻め合いは全て後手が勝っていた。

 12図の▲5三歩を見ている内に、これがとんでもなく速い事に気が付いた。

羽生谷川王将10

先程まで「後手必勝」と言っていた森内までが「先手がいい」と大盤解説会で言い出した。

 続く△5三同金が直接の敗着になってしまった。残り20分では仕方がないとも言えるが、△4二金右なら難しかったのだ。

(中略)

 予想していなかった△7八角にも▲5六銀が好手でハッキッリしてきた。慎重な森内君が「もう逆転はありません」と断言したが誰も信じていないようだった。

 しかし、変化の余地もない上に、後手の時間もなくなっていて逆転は望めそうもない。この時、前列に並んでいた羽生六冠王の追っかけギャルの目が潤んできたのが私にも見えた。

(中略)

 ともあれ、▲1六桂の必至に最後の50秒まで読まれて羽生が投げた。モニターで見ていたけれど、感動的なシーンであった。

 その後の事は、もう覚えていない。数十のカメラと人が対局室になだれ込んでいったのは記憶に少し残っているが。

 本局は谷川王将の会心譜と言っていいだろう。むしろ、内容よりも勝負術を称えたい。1時間近く消費時間に差をつけて千日手にしたのも大きく、指し直し局の△5三同金の悪手も、盤面からではなく人間谷川に指さされたという感が強かった。

 これからの二人は、研究よりも人間的な所で勝負がつくようになるのではと思う。

 ともかく、戦った二人には拍手を贈りたい。その背景を考えると言葉は出てこない。

 見出しも、「夢の七冠ならず」「谷川意地の勝利」等、色々考えたが、対局室の雰囲気のままに書かせて頂いた。

将棋世界1995年5月号より、撮影は弦巻勝さん。

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1995年の谷川浩司王将(当時)と羽生善治六冠(当時)による王将戦七番勝負第7局。

羽生七冠誕生は、この翌年の王将戦七番勝負でのこととなる。

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指し直し局が、先後が入れ替わって40手目まで千日手局と同じように進んだ一局。

鈴木輝彦七段(当時)が書いている通り、お互いを認めていないとできないことだろう。

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「羽生善治 闘う頭脳」に収録されている当時の文藝春秋の記事によると、羽生六冠はこの最終局について次のように語っている。

  • 勝負は早い段階で決まっていた
  • 自分の方は消極的な手が多かったけれど、谷川王将はすごくのびのびと指していた
  • 自分では気にしてないつもりでもやはりどこかで七冠を意識してのだと思う、きっと
  • 将棋は大胆さを持ってやらないと勝機がつかめないもの
  • 最終局は千日手になったため、持ち時間が一時間少なかったうえに、後手番で指し直しになった。この時点でもう分が悪い。そういった状況に自分を追い込んでしまったわけだから、どの一手というより、指し直し前の段階の作戦が悪かった

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羽生六冠が翌年の王将戦まで六冠を維持し続けていたこと、これは七冠王になったことに勝るとも劣らない凄いことだと私は思っている。

それにしても「クライマックスはしめやかに」、とても印象的なタイトルだ。