大山康晴十五世名人のあまりにも残酷な勝ち方

将棋世界2001年6月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。

大山についての一つの仮想

第41期A級順位戦
昭和58年3月8日
▲十五世名人 大山康晴
△九段 二上達也

▲7六歩△8四歩▲7八飛△8五歩▲7七角△3四歩▲6六歩△6二銀▲6八銀(1図)

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 大山-二上戦は162局の多きを数え、これは同一カードとしては中原-米長戦184局、大山-升田戦167局に次いで史上3位の記録で、対戦成績は大山の116勝45敗1持将棋となっている。

 これほどの対局数に達するには多くタイトル戦の番勝負をコナさねばならず、二人はタイトル戦で20回戦い、大山が18回制した。

 二上が大山から得たタイトルは王将と棋聖各一期のみで、意外と思われる大差がついている。

 なぜこれほどまでに二上が大山に分が悪かったかの一つの理由が、この将棋の最後に表れる大山の指し方にあるような気がする。

(中略)

 大山は先番では三間飛車をよく指した。

 これは、後手三間は急戦されるが、先手ならば対応できるとの考えがあったようである。

 現代では三間飛車に対して居飛車側は穴熊が多用されるが、二上は急戦策が多かった。寄せに強い棋質に合っていたのだろう。

(中略)

3図以下の指し手
△7三銀▲3七桂△4二金上▲1六歩△1四歩▲2六歩△8四銀▲6七銀△7二飛(4図)

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 後手は△7三銀と棒銀策を明らかにしてきた。四間飛車には棒銀との信念を持つ加藤一二三九段がいるが、それでも少数派で、いわんや三間飛車に対して採用する棋士は現代ではほとんど見かけない。

 それは予め飛車で備えた7筋を攻めるというのが率が悪いと考えるからである。

 だが二上も信念の士、百万人といえども我行かんだ。

 ▲2六歩と玉のふところを広げ先手の玉型は完成した。

 こうなれば後手は呐喊あるのみだ。△8四銀と繰り出し▲6七銀に△7二飛と力を蓄えて、いよいよ戦機は熟した。

4図以下の指し手
▲5九角△7五歩▲4八角△6五歩▲5五歩△同角▲7五歩△2二角▲7四歩(5図)

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 ▲5九角と引き△7五歩に▲4八角が振り飛車常套の防手。

 続いて△7六歩▲同銀△8六歩▲同歩△8八歩とこられても、そこで▲8五歩と突くのが絶妙の切り返しで、是非覚えていただきたい一手である。

 以下△同銀には▲8八飛がぴったり。

 また△8九歩成▲8四歩△8八と▲8三歩成も先手良し。

 △6五歩も当然の攻めだが、ここで▲5五歩と突き捨てるのが、これまた大いに手筋と云える。5筋の歩を切ることにより金銀の働きが広くなると共に、後に▲4五桂と跳ねた時に▲5三歩とタタくことができるのが大きいのである。

 ▲7五歩に△同銀は▲5六金が力強く△2二角▲6五金で良し。

 ▲7四歩と伸ばして8四銀の捌きを封じては形勢は先手に傾きつつある。

5図以下の指し手
△7五歩▲5六銀△6六歩▲6八飛△6二飛▲4五桂△6四銀▲6六角△4四歩(6図)

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 初級者には▲7四歩は△7五歩と打たれて取られそうに思われるかもしれないが、この交換により8四銀が全く働かなくなった効果を感じてもらいたい。

 ▲5六銀と進出できるのも5筋を切った効用だ。対して△6六歩は本譜の順でキレイに捌かれてしまうので、△6六角とするのはどうだったか。

 ▲6八飛△6二飛と利かせて▲4五桂が絶好の捌きとなり、振り飛車陣営全軍躍動の感がある。

 △4四銀は▲6六飛とぶつけられてしまうので△6四銀だが、今度は角を捌かれた。

6図以下の指し手
▲5三歩△4三金右▲6五歩△同銀▲同銀△同飛▲5二銀△3一銀▲4三銀成△同玉(7図)

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 4五の桂が最後まで働く。

 まず▲5三歩と利かす、これも5筋を切った効果で、手筋というものはいつまでもその効用が残る。

 次に▲6五歩から銀を手駒に加え、敵陣深く▲5二銀と打ち込む。

 4五桂の働きが強く、後手陣は柔道の固め技を掛けられたように身動きがつかない。憎らしい桂を△4五歩と取ると▲2二角成から飛車を素抜かれる。

 なんとしても8四銀の立ち往生がつらく、後手もこの銀を見るにつけ闘志が萎えそうになったであろう。

 それを奮い立たせ△3一銀と根性の踏ん張りである。

7図以下の指し手
▲5二歩成△同玉▲5三金△6一玉▲7七桂△6四飛▲4二金△同銀▲6五金△6二飛▲5四金(8図)

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 ▲5二歩成として5三に空間を作り、そこに金を打ち込む。△同金は▲同桂成△同玉となった時、▲4四角がネライの一手で△同角に▲6五飛と飛車を抜かれてはいけない。

 △6一玉と下段に落とし、そこで▲7七桂と今度はこちらの桂まで働いてきた。

 ここまで先手の動きには全く無駄がなく、素晴らしい舞を見ているような気分にさせる。

 ここから一転、手堅い収束に入る。

 △6四飛とさせてから金を取り、▲6五金と押さえつけ、△6二飛に▲5四金とジリジリと圧迫する。

8図以下の指し手
△6七歩▲6三歩△9二飛▲5八飛△7二玉▲6二歩成△同玉▲5三金△7一玉▲4二金△同飛(9図)

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 8図は既に勝負ありという形勢なのだが、二上は指し続ける。

 この勝負、二上には降級がかかっていて、そうやすやすと諦めるわけにいかない事情があった。

 大山とても事情は同じで、どちらも負けられぬ一番だったのである。

 △6七歩に▲6三歩と打ち返して△9二飛に▲5八飛となった局面は、後手に指す手がなくなっている。

 後手の悲愴な頑張りは続くが、形勢はいかんともしがたい。

 数手進んで9図となった。

 次の一手は誰の目にも明らかで、そこで終了と思われた。

 だが、しかし、大山の着手は信じられない一手であった。

9図以下の指し手
▲5三桂成△9二飛▲6三成桂(最終図) 
 まで、89手で大山十五世名人の勝ち

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 この局面、よほどのヘボでない限り、▲5一飛成と指すでしょう。あまりに単純な王手飛車で、そこで投了となるはずであった。二上もその覚悟で△4二同飛としたのであろう。

 ところが大山は、なんと▲5三桂成と指したのである。首を差し出したのに足をノコギリで切っているようなものだ。

 これでは二上も投げるに投げられない。もう一手△9二飛と指したが、▲6三成桂を見て遂に駒を投じた。

 この負かされ方はキツイ、ありていに云って残酷ですらある。それが勝負と云ってしまえばそれまでだが、これまでにもこれほど極端ではないにせよ、大山は幾多の棋士にこういった勝ち方をして相手にコンプレックスを植えつけながら巨大な存在になっていったとは考えられないだろうか。

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棒銀に対する大山康晴十五世名人のあまりにも見事な反撃と捌き。6図からの飛車の素抜きを狙った攻撃も印象的だ。

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それだけに、9図からの▲5三桂成がより凄惨に感じられる。

ギロチンでひと思いにやってくれと首を差し出したら、足を竹のノコギリで切られ始めたという図式。

大山康晴十五世名人が60歳、二上達也九段が51歳の時。

大山十五世名人が日本将棋連盟会長、二上九段が副会長の時。

何もこの年齢になってまで、そしてそのような年齢の相手にこのような油ぎったことをしなくてもいいのに、と思えるわけだが、この辺も勝負師の魂というところか。