将棋世界1993年5月号、鈴木輝彦七段(当時)の第51期順位戦B級1組・最終局「価値の座標軸」より。
特別対局室の加藤-森安戦は3図。
自力昇級の望みは加藤先生だけだが、負けた場合は内藤-福崎戦の勝者の昇級となるだけに、神戸組の森安さんとしても頑張りがいがある。
それにしても、3図の△2五銀は見た事はない。伝承芸能ではないから意味はないかもしれないが、森安さんの「一代の芸」といえるだろう。この指し方は誰もマネができない。
ところで、ここからの4手は指し手もさる事ながら消費時間に気が遠くなる。
3図以下の指し手
▲1六歩 96分 △2四歩 53分 ▲1七桂 51分 △1四銀 49分(4図)とにかく、気合の程だけでも判って頂ければと思う。
加藤先生は2年前にも同じ様な状況だったが、昇級の決まっていた小林八段に負かされているから、夢にも油断することはないだろう。裂帛の気合が大広間にも聞こえてくるようだった。
クライマックスは4図から端を突き捨てて▲2二歩(5図)と打った局面。
薄い攻めだが、△同飛なら▲9五香△同香▲3四歩と攻めるようだ。玉側の端だから凄い。
「心臓の上の肉を切らして肋骨を断つ」とでも表現する場面かもしれない。
本譜は▲2二歩に△4五歩▲5五歩△3一歩▲2一歩成△5五角と進んだ。
(中略)
私の対局も終わり、夕食休憩の少し前に4階のカウンターの前を通ると、加藤先生がメニューを見ながら困った顔をして「ウーン」と唸っていた。それが長考なのでどうしたのだろうと思ってしまった。
この大事な日に一日塾生がミスをしたのかと心配になった。いつも注文する鰻重が何かの手違いで「できなくなりました」とでも言ったのだろうか。
加藤先生が対局室に帰った後聞いてみると、2品追加注文したのだそうだ。こんな日に信じられない食欲である。
外での夕食を食べて帰ってくると恒例の順位戦研究が始められていた。
(中略)
加藤-森安戦は8図が研究されていた。桂、香得で先手が良さそうだったが調べてみるとハッキリしない局面だった。
しかし、8図からの次の一手こそB1以上35年の一手だと感心させられる手であった。この感覚がないと生き残れないのだろう。何と▲1二とと指したのだ。
働きのない1一とを動かすのが局面随一の好手であったのだ。
(中略)
8図以降波乱なく加藤優勢が続いていた。そして、0時16分。加藤先生が4度目のA級復帰を決めた。これも一つの記録かもしれない。
(以下略)
* * * * *
例えば、入学試験当日の昼食。食べたくないし、食べたとしてもほとんど味はしない。
対局の日も毎回入試当日のようなもので、ましてや順位戦最終日の夕食。
「加藤先生が対局室に帰った後聞いてみると、2品追加注文したのだそうだ」
食べたいから注文するのではなく、勝つため、良い将棋を指すためにベストを尽くしている姿なのだと思う。
冒頭の写真を見ると、なおのこと、心が打たれる。
* * * * *
3図からの長考の応酬が迫力満点。
5図から△2二同飛の場合の、▲9五香と玉側の端を犠牲にして3四に打つための一歩を得るという構想も凄い。
* * * * *
「8図からの次の一手こそB1以上35年の一手だと感心させられる手であった。この感覚がないと生き残れないのだろう」
8図からの▲1二とは、その後、▲1三とで歩切れを解消、▲3九歩と後手の飛車の利きを止めてから▲1四とと銀を取る大活躍をしている。
* * * * *
「加藤先生が4度目のA級復帰を決めた」
加藤一二三九段は53歳で4度目のA級復帰。
そして、2001年度、62歳までA級に在籍。通算では、名人・A級36期というものすごい記録を打ち立てている。