近代将棋1997年12月号、大矢順正さんの「棋界こぼれ話 釣り三昧」より。
過日、将棋連盟の控室で雑談していると、先崎六段が現れて、「また、何か釣りに行きませんか」と声がかかった。先崎六段とは春先に房総沖にご一緒したことがあった。こちらに異存があるはずがない。
「行きましょう。どうせ行くなら船を借り切って皆んなで行きましょう」
「悪くないアイデアですね。何人くらい集まればいいかな」
「最低でも10人は集めたい」
「それなら、女性に参加してもらうのが一番だね」
思い立ったが吉日、当日、対局の終えた山田久美女流二段を口説く。
「面白そうですね。近日、中倉姉妹と晴子ちゃん(斎田女流王将)と会いますから誘ってみます。あと、誰かに声をかけてくださいよ」
二日後に中倉姉妹の参加が決まった直後に
「和も参加します。車が必要なら出します。ただし、ミミズの餌は勘弁して下さい」と高橋女流初段から留守電が入っていた。
「先ちゃんから聞いたんですが、ボクも一緒に行きたいです」郷田六段からだった。
実は、その数日前のことだが、塚田八段、郷田六段と小生の釣り仲間と魚料理の店で食事した際に釣り談義となり、その面白さを吹聴しておいたのが功を奏したようだ。
深浦六段は愛妻同伴となった。家の近い久保五段は、強制的に参加させられた。
野月四段は車を提供してくれることになったので助かった。最初は渋っていた佐藤紳哉新四段も「話を聞いていたら参加したくなった」といい、前日、仙台でJT杯の記録を終えて馳せ参じることになった。
山田二段が、熊谷の自宅から愛車で来ることになったので、全員の足の心配はなくなった。この時点では何を釣るかは決まっていなかったのだが、総勢12人が参加となった。
何しろ急な話なので、これだけ集まればヨシとしなくては。
高群女流二段に会ったので、声をかけた。
「二人で参加しませんか」
「私たちがいくと台風になりますよ」
納得! 船釣りは雨は困る。ご遠慮いただいた方が無難のようだ。
難しい釣りをやるより、楽しい釣りを、ということで東京湾、浦安港から天麩羅船をだすことになった。
ハゼを釣り、天麩羅にして食べちゃおうというのだ。船では他に天麩羅の食材を用意してくれるから、釣れなくとも食べられる。
塚田夫妻の不参加のお陰(?)で、あまり天気予報は良くなかったが、薄日もさす釣り日和となった。
船に乗る前から豪語していた山田、高橋女流は「餌は付けられません。誰か付けてくださ~い」となる。
「嫌だ、試練だ。自分で付けなさい」
野月四段の冷たい声に高橋初段は頬を膨らませる。餌の器の中でイソメがニョロニョロとしただけで「きゃ~」と悲鳴をあげていたのは山田二段。
「何よ、こんなもの」
平然と餌を摘んで千切っていたのが中倉姉妹だった。
深浦六段は、小さいときに釣りの経験でもあったのだろう。手際よく奥方に手ほどきをしていた。
スナップスローで遠くに投げる業を覚えて郷田六段は、専ら投げ専門。
船尾で高橋初段が泣いている。
隣の佐藤四段は知らんぷり。さては喧嘩でもしたかな?
「コンタクトレンズにゴミが入って痛~い」
お昼近くになって船の中央に天麩羅が揚がってきた。朝早いので朝食抜きだったせいもあって食欲は旺盛。
次から次へと揚がってくる天麩羅はあっと言う間になくなっていく。
船の上で飲むビールも、また美味しかった。
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上の写真は時計回りに、(段位は当時)
天麩羅を味わっている郷田真隆六段、
その隣が誰なのかは判別ができない。(野月浩貴四段、山田久美女流二段、高橋和女流初段、深浦康市六段夫妻、先崎学六段のうちの一人)
船上に目を向ける中倉宏美女流1級、
立って、笑顔でご飯をよそおう中倉彰子女流2級、
立って、海を見つめる佐藤紳哉新四段、
サウスポーで天婦羅を箸でつかむ久保利明五段。
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「餌の器の中でイソメがニョロニョロとしただけで「きゃ~」と悲鳴をあげていたのは山田二段」
イソメは、Googleで検索していただくとよくわかるが、苦手な人にとってはミミズの5倍はおどろおどろしく感じられると思う。
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「私たちがいくと台風になりますよ」
塚田泰明九段と高群佐知子女流四段のこの言葉は、非常に説得力がある。
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フジテレビが台場へ本社を移転したのがこの年の4月のこと。
東京湾の風景が新しくなった頃。
「1999年7の月に恐怖の大王が来るだろう」というノストラダムスの大予言が、間近に迫ってきているころだった。