井上慶太四段(当時)が大事そうに抱えていた鞄の中身

将棋世界1983年9月号、中平邦彦さんの「神戸だより」より。

 谷川、脇五段、井上四段と小生で神戸、三宮へ直行。小生の店へ案内した。

 初めての店だから、名人と五段と四段だと紹介したら、若い娘が「あら、そう」とニコッと笑った。それから一息ついて「それで、やっぱり中平さんと同じ会社なの?」ときた。

 谷川と小生、顔見合わせて「やっぱり!」

 若い娘は新聞読まないからねえ。棋士が若いギャルたちにもよく知られるようになったときが将棋界の黄金期だろう。若いプリンス谷川名人の誕生はその絶好のチャンスだが、連盟はどうも売り込みがお上手ではない。

 それからハシゴをしたが、さすがに名人は知られていて客にサインをせがまれたり、ボトルに<飛翔>と書かされたりして大変な人気だった。3時すぎ帰宅。若い人は強い。オジさんはメロメロだがみんなはしゃんとしていた。

 井上慶太四段が大事そうに鞄を抱えているので中を見たら、林葉直子著「ひとりぼっちの対局」があった。ファンらしい。「駆けて青春」「耐えて青春」「泣かないで青春」「負けるな青春」「だから青春」と青春のパレード。若い人はいいなあ。

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将棋世界1983年11月号、中平邦彦さんの「神戸だより」より。

 秋分の日の9月23日。

「KOBE将棋フェスティバル」が開かれた。神戸組の内藤、谷川、森安、淡路を中心にリレー対局などを楽しむ企画で、前号でも触れた初めての有料将棋まつりだ。

 入場料2,000円で千数百人が入って、神戸文化ホールは満員。主催のNHK神戸放送局も鼻が高い。TVカメラも全国放送のために撮影した。

(中略)

そして第2部がいよいよメーンエベントのリレー対局。内藤王位・王座と森安棋聖が組み、もう一方が谷川名人と淡路八段組だ。棋風が全然ちがう組み合わせだからかえって面白い。

 大盤解説は芹沢で、聞き手が神戸組の若松、小阪、森安(正)、酒井ら。記録が井上で、棋譜読み上げが林葉直子ちゃん。内藤・森安組が先手で、初めは内藤対谷川で始まった。

(中略)

 第3部はアトラクションである。トップは淡路夫妻が登場してデュエットで「三年目の浮気」。息が合ってて、題名の浮気なんか出来そうもない。続いて森安兄弟がこれもデュエットで北島三郎の「歩」。それから直子ちゃんが登場して薬師丸ひろ子の「探偵物語」を歌って口笛ピューピュー。そこへ谷川名人が出てきてお互いに「素敵ですね」と誉め合って握手。谷川は「マイウェイ」を聞かせた。

(中略)

 終わって打ち上げ。それから大挙して飲みに行き、またカラオケになったが、井上四段が谷川の手をタタキ、「この手が、この手が…」と口惜しがる。大ファンの直子ちゃんと谷川が握手したのを妬いている。

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井上慶太四段(当時)19歳、林葉直子女流二冠(当時)15歳の頃のこと。

「この手が、この手が…」と言う井上慶太四段が、とてもいい味を出している。

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井上慶太四段は兄弟子の谷川浩司名人(当時)のことが大好き。

将棋世界1983年12月号、井上慶太四段(当時)の「棋士近況」より。

 先日(10月11日)谷川研究会があり参加。この研究会は4局指しの勝敗で、1位~4位に賞金が出るようになっています。この日、谷川名人は風邪で調子が悪く負け越し、結局1位は優勝候補の南六段を破った浦野三段でした。

 私はやっと2勝2敗。内容も悪くこれではと思いました。研究会が終わり、名人の取材のためパブ、ボウリング、スナックと転々とし、帰宅は午前2時頃になってしまいました。

 それにしても、風邪のため将棋、ボウリングと惨々だった名人ですが、お酒を飲み歌を歌い出すと、体も元気が出てくるのには感心してしまいました。

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井上四段は本当に感心して書いているのだけれども、谷川名人が読んだら「そんな恥ずかしいこと書かないでくれ」と苦笑しながら言いそうな文章。

谷川名人から見ても、井上四段はこの上なく可愛い弟弟子だったことだろう。

 

ひとりぼっちの対局―だから青春! (ノラブックス 101)