将棋世界1997年11月号、木村一基四段(当時)の「待ったが許されるならば……」より。
この欄の原稿の依頼が来た。
2つ返事で引き受けた。
締め切りがきた。
一文字も書けない。
困った。
依頼を引き受けたことを「待ったしたい」と思った。
この春、四段になった。24歳という年齢は遅すぎるけれど、長い間努力して、やっと夢を叶えることができた。後悔することなど、何もない。
ただ一つだけ、「引っかかる」ことがある。それは、大学に進学したことだ。
奨励会に入って将棋に打ち込む人にとって、学校に行くか行かないか、は必ず直面する問題だ。
学校に行くのが面倒だ。学校に行く間を将棋の研究に使った方がいい。行かない理由はさまざまだけれど、奨励会で高校に行っている人は半分くらい。それでも、最近は増えているようだ。大学に行くのはその中で、2、3人である。極めてまれである、と言っていい。
僕はキャンパス生活に興味があった。普段の将棋の研究から離れた時のいい気分転換になるだろう、とも思った。きっとプラスになる。そう確信して入った。
誤算があった。
もちろんプラス面も大きい。お世話になった方もたくさんいるし、悩みを打ちあけられる大切な友人もできた。
しかし、そんな人達がこれを見たら気を悪くするかもしれないけれど、大学に行くことによって削がれる時間がこれほどまでに多いとは思わなかった。
どうしても友達付き合いの遊びも多くなるし、必ず出なくてはならない授業もある。テストの時は一応勉強しておかないと単位が取れない。
将棋が何をおいても最優先、という気持ちは当然いつも持っている。けれど実際はややおろそかになり、疲れがたまり、成績はパッとしなかった。
退学しよう、と思った。やめるべきだと。でもそれも自分に実行する勇気がなくて、やめずに週に1日だけ行くことにした。
結局この春棋士になり、大学も5年かけて卒業した。けれども、5年の内のかなりの時間と、年間数十万の高い授業料(自分が出したわけではないけれど)をかけて得られたものといえば、友人ができたことを除けばこの先将棋界では全く役に立たない教養と、学位記という紙切れ一枚。
現在、自分と似た年齢で活躍している人は、必要ない学業なんかには目もくれず将棋を一生懸命やっている人達だ。
もし、自分も大学に行かず、もっともっと将棋に時間を割いていたならば、三段リーグで気が変になるほど苦しまずにもっと早く上がれていたかもしれない。
こんな事を考えていても意味ないけれど、ふと、そう思うことがある。
誰でもそうだろうけれど、ギャンブルに(まあ僕は小心者なので小バクチだが)負けた時「ああ、やらなきゃ良かった」と後悔する。
この間、中座、近藤、野月、田村、そして僕の5人でソウルに遊びに行った。
泊まったところはシェラトン。地下にカジノがあるホテルだ。
僕は3つのサイコロを振って10より下か、11より上か、を賭ける「大小」をやった。
金時計、金ネックレスの太ったオッサンが座る。ディーラーがそっちを向く。僕はその近くに座る。
オッサンが賭ける。僕はその10分の1くらいの額をちびちびとそのオッサンの反対側に賭ける。
ディーラーはオッサンにさえ勝てば儲かる。最初オッサンが少し浮いていたが次第にへこんでいく。その影で僕はちびちびと小銭をためる。いいぞ。その調子。勝ったお金で何を買おうかな、と考えていた。
ところが、夜中の1時をまわった時オッサンが「ううん、眠い」とふざけたことを言い残してなんと帰ってしまった。
どうしようかな。もう少しやりたいな。そんな誘惑に勝てず続けた。
ディーラーはさっきまで大樹に隠れていたか弱い男に目をむける。
アッという間に減る。それからはいいところがなかった。
いつの間にかへこみ、次の日もやられ。アツイ。チップがなくなると気合いで万札を投げるのだけれどそれもわずかの時間しかもたない。気がついたら財布が軽い。我に返る。
あのお金でおみやげを買ったら喜ぶだろうな、なんて空しいことを考えてしまう。
ディーラーの「ノー、モア、ベーット?」という、声がまだ頭に残っている。
日本では、誰かが「後悔先に立たず」なんて言った。
うるせえ。
* * * * *
木村一基九段が四段になってから約半年後に書いたエッセイ。
現在の木村九段を思い浮かべながら読むと、味わい深さが増幅してくる。
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「もし、自分も大学に行かず、もっともっと将棋に時間を割いていたならば、三段リーグで気が変になるほど苦しまずにもっと早く上がれていたかもしれない。こんな事を考えていても意味ないけれど、ふと、そう思うことがある」
大学へ行って得た、様々な友人とのつきあい、苦悩など、いろいろなことを経験できたことが、現在の木村九段の個性や棋風を育んだとも考えられる。
実際に、二段、三段に長く在籍していた時間を取り戻すかのように、木村四段は猛烈に勝ち続け、「高勝率男」と呼ばれるようになる。
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「オッサンが賭ける。僕はその10分の1くらいの額をちびちびとそのオッサンの反対側に賭ける」
これは、素晴らしいカジノ必勝法かもしれない。
もっと早く知っておけば良かった。
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「どうしようかな。もう少しやりたいな。そんな誘惑に勝てず続けた」
この誘惑に勝てるような人がいるなら、ノーベル賞を取れるのではないか。
私など、宝くじ(スピードくじ)で5,000円当たって、
「今日は宝くじ運が絶頂なのかもしれない。ここは一気呵成に攻めるべきだ」
と思って、当たり券を持って宝くじ売り場へ行って、換金するやいなや5,000円を再投資して5,000円分のスピードくじを購入。
しかし、結果は当然のことながら、惨敗している……
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「うるせえ。」が絶妙の響きだ。