「自慢話か、と疑われるのは心外だから最初に言っておくけどこれは、自慢話である」

近代将棋1991年11月号、湯川恵子さんの「女の直感」より。

 自慢話か、と疑われるのは心外だから最初に言っておくけどこれは、自慢話である。

 女流アマ名人戦5回を始めとして女王戦3回(2回だったかな)、女流最強戦3回(2回だったかな)、埼玉とか埼玉文化祭とかNHKとかデパートの将棋祭りとか練馬とか八王子将棋センターとかそのほか思い出せないものもあるけど、約20年間に20回は優勝した。20年間というのは私が将棋を覚えてから今年の8月17日までのことであって、効果的に時間を切り取れば7年間にそれだけ優勝したのである。最初が昭和56年、最後が昭和63年、だから7年間。日本将棋連盟の将棋手帳で調べたから本当だ。

 あれ?こないだ練馬の賞金大会で優勝して10万円もらったのはいつだろう、去年かしら。

 とにかく結論。今年の8月18日に、中野サンプラザで行われたアマチュア将棋連盟15周年記念大会で、その女流戦で、私はまた優勝したのだ。賞金を5万円もらった。すっごく嬉しかった。その5万円はその晩すぐ消した。

 純粋な優勝の喜びとは、決まった瞬間の、いかにも軽いあっけない開放された快感なのではなかろうか。それまで夢中で張り詰めていた体が、決まったその瞬間、スーッと空に溶けていくような開放感を覚える。そうか、優勝の快感ってやっぱりあのエクスタシーとかオーガズムとかに似ているのだなぁ。

 いまや後戯の余韻を楽しむべく、優勝するコツをご披露しましょう。賞品や賞金を頂いたら、なるべく早く誰かにあげるかおごってしまうのだ。

 この方法を私は、あの景気よかった7年間の序盤の段階で会得した。

 たとえば連盟主催の女流アマ名人戦はブラザーのミシンをくれる。準優勝でもくれるから私は計8台(7台かな)頂いた。1台は某女流プロが「譲ってくれませんか」と、なんと私から買ってくれたのだけど、他の7台は届いたその日のうちにそれぞれよそへ転送された。喜んでもらってくれる人を前もって探しておいたのだ。

 たとえば練馬の大会で10万円もらったときは、大勢で飲み屋をハシゴしたのにずっと主催者が同行し、勘定は彼が全部払ってくれた。明け方帰宅した私は、仕方ないからきっちり10万円分を家族に分配プレゼントした。かなり怪しまれたけど一応、大喜びされた。

 たとえば◯◯の大会(思い出せない)で大きな左馬の駒を頂いた時は、準優勝の婦人にあげようとしたら「重いから」と断られた。自動的にそこの飲み屋の床の間にプレゼントした。店の人は喜んでくれた、と思う、たぶん。

 賞品の時は、どっちみち家に品物が増えるのが嫌いだから具合いいのだが賞金の時は、少し悩ましい。

 痩せ我慢、貯め込んだらバチが当たると思う気の弱さ、天性の貧乏性、喜び過ぎた酒による興奮、こんなに気前いいんだぜというエエカッコシイ、それら余計なものがともなう。他人から見ればバカなお人好しかもしれない。

 一番大切なのは、次へのファイトを持続すること。だから焦って目の前から賞品賞金を消してきたのだ。賞金の場合、一夜明けて二日酔いのガンガンした頭で私は必ずやガッカリする。あ~あ、またヤッチャッタ、と、からっぽの財布みてしょげかえる。この時こそが次回へのファイトを猛烈にかきたててくれるのだ。

 そしてもうひとつ私の賢い点……周囲の人を喜ばせておけばその分自分にツキが貯まるのだと、立派な計算を通底させていたのである。何事につけ私の計算は間違わないことは稀であるが、これだけは正しいと自信ある。その方程式をたっぷり解説したいけど枚数が足りないから残念だ。たまたま今回、中野サンプラザの会場でマリコの言葉が極めて単純に証明してくれた。彼女は、

「湯川さん、勝ってね、湯川さんが優勝するといつもごちそうしてくれるから嬉しい」と言ったのだ。その時マリコには優勝の目があったのかなかったのか、確かめるの忘れたが、とにかく選手仲間からこのようなセリフを聞けたの最高だ。

 その晩、マリコの他にも5人が一緒に中野の飲み屋にて私に新たなるツキを貯めてくれた。でも日曜で安い居酒屋しか見つからずこの人数では5万円は使いきれなかった。帰宅してすぐ姑と子供たちの部屋へ配って回った。夜が明けてしまったら損だ、私のこの作戦は夜、なるべく泥酔中のほうが自分への抵抗が少なくてすむのである。

 翌日午後になってふと我に返った時、痛い頭で「なんかヘンだな」と思った。念のため家族にさりげなく確かめたら、やはり私は5万円分きっちりを分配していた。どういう計算してるのだ。中野の居酒屋の分だけは差っ引いても許されたのではなかろうか。10万円の時の前例があるから勝手に強迫観念が加味されたのであろうか。でも、それだけツキが余分に貯まったと、そう計算すればよいのだろうか。いつにも増してムラムラと次なるチャンスへのファイトだけは自覚できた。

 蛇足ながら、私が何度か優勝できた最大のコツは女流アマ戦というささやかな枠からはみ出さなかった点である。こんなの自慢話にしてよいのだろうか、よいのである。鶏頭となるも牛尾となるなかれ、だよん。牛はなかなか鶏にはなれないし、若い生きのいい鶏は牛牧場へ行ってくれるから、待ちさえすれば私はまたいつか、せっかく貯めたツキとファイトの帳尻を合わせることができるだろう。

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女流アマ名人戦で5回の優勝をした湯川恵子さん。

このような方法で、次回の大会でも優勝できるのかどうかは個人差が出てくると思うのだが、とにかく湯川さんの場合は効果があったということだ。

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「だから焦って目の前から賞品賞金を消してきたのだ」

たしかに、会社から(やっていたプロジェクトに対して)報奨金が出たような場合、プロジェクトのメンバーでお金を分けるようなことはせずに、メンバーで飲みに行ってお金を使い尽くせ、というような文化を持っている会社もある。

プロジェクトで該当する社員は5人くらいだったが、パートナー会社も含めると30人ほど。報奨金は5万円。

中野の20時開店のキャバクラに話をつけて、女性が出勤前の18時~20時で、酒と軽いつまみで総額5万円という飲み会をやった記憶がある。