「インタビュー・対談」カテゴリーアーカイブ

名人位を失冠した時の慰めの言葉

将棋世界1985年4月号、加藤治郎名誉九段の「この面白い芝居からは、目が離せないねえ」(前編)」より。聞き書きは香太さん。

 そう、木村名人と言えば失敗談があってねえ。昔、木村名人が塚田八段(故・正夫名誉十段)に負けて、初めて名人を取られた時のこと。負けた人のことをどう慰めていいものか、近づけないでしょう、誰も。これは大山名人の時もそうだったらしいけど、慰められないですよ。これは。

 それで、たまたまその時、どうしてみんな集まったのか分からないんだけど、坂口安吾に村松梢風、西村楽天とかが木村さんのところに集まってね、ボクもその時、居たんだけれど、村松梢風がね「木村さんも人格が立派になったから、こういうこともあるんだよな」というようなことを言ったんですよ。つまり人格が立派になったから将棋に負けてもねっていうことを言ったんで、ボクはその時、怒ったんですよ。

「人格が立派になるから将棋も強くならなきゃいけないんじゃないですか」ってね。だけど、それを言ったあとでハッと思ったね、バカだったなあと思った。

 名人を取られた直後の木村さんに対して慰めようなんかないんですよ。それを村松梢風の言葉は最高の慰めの言葉だったんじゃないかな。それが気がつかないんだ、こっちは。若気の至りでね。

 それで、その後村松梢風に会ったら、その時のことをお詫びしなくちゃいけないって思っているうちに……むこうが死んじゃったからねえ。

(以下略)

—————

木村義雄名人が塚田正夫八段(当時)に敗れて名人位を失冠したのが1947年、42歳の時のこと。

作家の坂口安吾は41歳、作家の村松梢風が58歳、漫談家の西村楽天が61歳、加藤治郎八段(当時)が37歳。

仮想の話だが、現在の年齢で言えば、久保利明王将(42歳)が失冠をして、作家の貴志祐介さん(58歳)が慰めの言葉をかけて、松尾歩八段(37歳)がその言葉に反発をした、というようなイメージ。

久保王将も貴志さんも関西なので、登場人物を3人とも関西に揃えるならば、松尾歩八段(37歳)のところに山崎隆之八段(36歳)が入る。

—————

会社ならば、精魂を込めて取り組んだ大商談を成約させることができなかったとしても、上司が「失敗はしたものの、この案件を通して君のスキルは確実に上がったし、人格的にも成長した。次に期待しているよ」と言えば、多少の慰めにはなる。

しかし、それが一人だけでやっている個人商店である場合、誰かにそのようなことを言われても慰めにも何にもならない。

棋士の場合も形態は個人商店と同様だが、個人商店なら翌日には新しい商談が舞い込んでくる可能性もあるが、棋士のタイトルの場合は1年後まで捲土重来のチャンスはない。

慰めようと思ったとしても、慰めようがないと思う。

—————

「人格が立派になるから将棋も強くならなきゃいけないんじゃないですか」が正しいかどうかは別として、「人格が立派になったから、こういうこともあるんだよな」は、友人として慰めを言う側から見たら精一杯の言葉だったのだろう。

—————

良い意味での鈍感力に優れた中原誠十六世名人でさえ、名人をはじめとするタイトルを全て失った後、精神的に余裕が生まれたのは3ヵ月後、別のタイトル戦で挑戦して2勝1敗となった頃のことだという。

失恋の場合が代表例だが、このようなことは時間が解決してくれるのを待つしかない。

風車 風の吹くまで 昼寝かな

 

 

関西若手棋士の痛烈緊急座談会に対する大反撃

昨日からの続き。

将棋世界1985年3月号、「関西新鋭対談 東西ライバル棋士を斬る」より。

出席者は、谷川浩司名人、福崎文吾七段、南芳一六段、脇健二六段、西川慶二五段。司会は神吉宏充四段。(タイトル・段位は当時)

神吉 まず最初に―、皆さん将棋世界の2月号読んでくれましたか。こん中で田中寅さんがごっついこと言ってますなー。なんや谷川名人が意味のない名人やとか弱い名人やとか。それについて西川センセはどう思いますか。

西川 いきなり僕ですか。(笑)田中発言ねー。前まではねー、将棋の技術的なことばかり言ってたんですけど、最近は歌のことで文句言ったりしてね。(笑)ちょっと発言が子供っぽいですね。

神吉 文吾ちゃんはどうでっか。田中発言は。

福崎 ちょっと言い過ぎちゃいますかー。普通に考えて。

神吉 具体的にどこがひどい?

福崎 ちょっと想像を絶することが書いたるんでねー。とにかく信じられませんわ。

神吉 田中さんのことどう思う?

福崎 あんまり会ってませんけど、変わってますわ。中原先生のことを書かれてますからね。中原さんは十六世名人やし谷川さんも十七世名人の候補やし、そういう人をつかまえて、ああいうのはどうかと思いますわ。そう書いたから面白いとかどうかでなくて、どう意味があるのか。

神吉 うーん、そうやね。南君は?

南 ……ある程度までは将棋界のためにもなると思いますけど、度を越してると思います。将棋界のためにも面白いという意味もありますけど。ちょっと常識を超えてると思います。

神吉 うーん、常識を超えてると。脇先生もそろそろどうでっか。

脇 まああれですね。田中さんとしては谷川さんを引き合いに出すことで自分の宣伝をしているんじゃないですか。アピールというか。でもまあ、ちょっとやり過ぎですね。(笑)

神吉 私もそう思いますよ。谷川さんの将棋以外のことまで言うというのは、私ら谷川シンパの軍団としてはちょっとオモロないですよ。

(中略)

神吉 みんなの気持ちはだいたい分かりましたが、ここらで名人にどう思っておられるか聞きましょう。

谷川 まず、今までの将棋界というのはおとなし過ぎたと思うんですよ。タイトル戦の挑戦者でも「がんばります」ぐらいしか言わないと。そういう意味では彼が出てきたのはいいことだと思うし、田中さんの場合それで売ってきた。例えば対談や座談会なんかでは、彼なら何か言うだろうという期待が周りにありますよね。それに対するサービス精神みたいなものもあるでしょう。ただ、将棋のことなら、皆、名人になろうと思ってやってるんだから「オレが一番強い」みたいに言うのはかまわないと思うんですが、最近は将棋以外の事まで言うようになってきた。この辺は少しおかしいでしょ。

(中略)

神吉 うーん、かなり盛り上がってきましたね。(笑)文吾ちゃん、どう。谷川名人だけ目の仇にしとるちゅうのはどう思う。

福崎 でも先月号では中原先生のことも書いているし。本当にこういって人のことこきおろしてるのが将棋界のためになってるのかどうかですね。

脇 でも、下に向かって文句言わんのはエラいよ。上にしか言わんから。

谷川 会ってみると、すごくいい男なんですよ、彼は。

神吉 それが、どうしてこうなっちゃうのか。それが不思議というか。

脇 やっぱりさっきも言った宣伝という意味もあるでしょ。自分の宣伝もあるし、将棋界の宣伝もあるし。

神吉 じゃあ相手のことは何も考えてないんですかね。

西川 言われることに慣れてないって意味もあるでしょ。将棋界は。芸能界や野球界じゃ、まったく仕事に関係ないプライベートな部分でもたたかれちゃうし。でも、今の将棋界のファン層では面白いと思う人よりも反感買うことの方が多いんじゃないですかね。田中さんがどういうところを狙ってるのかという興味はありますけどね。

神吉 さて、田中発言はこんなところにして、次に関東と関西の若手棋士の比較論というのをやってみたいと思います。性格、棋力、体力など総合的に比較して。まず最初は谷川名人と田中八段。このライバル関係をどう見ますかね。

(中略)

神吉 それでは、ここで少し視点を変えて、福崎七段と田中寅彦八段を比較してみたらどうですかね。

脇 将棋の質は全然違うね。似てるのは両者とも穴熊を得意としていることだけですね。

谷川 (福崎七段に)田中さんはあなたに期待してましたよ。例えば十段リーグに入った時なんか、面白い将棋が見られるんじゃないかって。

福崎 面白い、面白いってばかり言われんねん。(笑)そやけど田中さんはA級八段としては最年少やし、勝率もすごいし、僕は実際B級やし、比べるのはおかしいでしょ。

谷川 そう言うけど、あなた今度、二人が入れ替わる可能性もあるんですよ。

福崎 いや、それはまあ…。

神吉 入れ替わってほしいと。(笑)それはいいとして、二人の将棋を比べてみましょ。福崎さんの将棋は、分からんというか神秘的というか。大駒もなんも関係なくたたき切っていくし。

福崎 おもろいやろ(笑)

西川 二人は対照的ですよね。片方は何でも言うけど、福崎さんは自分のこと何にも言わないから。

神吉 そう、それを白日の下にさらさないかん。そういえば、南君が最近、福崎君の家によく行ってるようやけど、南君に福崎評を聞きましょ。どうぞ。

南 ……。どうと言われても。

福崎 普通やろ。

神吉 ほな、ゲームやってる時はどないや。

南 ゲームやってる時は……明るい。

神吉 ほな将棋指してる時は。

福崎 普通やなあ。

南 将棋やってる時は……ちょっと怖い。

一同 大笑い。

福崎 ほんでも今日、ここにきてる人間はみんな人のこと言われへんくらい変わってんのやからな。ほんま人のこと言われへんで(笑)

谷川 福崎さんの将棋は○○二世とか言われませんよね。それだけ独創的だと思いますよ。

西川 去年、福崎さんと一局指したんですよ。その日の朝、駅で偶然会ったんですよね、福崎さんと。そしたら会うなり「西川君、今日はなに?」と聞かれましてね。びっくりしましたよ。

福崎 そんなことあったかいな。

脇 そんで将棋は?

西川 いや、まあ……ゆるめてもらいました。

一同 笑い。

福崎 西川君は汚いんや。脇君とやったら「今から行くで―」ってかっこうで攻めてくるけど西川君は横向きながら攻めてきよんねん。ドッジボールであるやん。横向きながら投げるやつが。あれとおんなじや(笑)

(中略)

—————

関西若手棋士の座談会、(中略)にしてある部分では、もう少し手厳しい発言も出ている。

福崎文吾七段(当時)は、後半で現在に近いキャラクターが出ている。

—————

いろいろなことがあったのか、田中寅彦八段(当時)が連載中の「名人、A級十人 ここが強い」は、田中八段の意志で痛烈緊急座談会が掲載された翌月号で急遽最終回となる。

将棋世界1985年3月号、田中寅彦八段の「名人、A級十人 ここが強い」より。

 まず根底に、中原先生を見て育った私には、名人とは絶対的に強いものなのだという気持ちがあります。いろいろなタイトルを取り、名人位を守り、優勝を重ね、序盤のわずかな有利をそのまま生かし、勝ち切るすごい人でした。その名人を破る、これが私の望みです。

名人は一つのタイトル名ではなく、棋界の最強位なのだと思います。

谷川名人、米長四冠王、ともにすごい人だと思います。素晴らしい人間だと思います。しかし、名人以外のタイトルを持たない名人、名人を取らない四冠王……それでは本当の天下人、本当に強いとは言えないのではないかと、今も思っています。

先月号での私の発言は、座談会もこの講座も、将棋の本筋とはかけ離れ、将棋ファンの皆さん、棋界の諸先輩にまで不愉快な思いをさせてしまい、申し訳なく、反省しております。

私自身、四、五段の時から言いたいことを言ってきて、名人になると言って気違いかとも言われましたが、自分の思うところをあえて言う。例え人の将棋に対する評価でもこれは大切なことだと、プロ棋士として必要なことでもあるのではないかと思っています。

しかし、今回はまさに犬の遠吠え。将棋とは関係のないところにまで踏み込んで、それを自分の尺度で論じたり、嫌味を言ったり、本当に、なにをそんなに焦ったのか、恥ずかしく思っています。

中原先生はいつもの口調で「こういうことは自分に返ってくるからね」と言われました。一応、弟弟子ではありますが次回当たった時には、きっと本気で弟弟子とは思わず相手をして下さると思います。その時は必ず、恥ずかしくない棋譜を残したいと思います。

強くなりたい、誰にも有無を言わさないほど強くなりたい。

未熟ゆえに、思うところを表現できず横道にそれて、恥をさらしたままで終わるのは残念ですが、「技は徳にまさり、徳は技にまさる」という先人の言葉を思い出しつつ、とにかく私には技を磨く以外にはないと思いました。

(以下略)

—————

将棋世界1985年4月号、加藤治郎名誉九段の「この面白い芝居からは、目が離せないねえ」(前編)」より。聞き書きは香太さん。

 今の将棋界の隆盛の端緒となったのが名人戦が出来た時で、それが昭和10年でしょ。ボクらがその頃、ようやくこの世界に入ってきた。だから将棋界の黎明期から今の隆盛期までずっと見てこられたわけで、そういう意味では一番いい時に生まれてきたかもしれない。

今の若い人でも”ああオレはいい時代に生まれてきたなー”って思っている人がいっぱいいますよ。そういう人は必ず伸びていくね。

今、田中(寅)八段がいろいろ問題になっているでしょう。あれは活字になると強く響くんだよ。笑い顔で「谷川とか米長とかあんな弱い将棋」とか言って、その前に「神様より」とか入れればなんでもないし、彼だってそんな悪意があって言っている訳じゃない。確かに言い過ぎの部分はあるけれども、だけど彼なんかは「私はいい時代に生まれてきました」っていうことをちゃんと認識してるからね。これは大したものだと思うよ。

—————

「名人以外のタイトルを持たない名人、名人を取らない四冠王……それでは本当の天下人、本当に強いとは言えないのではないかと、今も思っています」

は、非常に切れ味が鋭い。

有言実行、田中寅彦八段は、この3年後、棋聖位を獲得する。

 

 

痛烈緊急座談会(河口六段などがよく今の若手は型にはまりすぎるとか面白みがないとかいいますが、それはどうですか)

昨日からの続き。

将棋世界1985年2月号、「痛烈緊急座談会 若手と一流に差はあるか」より。

出席者は、田中寅彦八段、小林健二七段、中村修六段、高橋道雄六段、塚田泰明五段(段位は当時)。司会:本誌

―話題を変えますが、河口六段などがよく今の若手は型にはまりすぎるとか面白みがないとかいいますが、それはどうですか。

小林 僕の年齢ですと先輩がよく飲みに連れていってくれましたが、僕らは今の後輩にそういった事をしませんね。本当は後を受け継がなければいけないのかもしれませんがね。

―小林さんはその説に賛成なわけですか。

小林 最近の奨励会員でもね、この間トランプで金を賭けずに徹夜でやっているんですよ。それで面白いのかというと、相手に自慢できるから面白いんだ、というんですよ。(笑)それで金を賭けてやろうといったら”収入の違う人と金を賭けたら互角じゃないからやりません”とこうですからね。(笑)

―冷静というか。

小林 冷静より腹が立ちました。僕らの頃はバクチに負けて借金を作る、なんてあたり前だったもの。

田中 そう。だから借金がつらいから鈴木輝彦さんなんかは誘われたらやる前に3,000円出して”今日はこれで勘弁してください”(笑)なんてね。

―遊ばない代表の高橋さんはどう思いますか。

高橋 そんなの、個人の自由だと思います。自分自身の考えで生きているのですから、そんなことで文句をいわれる筋合いはない。

小林 別に文句はいってないよ。(笑)

田中 僕らは棋士ですから、将棋のマシンになるのが一番良いと思いますよ。でも棋界に対しての大志を抱いてないとまずいと思うんですよ。個性を世間にアピールできる人間で一流になりたいと思いますよ。将棋の田中、将棋の高橋というのはこういう人間だというのがすぐ分かるようにするのが義務だと思います。ですから遊びという事は別にしても、何か自分というものを出すことが要求されているような気がしますね。

―谷川さんも遊んでないでしょう。

田中 谷川君は周囲で決められたことをやったというか、可哀想だと思うんです。彼が本当に自由な遊びをする時間がありますかね。将棋の道に入ってからどう遊びましたか。あの作ったような笑い。塚田君達は本当に笑いますよ。谷川君は腹の底から笑いますか。

―そうか、あれは作った笑いだったのか。

田中 将棋はにらめっこだと思うんですよ。私は勝負の途中で何度も笑って失敗したけど、谷川さんは絶対笑わない。それが勝負に向いてるんじゃないかと思いますね。本気でワハハッと笑った時というのはおそらく朝日で僕に勝って家に帰ってから一人で笑った時ぐらいでしょう。(笑)若く四段になったので周囲は期待しますし、いざ遊びに行ってもあの顔は知られているから外では遊べないし、非常にすべての要素が将棋に良かったんじゃないですかね。

小林 谷川名人は大阪では僕の後輩でしたが、僕が遊びに連れて行ったらついてきたかもしれませんが、ようわからんかったですね。

田中 周囲がそうしているんですよ。

小林 その通りで、周囲で遊ぼうといいにくい感じでした。

―面白くない若手の代表といわれる中村さんはどうですか。(笑)

中村 ええ?面白くないですか、僕が。

田中 そうさ。このまま行って谷川浩司みたいな人間になったらどうする。

中村 僕は将棋中心にすべてを考えてはいますが、遊びもしているつもりです。

―でも人はそう見ませんよ。

中村 森安先生との対局ではその前日にジャパンカップがあったんですが、府中まであの寒い中を行ったんですよ。そしてその分を取り返そうと思って対局を頑張ったんですよ。

小林 でも君は夜を徹して酒を飲んだりバクチをしたことはあるの。

中村 それは…。ありませんね。

―遊びもしなくては一流になれないという意見にはどうですか。

田中 でも大山名人も中原さんを見てもそういうことをやって来たようには、とても思えませんからね。

小林 遊んで面白くてダメになっちゃった人の方が多いんじゃないかな。(笑)

―升田先生もそうやって名人を取ったんじゃないですか。

小林 芹沢先生はそんなことをいってますね。本人は遊んでダメになったけど。

高橋 でも遊びは個人の自由だと思いますけどね。

小林 米長先生みたいに何もかもやってそしてのめり込まないというのが一つの理想じゃありませんかね。米長先生はいろいろ知った上で自分にプラスにすれば良いといってるんでしょう。

田中 あの人は本当にうまく遊ぶね。

中村 遊べといっても…、いきなり人生を崩せといわれても困るわけです。

小林 そりゃそうだ。(笑)

田中 まあ人間顔が違うようにいろいろなケースがあっていいでしょうけど、事実としてまだ谷川浩司が学生名人だと思っている人がいますものね。やはりアピールするものがなくてはダメでしょう。仮に名人になって一代記みたいな本を出しますよね。その時そこにドラマがあれば面白いですが、谷川の”名人一直線”では優等生が自然に強くなっただけでほとんどドラマがない。これでは売れないしギャルもついて来ませんよ。それがつらいですね。

(以下略)

—————

遊んだほうがいいのかどうかは、人それぞれケースバイケースだと私は思う。

遊びたければ遊べばいいし、遊びたくなければ遊ばなければいい。要は自分のやりたいようにやれば良いと思う。

若い頃にたくさん遊んだ私の感想だ。

—————

「僕らは棋士ですから、将棋のマシンになるのが一番良いと思いますよ。でも棋界に対しての大志を抱いてないとまずいと思うんですよ。個性を世間にアピールできる人間で一流になりたいと思いますよ。将棋の田中、将棋の高橋というのはこういう人間だというのがすぐ分かるようにするのが義務だと思います。ですから遊びという事は別にしても、何か自分というものを出すことが要求されているような気がしますね」

田中寅彦八段(当時)のこの言葉は至言と言っても良いだろう。

もちろんなかなか難しいことだが、遊ぶ遊ばない関係なく、個性を発揮することは、特に観る将棋ファンが増えた現在は、更に必要になってきていることだと思う。

—————

ところで、この座談会が波紋を巻き起こす。

その第一弾が、将棋世界の同じ号での芹沢博文九段。

締め切りよりもかなり前に行われていた座談会のゲラを芹沢九段が読んで原稿に加えたのだろう。

将棋世界1985年2月号、芹沢博文九段の「放筆御免」より。

 そんなわけで、クソおもしろくないからグァムに遊びにいった。

グァムはよい所であった。

いい気分転換をして、帰ってくると、「田中寅が、また放言をした」と教えてくれる者がいる。(編集部注 若手棋士座談会を指す)

田中は吾が弟弟子である、仲人もしたし、祝い事でもあれば呼んで酒を飲む可愛い弟分である、そういう男ではあるが、あまりに物を知らなすぎる。将棋のことをあれほど知らぬのではしょせん天下など取れない、谷川の年はいくつか、田中の年はいくつか。谷川のあの途方もない大きさを分からぬとはまったくなさけない。

将棋世界1985年3月号、芹沢博文九段の「放筆御免」より。

 若手棋士とやら、お前さん等そんなに偉いのか、偉いんなら何処がどう偉いんだか教えてくれ。A級になっているのは田中寅とか云う余り聞いたことのない一人で、他の奴等、お情けでも八段になっていない。トラにしたところで落っこちそうでアップアップしていて、トラが熊に囲って遠くの方で吠えているだけで何で人間様の大人が恐がるか。

(中略)

 中原名人は確か田中八段の兄弟子だったと記憶する、随分とご馳走になり、将棋も教えて貰ったと聞いているが、普通の男になったとか、只の人になったとか、何処を押せばこう云う言葉が出るのか、頭が悪いオイラにはトント判らぬ、この際だからトラ、ハッキリ書いといてやる、中原がいて、喧嘩好きのオイラがいて、その友達の米長がいる、一応の保護者がいるからお前の幾らかの勝っては周りが許してくれているが、オイラ達を怒らせ敵に廻せばどうなるかは幾ら愚か者でも少しは判るだろう。

 米長が世界一将棋が強い男かどうかは知らぬが、お前に”それが谷川とか米長とか、あんな弱い将棋……”(51ページ)と云われる程は米長は弱くないぞ。

(中略)

 若手棋士とやら、それも座談会に出た者達に限って云う、君達の年の時は超一流と云わぬまでも一応一流になった者達は、君等より成績優秀で、高段であった。六、七段でウロウロしているような者ではなかった。将棋は優れていた。もっと大事なことは”人”としても優れていた。先輩から受けしものを感謝し、先輩を尊敬していた。百歩譲って尊敬しないまでも、軽蔑はしなかった。

(以下略)

—————

芹沢九段は、将棋世界3月号では、コラム(2頁)の50%を使って田中寅彦八段を、25%を使って座談会に出ていた若手棋士を厳しく叱っている。

たしかに、言葉が過ぎる表現もあるが、若手が本音を語るという意味で画期的な座談会であったことは間違いないし、読者へ対するサービス精神から出た言葉も多かったと思う。

しかし、あまりにも尖鋭的だったか、芹沢九段という意外なところからの怒りが出た。兄弟子ということでけじめをつけるという意味もあったのだろう。

芹沢九段も、この当時は将棋世界を含む各方面でかなり過激なこと(主に将棋連盟などの運営面、制度面)を書いていたのだが、大山康晴会長(当時)から見れば、芹沢九段が若手棋士達に対して思ったことそのままを、芹沢九段に対して思っていたかもしれない。

—————

この頃の田中寅彦八段を弁護するわけではないが、田中八段は、自分の将棋もまだまだ弱いという前提で、「谷川とか米長とか、あんな弱い将棋」と言っている。

文脈から言えば、中原誠十六世名人が、中原十六世名人よりも弱い谷川とか米長とかに負けている現状には大いに不満がある、という主旨。

—————

将棋世界1985年2月号、3月号を読んだ読者の声は、4月号で判明する。

  • 田中寅彦八段よくやった! 11通
  • 田中寅彦八段に反発 6通

もちろん編集部が選んでいるので正確な比率かどうかは別だが、この当時の将棋世界編集長は沼春雄五段(当時)。どちらか一方に肩入れするわけにもいかない立場なので、比較的この比率は正しいとも考えられる。

—————

話は将棋世界1985年3月号に戻る。

ここで、もう一つ、波乱が起きる。

それは、また明日の記事で。

(つづく)

 

 

痛烈緊急座談会(昔の棋士たちはよく我々と若手は鍛えが違うといいますが、それはどうでしょうか)

将棋世界1985年2月号、「痛烈緊急座談会 若手と一流に差はあるか」より。

出席者は、田中寅彦八段、小林健二七段、中村修六段、高橋道雄六段、塚田泰明五段(段位は当時)。司会:本誌

―昔の棋士たちはよく我々と若手は鍛えが違うといいますが、それはどうでしょうか。

田中 そりゃ戦争を経験した人とは違うでしょうね。今は生きている世の中が恵まれすぎているわけですから、修業を続けるというのはよほど大変ですよ。あの中原さんだってこうなっちゃったんだから。

高橋 軍隊経験者は違うと思いますよ。今でも大山先生、丸田先生、佐瀬先生達が高齢で頑張っていられるのはそれがあるからだと思います。何といってもたった今死んでしまう可能性があるわけですからね。そんな状態で自分がどんな考え方を持つかなどは想像できません。

―軍隊とまではいかなくても、内弟子経験者が伸びるという考えは?

田中 私も半年だけ経験しましたが、師匠の最後の頃の内弟子でしたので、拭き掃除なんかも最初だけで、そのうち起きるのは一番遅くなるとか夜遅く帰るとか昔と比較すればかなり甘かったと思います。でも他人のメシを食うというのは何か違うという感じは持ちましたね。

―小林さんも板谷先生の内弟子をやりましたね。

小林 ええ、でも塾生時代の方が長かったですね。一番将棋が強くなったのはその時代でしょうね。師匠が時々、奨励会時代の貯金で皆食っているんだ、というんですが、奨励会弱い時の勉強というのは大事、ということでしょうね。あと内弟子の良かった所は寅ちゃんも言った通りで、他人のメシを食うという所と人に接する態度も勉強になりました。そういう所を含め、将棋に関係ないようですが総合的には自分の将棋に影響を与えたと思いますね。

―他の方は内弟子経験はないわけですね。どうしてでしょう。

小林 それは、経済的問題もあって内弟子を置く師匠がもう少ないですから。

―中村さんは具体的にどのような方法で勉強していましたか。

中村 僕は奨励会時代は学校に行っていたので記録などもほとんどとった事はありません。ただ対局する機会が少なかったのでかえって奨励会例会での対局に一生懸命に打ち込めました。あるいはそれが良かったのかもしれません。あと研究会にも一つ参加してました。

田中 研究会では理論家の室岡という良い師匠がいたね。(笑)

中村 ええそうです。いろいろ教えてもらいました。当時は堀口君なんかとライバル視されていたこともありましたしね。

塚田 いたこともあった、ネ。過去形か。

中村 イヤイヤ。抜きつ抜かれつしていましたから…。

塚田 今は決着はついたね。(笑)

―でもそのくらいの修行でもここまで来たわけですよね。

中村 ええ、ですから恐いですね。挫折を知りませんので。

―塚田さんも準名人になったり、アマ時代に強かったので苦労して勉強したことはないのではありませんか。

塚田 苦労した、という覚えはありあせん。でもプロとアマの強さというのは少し違うんですね。アマではたまたま強い時が続いてフロック的な成績も残せましたが、プロになってからは中村さんと一緒で学校に行っていた関係で、将棋の勉強時間は少なかったですね。それで僕も奨励会例会しかない、と感じて集中してやったのが良かったと思います。

―でもそんなにスンナリと強くなれるものでしょうか。

田中 強くなった、のではなく、強かったんですよ。(笑)

―塚田さんや中村さんは高校野球のエース投手でプロに入って即戦力という感じがしますよね。

田中 元々向いていたんですよね。

高橋 中村君や塚田君が甲子園のスターなら僕はテスト生で入って来たクラスかな。(笑)

小林 それがいきなり掛布みたいにタイトルホルダーになった。(笑)僕の持論は才能でなく努力だと思っているんです。でも塚田君や中村君を見ていると才能もあるのかな、と思わされますね。

―その才能とは何でしょうか。

田中 絶対自分が最後には勝つんだ、という負けん気ですね。その負けん気を持てるというのが才能ですよ。高橋君なんか公式戦で中村君に負けたら雨の中を濡れながら帰ったからね。戦っている時は負けるというのを自分で信じていないんですよ。それが最後まで頑張って負けた時すごいショックを持てるのが才能ある人間です。負けてエヘラエヘラしているようでは絶対上まで来ないですよ。負けて自分を責めるというのが一流になる最低の条件ですよ。その気持さえあれば内弟子をやっていようと何しようと関係ありませんね。

―高橋さんの場合はどうでしたか。

高橋 僕が頑張ったのは高校を卒業してからで二~四段時代ですね。特にやることもないので連盟に通いづめで、記録係も最高月に17局取りましたよ。

小林 17局!すごいね!

田中 そんな人に地方廻りをやらせたんだからねえ。王位を取られたのは将棋世界が悪いね。(何故かシーン)

高橋 内弟子は良い制度だと思うんですよ。何故というと師匠の家ですから将棋に浸っているわけですし、自分の家の手伝いをしなくてもよいし、また自宅でないという緊張感があるし、他人の家なので辛抱もしなくてはならないということなどでしょう。ですからそういう気持ちが自分で持てれば別に内弟子でなくても良いと思うんです。

田中 谷川君は内弟子ではないが苦労はしていますよ。まず自分で子供としての遊びは全くしなかったでしょう。また格が同年代では上に行っちゃったものだから人の分まで金を出すとか、本当の遊びをしていない。僕はそれが可哀想だと思うから早く楽にさせてやりたい。(笑)中原さんは楽になって普通の男の子に戻っちゃったんですよ。株をやったり競馬をやったり。あの人のことを思うと今まで目標にして来ただけにすごく不満ですよ。こんな人ではないと思うから。それが谷川とか米長とかあんな弱い将棋が勝っているからね…。

小林 疲れちゃったんじゃないかな。10年以上も頑張っていて。

田中 それでも家のローンが残っていればまだ頑張りますよ。その意味で僕は絶対収入が増えるごとに土地でも何でも買って借金を作りますよ。楽しないようにしなくちゃあね。小林さんもどうですか、一戸建てを買って借金すれば。ゴルフなんか行けないようにして。

小林 たしかに最近ゴルフは行きすぎていますね。

田中 そうでしょう。昔みたいにハチ巻して借金返すために頑張るんだ、と思えば間違いなくすぐにA級ですよ。

小林 ありがたいお言葉です。

―高橋さんは貯金のしすぎ、という話がありますが。

高橋 そんな事はないですよ。(笑)でも僕も確かにそういうギリギリの状態までやったことはありませんね。

小林 貯金をしすぎるとA級になってもすぐ落ちますよ。石田さんみたいに。

田中 僕が調子悪くなった時は精神は石田、将棋は桐谷になってますよ。(笑)

(つづく)

—————

この「痛烈緊急座談会」は新年の企画で、若手棋士が、

  • 今一番強い棋士は誰か
  • 一流棋士と若手棋士との差
  • 鍛え方(上記)
  • 若手は面白くないか
  • 今年の将棋界はどうなるか

について本音で語り合うというもの。

よく読んでみると、大胆な発言出てくる。

後から分かったことだが、編集部からは過激にやってほしいという注文が出ていたようだ。

通常なら載せないような会話もカットされずにそのまま載ったのかもしれない。

—————

誰が悪いということでは全くないが、この座談会が後に波紋を巻き起こすことになる。

(つづく)

 

 

 

山崎隆之五段(当時)「よく師匠には迷惑かけたというか、よく自分で学校に電話して休みますと言ってボウリングに行ったりとか……」

昨日からの続き。

将棋世界2003年10月号、炬口勝弘さんの「棋士たちの真情 花はこれから―山崎隆之五段」より。

 関西将棋会館のすぐ近くにマンションを借りて住み、たまに連盟から頼まれる道場の指導対局や、イベントの出演以外は、研鑽一筋、修験者のような日々を送っている。レッスンもしていない。

「いえ、将棋をね、そんなに突き詰めて、三浦先生(弘行八段)みたいにやってる(蛇足ながら1日13時間勉強している)わけではないんですけど」と照れはするが、毎日のように、会館の棋士室で、モニターに映るリアルタイムの将棋を研究したり、また奨励会の若手と1手20秒のVSで実戦感覚を磨いたりしている姿が見られる。

 研究会は、谷川研(メンバーは谷川・畠山鎮・井上)と師匠の森研の2つだけ。月1回だが、どちらもきついという。森研は、若い奨励会員や研修会の子供らが中心で、

「教えてるよりも、なんか貰ってる部分の方が大きい。若い子の方が自然に将棋やってる時間長いです。何気なく凄い量やってる。ぼくのように、ちょっとでも年取ってくると”やってる感じ”になっちゃうから。いい刺激になります」

(中略)

 中学1年で奨励会(関西)に入会した。同じ広島出身ということから、最初、村山聖九段門にという話もあったそうだが、「まだ師匠になるのは早いから」と断られ、森信雄門になった。

「失礼な話ですが、僕の方から師匠を決めるのに頭を下げたということはないんですよ。通ってた広島将棋センターの本多先生が、すべてやって下さって……。そういう縁で、悩む必要もなく、すごい素晴らしい師匠と出会えてラッキーだったです」

 半年間、大阪で母親と一緒に住んだあとは、師匠宅で内弟子生活に入った。平成7年、阪神淡路大震災で被災するまで……。

 震災では、同期の兄弟弟子(船越隆文当時奨励会2級・福岡出身・享年17歳)の死も見ている。師匠が一番期待していた弟子だった。そして隆之少年も、奨励会の例会には広島から毎月、バスで大阪に通うようになった。

 内弟子時代のことを聞いた。

「よく師匠には迷惑かけたというか、よく自分で学校に電話して休みますと言ってボウリングに行ったりとか……。中学も転々としているんです。まあその頃は、感謝する気持ちがまるでなくて、ものすごく生意気で我がままで、内弟子のくせに、内弟子らしいことは何もしてないんです」

 当時は師匠も連盟の理事をしていて忙しかった。

「食事のたびに、広島ではこういう風に料理しない、広島ではどうだ、こうだと言うんで、ここは広島やない!って叱ったこともありましたよ」(森)

 当人も言う。

「そうなんです。そういうこと、食い物のことに口を出すような、ものすごく失礼なガキだったんですよ。それ以来、師匠は内弟子を取ってないんですよ。もう大変だって。弟子は取ってるんですが。飽き飽きしたんでしょう。震災後の対応が人としてひどいんで、今でもそうですが、自己中心で……。師匠には”帰れ”って言われて(笑)」

 名伯楽・森信雄師匠と、その弟子山崎隆之の物語は、師匠の結婚ということもあって、”村山聖物語”ほどの濃密さはなかったようだ。

(中略)

「実はこのインタビュー、出るかどうか迷ったんです。将棋界で長く活躍されてきた人が出るものと思ってましたので。若手というなら、渡辺君とかの方にいったらどうですか、とも言ったんです」

 会ってすぐ、のっけからそんな調子でインタビューが始まったのだった。

「ドラマがあればいいんですが、ドラマがないんです。上がり下がり(栄光と挫折)がないから、ドラマの生まれようがないでしょう。酒は飲めない、博打はやらない、豪快な人ではないし……」

 確かにネガティブな話ばかりで、師匠・森信雄六段の口癖を借りれば「冴えんな」だったかもしれない。しかし、その謙遜、その韜晦の裏側に、口にこそ出さないが、限りない野心や自信がみなぎっているのを痛感した。繊細さの裏に豪胆さもある。

 擬態だと思った。擬態にも2種類ある。目立たないように見せる隠蔽的擬態と、逆に強力、有毒な種に、色彩・形態、さらに行動を似せることによって、敵の警戒を呼び、敵に食われないようにする標識的擬態と。山崎五段の場合は、明らかに前者だ。

 しかし、尺取り虫やナナフシが、枯れ枝や小枝にまぎれて捕食から逃れようとするのとはまた違う。

 勝負師というのはハンターだ。ヒョウやトラだ。その擬態、斑紋が森林内の陰影に紛らわしく、獲物に近づきやすく、敵を捕食しやすいのと似ている。真の強者は強がったりしない。

(以下略)

将棋世界の同じ号に掲載された1998年の山崎隆之四段昇段・村山聖九段A級復帰祝賀会での写真。師匠の森信雄六段(当時)と。撮影は炬口勝弘さん。

—————

「名伯楽・森信雄師匠と、その弟子山崎隆之の物語は、師匠の結婚ということもあって、”村山聖物語”ほどの濃密さはなかったようだ」

正確には、森信雄七段と山崎隆之八段の物語は、森信雄七段と村山聖九段の物語に比べれば相対的に濃密さは少ないが、絶対的な尺度では非常に濃密な師弟関係、という表現になるのだろう。

内弟子時代とその直後の山崎少年にとっての得難い経験、そしてそれが糧となり、山崎八段の現在の非常に魅力のある人柄に繋がっているのだと思う。

森信雄六段(当時)と山崎隆之少年