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佐藤康光五段(当時)「普段いかにやっていないかを、思い知ったような。とにかく凄い体験でした」

近代将棋1990年12月号、湯川博士さんの「若手棋士インタビュー・佐藤康光五段 競争社会の駿馬」より。

 チャイルドブランドとか10代棋士というような表現をずっとされてきたけれど、言われている側の気持ちというのはどんなものですか。

「年齢でくくられるのは、いい気持ちじゃないですね」

 表現する側はその方が楽ですし、ファンの方も頭に入りやすいことはありますけどね。もう少し一人一人の個性面でとりあげてほしいということでしょうか。

「ええ、まあ」

 現実には元10代棋士も20歳を越え大人になって、また別の表現を考えなくてはならなくなったようですが。

「ボクなんかは、どう書かれても結局は勝っているかどうか、だと思っています」

 そう、勝っているからこそ書かれるし、勝てなくなると、ニックネームすらつけられなくなりますね。

 ところでこの間の王位戦は、初体験ですがどんな感じで臨んだのですか。

「そうとう不安でした。まず、恥ずかしくない将棋を、という思いが頭に浮かびました。タイトル戦は注目されていますが、ひどい将棋で飛ばされるんじゃないか。そういう不安がありました」

 勝ち負けよりも恥、ですか。若い棋士は勝つことが第一という印象を持っていますけど。

「タイトル戦はまた違う感じがありました。1局目と2局目はとても疲れました。対局の2日間を含めてずっと緊張していたような気がします」

 相手の谷川さんはどんな感じに見えました。

「とても余裕があって、リラックスしていましたね」

 相手がリラックスしていると、こちらもそうなるものですか、それとも逆に……。

「ボクは全然余裕がありませんでした。むしろ堅くなったかも(笑い)」

 何局目くらいから少し慣れましたか。

「3局目ですね。少し息抜くことを覚えまして。なにしろはじめは、一流旅館で、関係者の方がボクのために気を遣ってくれて、そういうことでもびっくりします(笑い)」

 そういえば屋敷さんが、スイートルームの特大ベッドにちょこなんと座っている写真があったけど、まず部屋でびっくりするんですね。

「それからタイトル戦の期間中の2ヵ月間はまったく将棋漬けで、ああいうことも今まで初めてでした」

 あれ。佐藤さんは普段でも将棋漬けじゃないの。そういう印象があるけど。

「いやいや。あの時はとにかく、寝ても覚めても将棋のことで頭が一杯という状態でしたから」

 それは谷川さんと戦っている将棋のこと。

「いや。そういうことではなく、いろいろな形の将棋で、気になる局面とか……」

 普段の研究の、うんと濃い状態と思えばいいのかな。

「そうです。普段いかにやっていないかを、思い知ったような。とにかく凄い体験でした」

 すると普段よりひとつ上のランクの状態を体験したというわけだ。

「そう、でしょうね」

 谷川さんをはじめ、タイトル経験者の普段の状態を体で知ったというのは、これは大きな財産だ。

(中略)

 今の若い棋士はとても研究熱心のようだけど、どんな研究をしているのかな。

「ボクは相居飛車の研究が主体です。相居飛車は戦いがはじまるとすぐ終わっちゃうところがあるでしょ。ですからやっておかないと。持ち時間の中では最善が見つからないですから」

 研究というと、ひとり机に向かって駒を動かし、凄い手を発見するなんてイメージが浮かぶんだけど。

「ひとりで駒を動かすことはありません。実戦を指して、そこから出てくる形を研究するんです」

 すると相手もわかっちゃうでしょ。

「あるところまではいっしょですけど、その先は各人の研究ですから」

 研究に指す相手は強い人がいいですか。

「そうですね。その方がいい局面が出ますから。ある程度は強い方がいいかもしれません」

 若い人で研究していない人はいないくらい。

「そうでしょうね。ボクなんかもやっていないと置いていかれそうな気がして、とても怠けていられません」

 そんなに強くても、ですか。

「いやいや。勉強していないとダメです。勝てなくなったらどうしよう……という不安がいつもあります」

 そうすると、皆が一斉に研究を放り投げたと確認できるまでは、休めないですね。

「ええ……」

 赤信号みんなで渡れば怖くない、ではなく、青信号みんな渡るからボクも渡らなきゃという心境なんだろうか。競争社会そのものの生き方だ。昔の棋士は、オレが一番になってやるという、蛮勇型の精神で前へ進んだのだが、今は遅れたくないという周りの圧力に突き動かされる部分が大きいのかもしれない。

 思えば棋士の気質もずいぶん変わったが、それは時代が変えているのだ。

 今の時代、それほど競争が激しいと、対局中心でとてもお稽古などやっている余裕がないみたいだ。対局も週に一度で楽なようだけど、実際はどんなものか。

「そうですね。週に一度だとちょうどいいくらいですね。週に二回が重なってくると、やや疲れますね。でも今は二回でもなんでも指したい気分ですけど」

 やはり好調な時はどんどん指したいんだ。同じ対局でも短いのや順位戦やらあるけど、そのへんはどうですか。

「順位戦は特別ですね。ちょっと異様な感じ。ボクは順位戦がよくなくて、スタート4連勝したことがないんですよ。4月にスタートして12月までに2敗していることが多いんです。1敗じゃないと目がないですから」

 タイトル戦に挑戦できてもやはり順位戦がものいいますか。

「ええ。……今はもうひとつ上のB2組しか頭にないですね」

 当然Aクラス、名人戦が目標なんでしょう。

「いやいや。そんな雲の上のことです。はるか過ぎて、見えません(笑い)」

 タイトル戦に出ているんだから、当然強いわけで、当然上に行くのが当たり前と思っているのかと思えば、そうじゃない。おそらく、55年組のタイトル戦大活躍と順位戦での苦戦ぶりが頭にあるのだろう。

 上のクラスと下のクラスはどう違う。

「上のクラスの人は余裕がある。C2組は当然余裕がないけどC1組は少し余裕が出てきているし、その上はもっとリラックスしているように感じます」

 将棋の違いということが出てくるかと思って聞いたら”余裕”であった。今の若い棋士たちは、人から見ると歳も若いのに金とひまがあって将来性もあっていいなあと、映るけど、そうでもないんだ。

「そうですね。そういうゆとりがあまりありません」

ときどき海外旅行に行くようだけど、あれは気分転換かな。英語もけっこういけるの。

「富岡さん(五段)といっしょで、しゃべる方もおんぶです。少し勉強しようと思っていますけど」

 海外の人と知り合うといいことあるでしょう。それに将棋の普及にもなるし。

「ええ。応援してくれたりして、嬉しいですね。将棋の普及も海外はまだ可能性がたくさんあります。チェスをやった人も、将棋を覚えると将棋の方が面白い、と言ってますからね」

 将棋界の将来なんて仲間と話すことはありますか。

「ええ。話しますけど……」

 やはり頭の中は将棋でいっぱいのようだ。

 喫茶店でしゃべってから、そろそろ時間ですから、というので外へ出た。小雨が降っていたが、ためらわず外へ出て、急ぎ足で駅に向かう。

「今日は午後から、櫛田さんのところで指すことになっています。明日順位戦なので指そうということで。ボクは前日は用事つくらずじっと家にいる方ですけど、櫛田さんは数少ない振り飛車党で力があるので、勉強になります」

 相手が強い人なら誰から頼まれても時間があれば断らないそうだ。

 でも今の人は本当に研究熱心だ。だからみんな強いんだろうね。

「ええ。これだけ一度に出てきたというのはやはり研究だと思いますね」

 チャイルドブランド出現についていろいろ書かれたりしているが、この言葉が端的に表しているだろう。そしてこの研究熱心をつくり出したのは、受験勉強が醸し出した、まごまごしていると置いていかれるという恐怖感か。

 そうしてもうひとつ。昔の棋士のように”飲む打つ買う”に溺れないほどほど体質が本業である将棋に力を入れる結果になっているような気がする。

 豊かな時代に育った若者は飢えた狼のように酒や女や博打に走る必要がない。自分に与えられたテーマを一生懸命にやる……。

 そんなことを考えていたら、新宿に電車が着き、大久保へ行く佐藤が、

「あの、ボクこの先ですので、ここで失礼いたします」

 育ちの良さそうな顔をこちらに向けて、声をかけてくれた。会った時と同じ淡々としたリズムであった。

近代将棋同じ号より。

* * * * *

佐藤康光九段が21歳の時のインタビュー。

佐藤康光九段らしさが確立されつつある時代だと思う。

* * * * *

「いやいや。勉強していないとダメです。勝てなくなったらどうしよう……という不安がいつもあります」

この姿勢が、この後もずっと続いている。

佐藤康光竜王(当時)「休み?休みなんか要るんですか。だって勉強は労働じゃないでしょう」

* * * * *

「おそらく、55年組のタイトル戦大活躍と順位戦での苦戦ぶりが頭にあるのだろう」

これは推測になるが、羽生世代の棋士たちは、前の世代がどうだったから、のような考え方はしないと思う。佐藤康光五段(当時)が、あくまで純粋に謙虚なのだと思う。

また、

「そしてこの研究熱心をつくり出したのは、受験勉強が醸し出した、まごまごしていると置いていかれるという恐怖感か」

羽生世代の棋士は、小学生時代に奨励会入りしており、受験の雰囲気が醸し出すものとは無縁の世界だった。

外部環境とは関係なく、ただただ純粋に負けず嫌いで、なおかつ研究熱心だったような感じがする。

* * * * *

写真は、千駄ヶ谷駅のホームと思われる。

雨の降っている雰囲気が伝わってくる、なかなか情緒のある写真。

 

 

第3期竜王戦、羽生善治竜王、谷川浩司王位、直前直撃インタビュー

将棋世界1990年12月号、「第3期竜王戦 直前直撃インタビュー、羽生竜王に聞く」より。

竜王戦第1局の1週間前、免状に著名する羽生竜王と、ホテルの部屋で原稿を執筆している谷川王位。将棋世界同じ号、撮影は炬口勝弘さん。

―海外での対局ですが?

羽生 今回が3度目ですか。これから、どんどん増えていけばいいですね。勝手が違う所の対局場なので、心配もあるのですが、1局目ということで、そんなに気にはなりません。丁度いいと思います。

―調子はどうですか?

羽生 良くもなく悪くもなくという所です。シリーズが始まり、進んでいくに連れて昇り坂になるようにしたいな、と思っています。

―去年と今年、自分自身どこが違うと思いますか?

羽生 今年はそれほど緊張なくこれています。そこが去年とは一番違いますね。1ヵ月前、挑戦者が決まった頃はとても緊張していました。今は、開幕まであと1週間もないというのに、近づくにつれてかえってボンヤリしてそれほど緊張していません。

―去年と今年、ご自分は強くなっていると思いますか?

羽生 うーんそうですね。まあ、総合的な面では強くなっていると思いたいですね。

―谷川王位という相手についてはどうですか?

羽生 タイトル戦という舞台で教えて頂きたいと思っていた相手ですが、こんなに早く実現するとは思ってもみませんでした。しかも、まさか私の防衛戦でとは思いませんでした(笑)。

―今シリーズは、どのような戦いになるでしょう。

羽生 2日制で持ち時間も長いし、序盤から気の抜けない戦いになると思います。居飛車での戦いになるとは思いますが、何をやるかはハッキリとは決めていません。谷川先生も矢倉、相掛かり、角換わりと色々やるので戦型の予想は立てにくいと思います。ただ、振り飛車はないでしょう。

―最後に今シリーズの抱負は?

羽生 4月から4連敗してしまい、ファンの方には心配をかけましたので……。この竜王戦で調子を戻したいと思っています。

将棋世界同じ号、「第3期竜王戦 直前直撃インタビュー、谷川王位に聞く」より。

―初の海外ですね。

谷川 どうも、旅行とか観光という方にばかり頭がいってしまって、竜王戦の第1局ということが頭の隅っこにいってしまっています(笑)。お祭り気分が抜けて、腰を落ち着けた戦いは第2局からということになるでしょう。もっとも、対局が始まってしまえば、同じこととは思いますが。

―ハードスケジュールをこなしてきたわけですが、現在の調子はいかがですか。

谷川 好調が続いています。この間、珍しく中4日の対局となりました。それまではずっと中1日、王座戦がなくなった分、そこで休養していたので、だいぶ元気になりました。

―羽生善治という相手について。

谷川 今期に入って成績が良くないようですが、若手がタイトルを取ってその後、勝てなくなってしまうというのは誰もが経験することです。私自身もそうですが、調子のいい時、悪い時というのは必ずあるものです。だから、今こっちが良くて相手が悪くても安心はできません。欲を言えば、あと2ヵ月、この状態であって欲しいと思います(笑)。

―どのような戦型になりますか?

谷川 相矢倉がメインで、あとは角換わりと相掛かり。振り飛車はないと思います。

―シリーズの抱負は。

谷川 昨年、羽生竜王が誕生した時、その日の衛星放送で今一番戦いたい相手であると言いました。それが、実現したことが一番嬉しいです。対戦成績は2勝6敗と負け越していますが、そのすべてが4時間以下の短い対局です。今回は8時間なので、違った面が出るのではと思っています。福崎八段、田中寅八段、高橋九段と、最初の5局から10局ぐらいのうちに負け越してしまう相手が多いのですが、そういう人達に対して少しずつ借りが返せています。羽生竜王に対しても同じであればいいな、と思っています。

―最後に谷川ファンへ。

谷川 今勝っていることが、勢いというのではなく、これが本物でなければいけないと思います。それを証明するためにも、竜王戦を勝たなければいけませんね。

* * * * *

竜王戦七番勝負、第1局は竜王戦としては初の海外対局(フランクフルト)だった。

羽生善治竜王(当時)は森雞二九段の研究会の旅行で海外に行ったことがあるが、谷川浩司王位(当時)にとっては初の海外だった。

* * * * *

谷川王位の「欲を言えば、あと2ヵ月、この状態であって欲しいと思います」が可笑しい。

…が、実際にはこの通り(谷川王位が4勝1敗で竜王位を奪取)となっている。

* * * * *

「今期に入って成績が良くないようですが、若手がタイトルを取ってその後、勝てなくなってしまうというのは誰もが経験することです」

渡辺明三冠などの例外もあるが、このような傾向が存在する。

* * * * *

この頃に行われた職団戦でアンケートをとった結果が、同じ欄に載っている。500人のファンの声は、

①5年後の名人は?

谷川浩司(222通・1位)、羽生善治(186通・2位)

②竜王戦の予想

谷川浩司の勝ち(304通)、羽生善治の勝ち(185通)

だった。

①は羽生竜王、②は谷川王位が正解。

この頃の羽生竜王の不調と谷川王位の好調が影響したのかもしれないけれども、意外と羽生推しの票数が少ない。

羽生竜王ほどの日の出の勢いでも、それを上回る谷川王位の勢いがあったということになるのだろう。

* * * * *

大手町・読売新聞社前。出発前の様子。一緒にいるのは読売新聞の小田尚英記者。将棋世界同じ号、撮影は炬口勝弘さん。
成田へ向かうバスの中。将棋世界同じ号、撮影は炬口勝弘さん。

井上慶太五段(当時)「なんやら将棋指しいうと、うっとうしいんやないかね。イメージが」

近代将棋1990年6月号、湯川博士さんの「若手プロインタビュー・井上慶太五段 三度目の正直、次は一発狙い」より。

 この日新聞棋戦を早々と負けた慶太クン、「あれ(昇級決定)からどうも、負けてばっかりです」

 それだけ嬉しかったということかな。

「そう、なんでしょうか。自分ではわかりませんが……。嬉しさ、ですか。それはもう、なんといいますか……はい、四段になった時とでは全然、比べものになりません。四段の時はそれほどでもなかったです。激励会もスムースに抜けましたし。ところがC級2組では、半分諦めかかっていましたから。もう、一生ここで暮らすんかなあ、みたいな気持ちで……」

 上がった時、家に電話したんでしょ。

「ええ、12時に終わって検討戦やって、1時半ごろ電話しました。そしたら、ワンコールでサッと母が出ましてン。それで僕が上がったいうたら、後ろで、兄ちゃん上がったでェ、いう妹の声が聞こえました。家中で起きててくれたンかなあ思って、嬉しかったデス」

 井上慶太の四段昇級後のC級2組成績は、

  1.  7-3
  2.  8-2
  3.  6-4
  4.  6-4
  5.  7-3
  6.  8-2
  7.  8-2

 7年というのはちょっと長かったな。

「はじめ、2、3年で上がればいいとのんびり構えていたのが尾を引いたみたいですね。2年目良かったけどその後6-4、6-4でちょっといじけたンちゃうかな」

 8-2の好成績を3回も取っているけど、三度目の正直でやっと昇級したんですね。

「はじめの8-2は順位が下だったので、まったく期待していなかったけど、二度目の時はキツかったなあ。最終戦まで8-1で行って勝てば自力昇級だった。それをやられちゃいまして……ひどかったなァ」

 頭ハネの次点になったんでしたね。

「あの時はもう、毎日酒浸りで、対局日の前日でも3時4時まで飲んでました」

 それじゃあ、勝てないんじゃあないの。

「ええ、全然勝てません(笑い)」

 そういう状態がどのくらい続いたの。

「1ヵ月。飲むだけ飲んだら、また将棋やる気が起きてきて、ボチボチ始めました。もう今年が最後のチャンスの年やな、思って……」

 この若さで最後とはちょっと情けないのでは。

「今までの最高の位置(C級2組4位で上の3人は大ベテラン)ですし、私の棋力からいって8-2以上は無理ですから。この位置で8-2とって勝負というところだったです」

 将棋は四段に上がった時と比べて変わりましたか。

「変わりましたねェ。入ったばかりのころはもっと伸び伸びしとったン。最近は勝ちと見るとフルエるんですわ。そのせいか、いつも最初の方でつまずくんです。負けが先行します。前半3-2ならいい方です。前期は珍しく5-0でスタートしたと思うたら、とたんに2連敗するし。とにかくここ(C級2組)にずっと居るんやないか、そういう恐怖感ありますね。

 あ、それからもともと受け主体なんですけど、今はすぐ受けに目が行ってしまうんです。こんど上がったんで少し伸び伸び指せるんかなあ、思ってますけど」

 今期は伸び伸び指して好位置に上がるのが目標ですか。

「いや。一発昇級めざしてます。また2、3年なんて思っていると、上がれんことになりますから」

(中略)

 童顔のせいか、今年26歳とはとても思えぬ慶太クンだが、プロに入ったのはわりあい遅いほうだったという。

「小学校6年の時アマ初段くらい。中学3年で三段強くらい。高1の時、高校選手権で全国3位です。プロ入りはその後に決めました。ちょっと遅かったんで、入ってからは高校休学して将棋漬けになりました。米長先生が『詰むや詰まざるや』をやるとよいと何かで書かれていたので、一応全部詰ませました」

 へえ。どのくらいかかりましたか。

「1年半くらいかな。初段の時だから17歳から18歳、19歳にかけて」

 その頃の同期は。

「浦野クンです。彼とは同い年で四段に上がったンも同じです。今ちょっと先越されてますけど(浦野は62年C1へ、平成元年B2へ)

 抜かれると悔しいもんですか。

「まあ、才能もありますから。人のことより自分のことで一杯ですよ。今年はC1から落ちんようにせんと(笑い)」

 結婚も浦野クンにリードされたけど、考えることありますか。

「考えるいうても、相手がおらへんもの。僕らあまり女性に接触するチャンスないんですよ。それに同門の谷川先生がまだですから」

 野球の選手なんか、球場の裏口に女の子が群がっているけどね。

「連盟の入口に女の子が待ってたなんて、聞いたことありませんからね(笑い)」

 なんで縁が薄いんだろう。

「なんやら将棋指しいうと、うっとうしいんやないかね。イメージが」

 可愛い子タイプがいいの。

「そうですね。あんまりキツうない人、言うこと聞いてくれる人がいいンかなァ」

 強い人は駄目なの。頼りないね。

「いや、正直いうて、僕なんかつきおうたことないものですから、想像でいうとるだけです。相手が出てこんと、ようわかりません」

 若い時から過酷な競争しているんで、女の子は二の次ということかな。

「頭の中、やはり将棋が大きいですね。とにかく上へ行かんとしょうがないですからこの世界は」

 若くて力のあるうちに行けるだけ上へ行く。このことがほとんどの将棋指しの頭を占めている。女の子と遊ぶのは余裕が出来てからで遅くはない、というのかな。

(中略)

 この先どのへんが、目標ですか。

「あまり才能ないですから、A級とかはとても無理みたいです。なんとかひとつ上のB級2組へ上りたいと思います。その先は考えてません。なにしろ各組昇級2人でしょ。そこへ羽生クン森下クンなんかがいて、中村さん島さんのタイトル組もいるでしょ。2番目に入るの大変やと思います」

 研究会なんかで技を磨いているの。

「森安研究会で淡路先生、福崎先生に指してもらっています」

 研究会は師匠の門下とは関係ないの。

「気の合った人間同士みたいですね。あとは自分で将棋をつくっていかないと、いけないみたいですね。上へ行くと皆形を持っていますから、C2の時のようにいかんかもしれんし。まあ、とにかく当たっていくしかないです」

 そう、昇級した勢いというのはとても大事。そのツキにうまく乗って一発昇級を狙ってください。

* * * * *

将棋世界1990年5月号グラビアより。

* * * * *

井上慶太五段(当時)が順位戦でC級1組への昇級を決めた直後。

井上五段の人柄もあって、とてもなごやかな雰囲気のインタビューだ。

井上五段の昇級には様々なドラマがあった。

先崎学四段・羽生善治竜王(当時)「井上さんに知らせに行こう」

* * * * *

「それで僕が上がったいうたら、後ろで、兄ちゃん上がったでェ、いう妹の声が聞こえました」

井上九段の妹さんは、別の機会にも非常にいい味を出している。

井上慶太五段(当時)の妹さん「ウソやろ」

* * * * *

「あの時はもう、毎日酒浸りで、対局日の前日でも3時4時まで飲んでました」

この頃のことだ。→井上慶太五段(当時)の悪夢

* * * * *

「考えるいうても、相手がおらへんもの。僕らあまり女性に接触するチャンスないんですよ。それに同門の谷川先生がまだですから」

同門の谷川先生がまだですから、が可笑しい。

とは言いいながらも、井上九段は谷川浩司九段よりも前に結婚をしている。

井上慶太六段(当時)の結婚

* * * * *

井上五段の「そうですね。あんまりキツうない人、言うこと聞いてくれる人がいいンかなァ」に対する「強い人は駄目なの。頼りないね」

あくまで女性に対する好みの問題なので、頼りないも何も関係ないと思う。

また、強い女性が好みだからと言って、頼りがあるとも限らないわけで。

* * * * *

「あまり才能ないですから、A級とかはとても無理みたいです。なんとかひとつ上のB級2組へ上りたいと思います。その先は考えてません。なにしろ各組昇級2人でしょ」

非常に謙虚な井上五段。

ここからC級1組に4期、B級2組に2期、B級1組に1期、そしてA級に昇級している。

 

大山康晴十五世名人「それは簡単ですよ。いま直ぐやめなさい」

近代将棋1990年8月号、 大山十五世名人の対談・対局「安沢英雄氏の巻」より。

安沢 ある方から聞いたことなんですが、大山先生に「タバコをやめる法」を聞いたら、「それは簡単ですよ。いま直ぐやめなさい」と言われたそうです。たしかに今すぐにやめればやめられますね。

大山 思ったときにね。

安沢 先生は前には喫ってられたのですか。

大山 私は昭和34年にやめました。それまでは100本ぐらい喫ってました。

安沢 えっ、100本。

大山 いつもポケットにピースがはいってました。

安沢 そうですか。私はやめるんですが、長続きしないんですね。

大山 対局のときはカンを一つと、ピースの箱を5つぐらい持ってました。

安沢 はあ。

大山 その当時は火鉢だったでしょ。なくなると、そのなかから拾って……。

安沢 やめたのはやはり健康を気づかって、ですか。

大山 私の場合はそうでないですね。持ち時間が少なくなり夜中になり、そういうときマッチで擦ったりしてますと何秒かロスが出るんですね。最後の秒読みのとき、59秒しかないものを仮に7秒くらいのロスが出たら大きいですよ。それならやめたほうがいいじゃないか。

安沢 仕事にプラスにならないから。

大山 そうですね。疲れてきて思考力がにぶって、なおかつタバコに火をつけたりしたら、損ですよ。(笑)

安沢 タバコを吸わないと、こんどは人のタバコが気になりますでしょ。

大山 対局はいつも扇子を持ってますよ。あれはリズムをとるためではなくって、相手がタバコを吸ったときには暑い暑いと扇子で風を向こうへやるんですね。煙をはらうためなんですね。(笑)

* * * * *

近代将棋同じ号より。

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タバコをやめる法。「それは簡単ですよ。いま直ぐやめなさい」

思い立ったが吉日、それでやめることができれば最高だが、このようなことをできるのは、世の中で大山康晴十五世名人くらいしかいないと思う。

金持ちになる法を問われて、「それは簡単ですよ。いま直ぐ金持ちになりなさい」というのと同じような問答だ。

* * * * *

タバコをやめた動機が「持ち時間が少なくなり夜中になり、そういうときマッチで擦ったりしてますと何秒かロスが出るんですね。最後の秒読みのとき、59秒しかないものを仮に7秒くらいのロスが出たら大きいですよ。それならやめたほうがいいじゃないか」の一点集中型。

将棋のためには、好きなものでも何のためらいもなくやめてしまう。

神がかり的な精神力と意志の強さだ。

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安沢英雄さんは、オリジン東秀株式会社の設立者。

この頃は「中華東秀」を展開しており、後に「オリジン弁当」も立ち上げている。

 

 

櫛田陽一四段(当時)「三人とも調子悪いから坊主にしようという話が出まして。むろん冗談だと思ってたんです。そしたら……」

近代将棋1989年11月号、湯川博士さんの「若手棋士インタビュー・櫛田陽一四段」より。

 筆者は櫛田クンのアマ時代からよく知った仲であるが、プロになってからはゆっくり話をするのは初めてかもしれない。

 早いものでもう3年目なんだってねェ。

「そうですね。自分では今年が最後のチャンスだと思って順位戦をスタートしたんですが、緒戦で痛いのを落としちゃって(対飯田戦)」

 勝つつもりのを落としたというわけだ。

「そうですよォ。そのかわり負けるかもしれないのを昨日拾いましたから(対先崎戦)。あと全勝すればいいんですけど……」

 櫛田クンにしてみればごく当たり前の発言なのだが、とる人によっては強気と映るらしい。

 そういえば坊主にしてたけど、だいぶ髪が伸びてきたね。例のNHK事件のためなの。

「え、いや。まあ半分くらいはありますけど。この前、大野さん(八一雄五段)、中村さん(修七段)と飲んだ時に、三人とも調子悪いから坊主にしようという話が出まして。むろん冗談だと思ってたんです。そしたら中村さんが坊主で連盟にやって来たんで、これは格好がつかないので僕も急遽坊主にしたんです」

 例の事件というのはNHK杯の対局で櫛田クンが来ないので、テレビ局の人が青くなって電話を入れたらグウグウ寝ていたという一件だ。本来ならば不戦敗なのだろうが、そういう事件を考えていなかったので、大いに意表を突かれ番組に穴をあけるのもなんだし、という日本的温情で収録時間をずらして対局した。ところが武蔵を待つ小次郎役の高橋道雄八段が負けてしまい、怒りの表情の感想戦だったそうな。

「あれはちょっとひどかったです」

 とは言うものの、それほど悔いている様子もない。このへんが天真爛漫の櫛田流で愛すべき部分なのだが、人によっては反発を買うかもしれぬ。

 ところでプロ入りはちょっと遅くなったけど、その辺今はどう考えていますか。

「そうですね。もっと早く入っていればという後悔はありますね。少なくても15歳の時に入っていればという気持ちはありますね」

 15歳というと赤旗名人戦で全国4位になった年だけど、じゃあどうして入らなかったの。

「自信がなかった。とても四段になれると思っていなかった」

 強気の櫛田クンにしてはずいぶん謙虚だったんだね。

「だってあのころの将棋、本当に強くなかったですから」

 すると自信ついたのは、アマのタイトルをとるようになってからかな。

「17歳でいくつか優勝して18歳の時に全国巡りをやりましたね。あれで自信つきました。その18歳の夏に、田丸先生に誘われまして、その時は入れば四段になれると思いました」

 その根拠は。

「そのころ奨励会の二、三段やプロの四段と平手で指しまして、けっこう勝っていましたから。これならばまだまだ伸びそうだと……」

 入ってちょっと苦戦していたように感じたけど、どうだったの。

「1級で入って3ヵ月で初段。ところが初段に1年半もいて、二段は1年、三段は4,5ヵ月で通過しました。全部で3年3ヵ月かかりました」

 まあ、平均的に見れば悪い方じゃないけど、櫛田クンの勢いからするとペースダウンに感じたね。

(中略)

「僕の場合、はっきり言って本気でやってなかった」

 エッ。念願のプロ入りして本気でやらないって、どういうこと。

「余裕があるっていうか。他の奴らより強いって思ってましたから。なにも目の色変えてやらなくたってという気分がありました。ちょうど酒やら麻雀やらも覚えていたし。ところが内容ではいつも勝っているのに、ここ一番に勝てなくて、なんか自分の力が出しきれていない歯がゆさがあり、どうも気分がふっきれないんです。四段連中には勝てたのに、なんで初段や二段に勝てないんだという思いですね。アマ時代の棋譜を見るとはるかにアマの時の方が強いんです。集中力、粘り、気力どれをとっても上回っていた。それは今でも同じです。今は悪くなってクソ粘りする気になれないんですね」

 それは相手が強いから信用して粘らないというのと、違うんですか。

「そういう気力がないんですよ」

 その櫛田クンが三段から四段へは超スピードで上がったね。

「三段になった時、禁酒しました。自分の好きなものをひとつくらいやめてストイックになれば、勝てるんじゃないかと思いました。欲望を減らし、我慢できるかできないかが将棋の世界では特に重要ではないかと思いました。たとえば昇段の一番に負けた晩なんか酒を飲みたいです。でも飲みたいのを我慢して詰将棋をやって寝ました。友人と集っても僕だけジュース注文して。辛かったですね」

 なるほど。集中力をつけるにはストイックな状態にするのが一番か。ボクサーと同じだね。それで2ヵ月で上がったのか。

「今年の1月に王位戦リーグで中原名人と当たった時も10日前からそういう状態にしていました。僕は上の人とはやりやすいし勝ち越してもいるんです。でも下の人とは悪い。今期はCクラスの人と15回対局して4勝11敗なんです」

 それは相手をなめることなのかな。

「自分ではよくわかりませんね。なんか力が出し切れないような感じなんです」

 そのへんがうまく乗り切れるともっと勝率が上がるんでしょうね。さっき、悪くなると諦めるという意味のことを言ってたけど、アマ時代の櫛田クンといえば、95%以上負けていた将棋を粘りに粘って勝ったことが何度かあった。それがどうして諦めるのかまだピンとこないんだけどね。

「今はほんと淡白になっちゃった。作戦負けすると嫌気がさす時がある。それから読んでいて、こう指されたらもうダメという筋がありますよね。で、実際にそうこられるともう諦めますね。昔の棋譜を見てると、読みの深さは同じでも勢いに伸びがあった。相手がどうこようと伸びていこうという将棋だった」

 その分経験が豊かになって有利な面もあるんでしょ。

「どうでしょうね。ひねただけかもしれませんし」

 話題の羽生クンとやった感じは。

「攻めはそれほど感じない。僕が攻め7、受け3くらいの棋風からかもしれないけど、羽生クンは受けにしぶとさを感じますね。一度なんか僕が必勝形になったんだけど、そこからが決め手を与えないしぶとさを発揮しますね」

 あれだけ騒がれてるけどどう?

「結果を見ると強いんでしょうね。それよりも新四段の屋敷クンなんて、僕が奨励会時代にはまだ名前も知らないアマだったけど、今は同じ四段で戦うことになっちゃって。こちらの方がショックで将棋年齢を感じちゃいます。C2組は5年が限界と見ています。それ以上いると危ない。今年は3期目なのでそうとうな危機感持ってます」

 そうなんだろうね。昔ならば24歳じゃ大威張りの若手だけど、最近じゃ20歳すぎると年増の部類だもんね(笑)。

(中略)

 櫛田クンがプロ入り決まった時、皆よかったよかったと言ってたんだよ。櫛田クンじゃ、将棋以外の仕事についても大変だったろうから、好きな道に入れてよかったという意味だけど。でもプロになれたらなったで、その先がほんとにたいへんなんだね。

「今が将棋指しとしては勝負所だと思っています。30歳すぎても今のままだったら、レッスンとか原稿とか、生活のことを真剣に考えなくてはならないでしょうね」

 強気なことを言っては大人を煙に巻いていた少年強豪の櫛田クンも、並の足軽の群れにたたきこまれて、いやでも自分の位置を知り、今シビアに将棋人生を見つめている。でも駄目になる原因も頑張る例も知っているようだし、両方の経験をしている彼は、自分を見失わずに進んでいくことができるだろう。

 私の個人的願望としては、あのなりふりかまわない櫛田将棋をまた見てみたいと思う。

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将棋世界1990年5月号、NHK杯戦優勝の時。撮影は中野英伴さん。

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「例の事件というのはNHK杯の対局で櫛田クンが来ないので、テレビ局の人が青くなって電話を入れたらグウグウ寝ていたという一件だ」

NHK杯戦1回戦で、櫛田陽一四段(当時)が寝坊のために大幅な遅刻をして、そして高橋道雄八段(当時)に勝ったという展開。

解説は、櫛田四段の師匠の田丸昇七段(当時)だった。

この後、更に勝ち進んで櫛田四段はNHK杯戦で優勝する。

世紀末四間飛車

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「三人とも調子悪いから坊主にしようという話が出まして。むろん冗談だと思ってたんです」

羽生善治五段(当時)も、別の理由ではあるが、この頃に半坊主になっている。

→「羽生君が坊主になったよ」

もし、羽生五段の半坊主がタイミング的に先であれば、調子悪いから坊主にしようという話が出たのも、羽生五段の件があったからとも考えられる。

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「そしたら中村さんが坊主で連盟にやって来たんで、これは格好がつかないので僕も急遽坊主にしたんです」

まさしく「受けがない」状況。

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「欲望を減らし、我慢できるかできないかが将棋の世界では特に重要ではないかと思いました」

このようなストイックな状態をずっと続けた代表例が大山康晴十五世名人だった。