谷川浩司竜王(当時)「実は、昨日か一昨日に気が付いて愕然としたことがあるんです。タイトルを取ったのは4年半ぶりなんですね(笑)、防衛というのはあったんですが」

将棋世界1997年2月号、復活谷川、大いに語る「20年目の再出発」より。

将棋世界1997年2月号より、撮影は弦巻勝さん。

―竜王位を奪回して数日たちましたが、改めて感想を聞かせてください。

谷川 柳川(第5局の対局場)で話をしたのと同じですが、羽生さんの強さというのは私が一番知ってるつもりで、また思い知らされていますから、4勝1敗という結果は本当に予想外ですし、やはり羽生さんの調子があまりよくなかったということになるんじゃないですか。

―谷川さん自身の調子は。

谷川 私は、8月あたりから非常にいい調子を持続することができました。

―今年度はスタートがよくなかったようですが、夏から連勝を挟んで調子を上げてきました。きっかけになった一局はありましたか。

谷川 8月7日に王座戦の挑戦者決定戦で負けてかなり落ち込んでいたんです。その2日後に天童へ行って、多面指しで子供たち20人ぐらいの相手をしました。道路を2時間ぐらい封鎖して、机をずらっと並べて。そういう開放的な雰囲気の中で子供たちの笑顔とか真剣な表情を見て、本来将棋というのは前に座っている子供たちのように楽しむものなんだと感じて、王座戦で負けたことがそんなに大したことではないんじゃないかと思えるようになったんですね。その後に竜王戦の対森内戦があって、勝ったのが非常に大きかったでしょうね。気分転換ができたとはいっても、次の一局に負けてしまったら、またつらいことになりますから。

―その対森内戦から11連勝でした。

谷川 挑戦者決定戦では、ずっと負けてましたからね。王座戦だけではなくて、確か3連敗してたんです。竜王戦の挑戦者決定戦は三番勝負なので、プレッシャーが半分になったというところもありました。

―挑戦者決定戦は、佐藤康光八段に2連勝しましたが、内容的にも完勝といえる将棋では。

谷川 いや、そんなこともないんですけどね(笑)。でも、2局とも満足できる内容でした。

(中略)

―第5局が終わった直後は、どんな気持ちでしたか。ほっとしたとか、喜びがこみ上げてきたとか。

谷川 うーん、そうですねえ。まあ、その日は12時頃休みました。翌朝はテレビに出るために6時半ぐらいに起きるので。それで横になったんですが、確か2時頃に目が覚めてしまって、寝られなくなりました。終盤で△5四歩と打たれたら負けていたかもしれないという変化なども考えだしたら、ますます寝られなくなってしまいまして(笑)。去年王将を防衛した時も、その日はなかなか寝付けなくて、タイトルをひとつ防衛したとか取ったぐらいで、ぐらいでという言い方はいけませんけれども、夜寝られないようでは本当はいけないんですが(笑)。3つ4つ持っていた頃はそんなことは……(笑)。実は、昨日か一昨日に気が付いて愕然としたことがあるんです。タイトルを取ったのは4年半ぶりなんですね(笑)、防衛というのはあったんですが。改めてそう思った時に、もちろんうれしいというのと、なにをやってたんだろうなというような気持ちもありましたね(笑)。まあ、それだけ羽生さんに負かされていたということですが。

(中略)

―最初に名人を取った後で、短い期間ですがタイトルを持っていない時期が2回ありました。今年無冠になった時には、以前と違った寂しさのようなものは感じましたか。

谷川 今回は、8年か9年くらいなにかタイトルを持っていたのが、九段という形になってしまって。タイトルを取られて2日後に対局があったんですが、記録用紙に九段と書いてあることとか、色紙を頼まれた時にはやっぱり。だから、昨日は嬉しかったですよ(笑)、記録用紙を見て。

―タイトルをなくして、逆に吹っ切れて前向きにやってきたということですが、具体的に勉強方法などで変えたところはありますか。

谷川 この1年間いろいろなことをやってきたのが、少しずつ形になってきたということだと思うんですけどね。例えば、今は全然やってませんけど研究会。結局5、6回ぐらいしかやらなかったんですが(笑)。あと、将棋世界さんには申し訳ないんですけれども、原稿をやめてしまったこととか(笑)。

―かなり負担でしたか。

谷川 そういうわけではないんですが、対局が多い時はちょっと大変というのと、随分長く続けてましたからね。非常に申し訳ないんですけれど(笑)。それと、今年の1月くらいからエアロバイクを買って、部屋の中で自転車を漕ぐものですけど、毎日家でやるようにしてるんです。アスレチックジムに通うというのはどうも駄目なんですよね。だから買ってしまえばやるだろうと思って(笑)。

―対局に向けて、生活をシンプルにしたということですか。

谷川 そうですね。

(中略)

―タイトルをひとつ取り返したくらいではまだ、というのが正直なところですか。

谷川 これで喜んでいてはいけないと思いながら、喜んでしまうのがいけないところで(笑)。もちろん大きなタイトルではありますが、7つのうちのひとつを取ったに過ぎないという見方もできるわけです。

―以前、竜王か名人のどちらかひとつを含む四冠を保持していればトップということをいっていました。最近は、とんでもない例が出現しましたが(笑)、ナンバーワンに返り咲くための具体的な数字の目標は設定していますか。

谷川 いや、まだひとつですから、数字の設定はできません。ただ、羽生さんにしても、七冠を取るためには3、4年の蓄積があった。それだけ好調を持続していたわけですが、今私が調子がいいといっても、8月からの4ヵ月間ですから。だから、せめて1年この調子を持続させないと、なかなかタイトルを複数にはできないでしょうね。

―今の調子を持続して、タイトルをひとつずつ増やしていくことが、当面の目標ですか。

谷川 そうですね。タイトルを取りましたが、肩書が変わったからといって、九段の時の気持ちと変わることなく、思い切りのいい将棋を指していきたいと思います。

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「竜王位を奪回して数日たちましたが、改めて感想を聞かせてください」

この年の2月に羽生善治六冠(当時)に王将位を奪われ無冠となっていた谷川浩司九段の逆襲が始まった。

羽生マジックを不発に終わらせた谷川浩司九段

光速の寄せと、迫真の描写

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「羽生さんの強さというのは私が一番知ってるつもりで、また思い知らされていますから」

短い言葉の中に数々の名言を残している谷川九段。この言葉を聞いても、将棋界のコピーライターと言っても良いのではないかと思ってしまう。

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「本来将棋というのは前に座っている子供たちのように楽しむものなんだと感じて、王座戦で負けたことがそんなに大したことではないんじゃないかと思えるようになったんですね」

「その後に竜王戦の対森内戦があって、勝ったのが非常に大きかったでしょうね。気分転換ができたとはいっても、次の一局に負けてしまったら、またつらいことになりますから」

谷川竜王(当時)は、翌年の名人戦でも羽生善治五冠(当時)から名人位を奪取し、永世名人の資格を得ることになる。

大復活のきっかけは、上記の2つの出来事であったことがわかる。

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「タイトルをひとつ防衛したとか取ったぐらいで、ぐらいでという言い方はいけませんけれども、夜寝られないようでは本当はいけないんですが(笑)3つ4つ持っていた頃はそんなことは……(笑)」

数多くタイトルを獲得・防衛した谷川九段でさえ眠れなくなるのだから、複数のタイトルを持っている場合と1つ以下の場合では、心理的にも大きく異なるということなのだろう。

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「実は、昨日か一昨日に気が付いて愕然としたことがあるんです。タイトルを取ったのは4年半ぶりなんですね(笑)、防衛というのはあったんですが。改めてそう思った時に、もちろんうれしいというのと、なにをやってたんだろうなというような気持ちもありましたね(笑)。まあ、それだけ羽生さんに負かされていたということですが」

「8年か9年くらいなにかタイトルを持っていたのが、九段という形になってしまって。タイトルを取られて2日後に対局があったんですが、記録用紙に九段と書いてあることとか、色紙を頼まれた時にはやっぱり。だから、昨日は嬉しかったですよ(笑)、記録用紙を見て」

羽生五冠と戦い続けてきた谷川竜王の、この時の率直な思いが語られている。

良い意味での、今だから話せる、というような内容。

「そうですね。タイトルを取りましたが、肩書が変わったからといって、九段の時の気持ちと変わることなく、思い切りのいい将棋を指していきたいと思います」

谷川竜王は、この後、王将戦、そして名人戦での挑戦者となる。