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続・錯覚いけないよく見るよろし

先日、将棋ウォーズで対局をしていて、かなりショッキングなことがあった。

1図。後手の△4五角に対して私が6七の角成りを受けつつ▲8五角と打った局面。

私はこの変化には結構自信があり、勝率も悪くない。

1図からは、

  1. △8四歩▲6三角成△5二金右▲6四馬△6二飛▲4六馬
  2. △2七角成▲6三角成
  3. △5二金右(または△6二銀)▲3八銀

のいずれかの変化となる。

しかし、1図からの後手の指し手は△6七角成。

「なんだ、角を成ってきたのか」と思い、私は▲6三角成。

▲6三角成と指して気がついた。

△6七角成は只で取れていたじゃないか……

△6七角成などありえない手だと思い込んでいるから、指されても、「6三を受けないのなら▲6三角成だ」と条件反射的に手拍子で角を成ってしまったという流れ。

この対局はショックが尾を引いて、負けてしまった。

対面での対局なら気が付いていただろうが、ネット対局ではこのようなことも起こってしまう。

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もう一つの私の錯覚が昨日の記事。

佐藤康光九段は、対局で勝った時に注文したメニューを連続して採用する傾向があり、逆に、敗れた時のメニューはそのようなことはなく、そういう意味でも「冷やし中華と餅」は二度と注文されない可能性がある。

と書いたが、昨日、記事にコメントをいただいて、佐藤康光九段が、その3日後のA級順位戦〔佐藤康光九段-三浦弘行九段戦〕の昼食でも「冷やし中華と餅」を注文していたことを知った。

私も記事を書く前に、7月7日のA級順位戦の中継を見直して、夕食は佐藤九段「チキンカツ定食」、三浦九段「力うどん」であることは確認していた。

昼食も確認しておこうと少し思ったのだが、

  • 佐藤康光九段が、負けた対局で注文したメニューを続けて頼むはずがない
  • 「冷やし中華と餅」は、味の面で後悔しているのではないか

という私の強い先入観があったため、昼食まではチェックしなかった。

それが敗因だった。私としては珍しいチェック漏れ。

3図の▲6三角成もそうだが、強い先入観は、百害あって一利なし、の好例だと思う。

意志の強い佐藤康光九段。「佐藤康光九段は、今夏中、冷やし中華を頼んだ時には必ず餅を付ける」と予想しておこう。

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どうも、私はこの2年間、錯覚分野では全然進歩していないようだ。

錯覚いけないよく見るよろし

 

 

森信雄七段邸で金太郎と遊ぶ

5月の連休は、4日が将棋ペンクラブ関西交流会、5日が森一門祝賀会ということで、今年も大阪へ行っていた。

将棋ペンクラブ関西交流会は参加人数は少なかったものの、森信雄七段、鹿野圭生女流二段、船戸陽子女流二段、名古屋から昨年の将棋ペンクラブ大賞文芸部門優秀賞を受賞された作家の白鳥士郎さん、東京から大阪へたまたま来られていた金子タカシさんなどの参加もあり、夜の二次会まで含めてとても温かい雰囲気の会だった。

この日は関西将棋会館で新人王戦 藤井聡太四段-横山大樹アマ戦があり、交流会の会場の隣が報道陣控え室だった。50人以上の取材陣がいたと思う。

翌日が森一門祝賀会。森信雄七段が現役引退ということもあり、昨年よりも参加が更に増え260人以上の出席者ということで非常に盛況だった。

森一門祝賀会 5,5(森信雄の写真あれこれ)

指導対局は今年は飛香落ちで、本間博六段に敗れ、山崎隆之八段に勝つことができた。

2次会、3次会まで楽しく飲んで、ホテルに戻ったのは午前3時頃。

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5月6日(土)

7:00 起床。やや二日酔いかもしれない。

7:20 入浴。

8:00 森信雄七段にお誘いいただき、今日は森信雄七段の家でヨウムの金太郎と対面することになっている。大好きな金太郎に今日会える。

8:10 今回泊まったホテルは十三。十三は深夜も賑やかな歓楽街的な色彩が強い街ということだったが、たしかに午前2時すぎに客引きらしき男性・女性複数人が談笑していたり、寝ようとすると暴走族のバイクの音のような爆音が短い間聞こえてきたりはしたが、特に気にはならなかった。深夜の歌舞伎町、新大久保などでよく飲んだ時期があったからか、このような雰囲気に抵抗感は全く感じなくなっている。

9:00 ホテルをチェックアウト。十三の駅前をブラブラ歩きながら、朝食でも食べてみようかと考える。普段は朝食は食べないが、旅行や出張へ行くと、朝食を食べたくなるから不思議だ。

9:10 駅前に立ち食いうどん店が2軒、少し歩いた所に昭和のままの喫茶店が1軒あった。どこにしようか迷っているうちに、「大阪に来たのに讃岐うどんで果たして良いのだろうか、昭和の喫茶店なら東京の下町にもあるし、もっと大阪的なものを食べるべきではないだろうか」と真面目に考えているうちに、空腹でないからこのようなことを考えてしまうんだという結論になり、朝食はパスすることにした。

9:20 十三の駅前の老舗和菓子店へ立ち寄る。こんなに早い時間から開いているのが嬉しい。森信雄七段は甘いものが好きと聞いていたので、この和菓子店の名物だという「きんつば」を買うことに昨日から決めていた。

今年の初めに、東映京都撮影所に関する本を何冊か読んだのだが、この中で、山口組三代目・田岡一雄組長が撮影所を慰問に来た時に手土産で持ってきたのが大量の「きんつば」だったというのだ。(この帰りに立ち寄った京都市のナイトクラブ「ベラミ」で田岡組長は狙撃事件に遭ってしまう)

それ以来、「きんつば」が頭の中に存在し続けていたのだろう。前日にその和菓子店で「きんつば」を見た時、(これも何かの縁だ、明日は「きんつば」を買って行こう)と何の脈絡もなく考えたのだった。

9:25 「きんつば」を買うのを決めたとして、和菓子店内でひときわ目を引いたのが、蒸籠で蒸されて湯気を立てている酒饅頭。

温泉地でよく見る湯気を立てている饅頭は、実際には蒸されておらず煙だけを出している場合が多いが、ここの酒饅頭は本当に蒸している最中。

これは買わない手はない。「きんつば」と「酒饅頭」を手に、十三から阪急電車に乗った。

9:40 阪急電車。昔からえび茶色というか栗色の車両は変わっていない。東京にはない感覚の車両なので、乗っていると本当に関西に来た気分になることができる。

10:10 宝塚の一つ手前の清荒神で下車。今日は私以外にも東京から来られた2組4人の方が森信雄七段の家を訪ねる。

森信雄七段邸は駅から徒歩2分。森信雄将棋教室の住所はスマホで調べてある。駅から森信雄七段に電話をする手もあったが、独力ですぐに行けるだろうと思い、ゆっくりと歩きはじめる。とりあえず目指すは1丁目6。

10:12 駅の前が1丁目3だった。少し奥へ進んでも1丁目3なのですぐに駅の方へ戻る。

10:16 一区画東へ行くと1丁目4。少し奥へ進んでもと1丁目4なのですぐに駅の方へ戻る。

10:20 もう一区画東へ行くと1丁目5と1丁目7が見えた。1丁目6はこの奥に違いない。

10:21 1丁目5の通りを奥へ向かう。しかし、ずっと1丁目5。

10:28 1丁目7の通りを奥へ向かう。ずっと1丁目7が続いて広い道に出てしまった。道に出ても1丁目7。

10:30 よりによって1丁目6だけが見つからない、と頭がクラクラしかけた時、通りのやや西方向にダスキンの看板が見えた。

森信雄七段のブログに隣家がダスキンであることが何度か書かれており、一縷の望みをかけてダスキンの看板の方へ向かった。

10:31 ダスキンの看板のある家のやや奥に森信雄七段邸があった。私は20分かかったが、たしかに駅から2分の距離だ。

10:32 森信雄七段と奥様が迎えてくれた。私が一番乗りのようだ。

10:33 奥様とは1年ぶり。奥様の話は面白い。十三で買った「きんつば」と「酒饅頭」を手渡す。

将棋でも指した瞬間にその手が悪手であることに気がつく場合が多いが、手渡した瞬間、「きんつば」も「酒饅頭」もほとんどが餡子でできており、餡子の上に餡子を重ねるような組み合わせであったことに気付く…

10:40 金太郎は部屋の籠の中にいる。森信雄七段が留め金を籠から外すと、金太郎が自分で籠の出入口を巧妙に開けて外へ出てくる。

「金太郎くん、思っていたよりも大きいですね」と私が言うと、金太郎を初めて見た人は

  • 思っていたよりも大きいと言う人
  • 思っていたよりも小さいと言う人

のどちらかに分かれると森信雄七段が解説してくれた。

逆に言うと、「思った通りの大きさです」と言う人はこれまでいなかったということなのだろう。

生で金太郎を見ることができるなんて夢のようだ。

10:41 金太郎のことをどう呼ぼうか少し迷っていた。「金ちゃん」では馴れ馴れしい感じがするし、会話では「金太郎くん」と言ったが、やはり自分の中では「金太郎」が一番なじみがある。そういうわけで、この文章も「金太郎」と書きたい。

10:45 森信雄七段が私の頭の上に金太郎を乗せてくれた。金太郎の体重は約500gだが、それほど重いとは感じない。足の爪も少し引っ込めてくれているようだ。数秒後、私が感想を話そうとして息を吸い込んだ時、金太郎が飛び立ってしまった。

10:47 金太郎はその辺をブラブラした後、森信雄七段の手に乗ってきた。森信雄七段が私の頭に再び金太郎を乗せる。

先ほどの教訓から、動かず喋らず静かな呼吸を心がけたら、今度は金太郎がずっと頭の上に乗り続けてくれている。

初めて味わうような不思議な達成感と充実感。

二日酔いの顔だったので私の顔の部分はカットしているが、下の写真がその時の写真。(撮影は奥様)

動かず喋らず静かな呼吸を続けていると神妙な顔の表情になってくる。金太郎を頭に乗せた多くの人の写真での表情が堅いのは、私と同じように金太郎にずっと頭の上にいてほしいからではないか、と思ったりした。

11:00 森信雄七段と奥様といろいろな雑談をしながら金太郎の様子を見る。奥様から突然出てきた怪談系の話が特に面白かった。金太郎は柱に逆さにぶらさがったりティッシュの箱を高い所から落としたり、森信雄七段のブログで見た通りの遊びっぷり。

11:05 金太郎が羽をパタパタさせる時は拍手をしてほしい時。「拍手をしないとどうなるんですか?」と森信雄七段に聞いてみると、金太郎は不機嫌になって怒り出すとのこと。

11:07 金太郎が何度か羽をパタパタさせる。今日の金太郎はご機嫌なようだ。羽をパタパタさせるのは、変な体勢でどこかにぶら下がったり、普通の鳥なら絶対にやらないようなことをやった後のこと。

11:10 金太郎が鴨居にくちばしだけでぶら下がっている。首から下の力は抜けていて、少してるてる坊主に似た雰囲気。どのようにして下へ降りるのだろうと見ていると、間もなく森信雄七段が鴨居の下まで行って、ぶら下がっている金太郎を手のひらに乗せた。金太郎だけでは自己完結しない体勢のようで、森信雄七段が受け止めてくれないと金太郎は相当困るような体勢であることが理解できた。それにしても、金太郎が鴨居にぶら下がった時の森信雄七段の機敏な対応、そして当たり前のように森信雄七段が手を差し伸べてくれると思っている金太郎。両者の息の合った芸を見ているような感じだった。

11:20 森信雄七段のブログによく出てくる気味の悪い人形とも対面ができた。不思議なことに、生で見ると全く不気味な感じはしなかった。普通の人形に見えた。不思議だが本当だ。

11:30 Tさんご夫妻が到着。金太郎はTさんご夫妻の頭の上にも乗った。私達のような訪問者がいると、金太郎は長い間、籠の外に出たままでいられるので、ご機嫌な時間が続くようだ。

12:00 昼食で、駅前にあるお好み焼き店へ連れて行っていただくことに。

12:01 森信雄七段が外出する時、金太郎は悲しそうに鳴く(泣く)とブログに書いてあった。しかし、この昼食で外出しようとする時、金太郎は平常心だった。

この理由を聞くと、金太郎は森信雄七段の服装を見て、長い時間の外出か短い時間の外出かを判断しているのだという。

スーツで外出しようとするなら悲しむが、着替えずに普段着のままの外出であれば平常心というわけだ。

ヨウムは頭がいいということで知られているが、想像していた以上に奥が深そうだ。

12:02 やはりブログでよく出てくる源さんたちのお墓の前を通る。源さんだけではなく、チビ、トビオ、クロの骨の一部も入っているとのこと。

12:15 駅前のお好み焼き店。お好み焼きは断然関西の方が美味しい。モダン焼きとビールが心地よい。

13:30 森信雄七段邸に戻る。

13:40 Tさんたちも到着。

13:45 金太郎は籠の中だが、不機嫌な時は餌箱に手を入れて餌を外に向かってばらまくことがある。この時がそうだった。いろいろな人がいるから早く出してほしいということだったのだろう。

13:50 金太郎の面白いところは、餌をひとつひとつ丁寧に味わうように美味しそうに食べること。さっき乱暴に放り投げた餌と同じ餌とは思えないような対応。

14:00 金太郎が籠の外に出てきた。最初にやったことはプラスチック製の小さな塵取りに攻撃を仕掛けたこと。この塵取りは、先ほど金太郎によって放り投げられた餌を奥様が掃除をした時に使われたもの。金太郎は床にひっくり返りながら攻撃をしている。自分が放り投げた餌を片付けた道具に対する攻撃。気持ちが理解できるようなできないような、なかなか微妙な金太郎の心理だ。

14:10 金太郎がTさんたちの頭の上に乗る。

14:20 金太郎は「おめでとう」とか「スズメさん」とか喋っている。

15:00 金太郎は籠の中で毛繕いをしている。驚いたのは籠の中にあるおもちゃの鐘を手に持って、鐘を使って頭を掻きだしたこと。動物が道具を使っているのを初めて見た。本当に気持ちが良さそうだった。

16:00 そろそろ東京へ戻る時間となった。何人かが帰ろうとすると、籠の中の金太郎が急に片方の羽を全開にし、こんな芸もできるんだぞとばかりに私達に見せつけるような体勢になった。部屋から出る時には、もう片方の羽を全開にしていた。私達がいると何度でも籠の外に出ることができるから、まだ帰ってほしくないんだろうな。金太郎の心意気を見たような感じがした。

16:01 森信雄七段、奥様、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

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奥様のブログ→3998 祝賀会後(ルンルンピアノ)

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糸谷哲郎八段の頭に乗った金太郎→糸谷新竜王誕生!(森信雄の日々あれこれ日記)

澤田真吾六段の頭に乗った金太郎→澤田六段来訪、その金ナイター(森信雄の日々あれこれ日記)

大石直嗣六段の頭に乗った金太郎→取材と大石六段お祝い 6月26日(森信雄の日々あれこれ日記)

竹内雄悟四段の頭に乗った金太郎→竹内四段来訪 6月29日水曜日(森信雄の日々あれこれ日記)

 

 

 

今日からブログが10年目(9年間で多く読まれた記事TOP50)

2008年6月4日(火曜日、大安)に、このブログが始まりました。

昨日で丸9年、今日から10年目ということになります。

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2008年5月18日(日)、バトルロイヤル風間さんと浅草で飲んでいる時に、バトルさんから「どう、ブログ始めてみれば」と言われたのがブログを始めるきっかけでした。

この前日、5月17日が近代将棋最終号の発売日だったので、感傷的になりながらの飲み会でした。

2週間ほどは「ブログを書くなんてありえない」と思っていたものの、気にはなっていたのか、6月初めにどのようにすればブログを始めることができるのかを調べているうちにその気になって、そのままブログを始めてしまったという流れです。

自分でブログを立ち上げようという発想や気持ちは全くなかったので、バトルさんの一言がなければ今に至るまでブログは始めていなかったと思います。

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このブログの最大の特徴は毎日更新されること。

実態は書きだめをしたりして毎日更新しているように見えているだけですが、毎日更新は続けられる限り続けたいと思っています。

このブログのもう一つの特徴は渋めで、

  • 将棋関係のサイトでは最も早く、2015年9月から常時SSL化を開始したこと。(WebサイトにSSLサーバー証明書を導入することで、Webブラウザーとの通信を暗号化するもの。http://からhttps://に変わることと同義)
  • AMP(Accelerated Mobile Pages:Googleなどで検索されたページを、モバイル端末で高速表示するための仕組み)を2016年3月から導入したこと。これも将棋関係のサイトでは最も早い導入だと思います。

1年前、「桃栗三年柿八年。8年経ったけれども、きっとこのブログは、ネタ切れになるまでは、これからもあまり変わらないと思う」と書いていますが、これは今も変わらず。

10年目のこれからも、よろしくお願いいたします。

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この9年間で、多く読まれた記事TOP50。

  1. 村山聖八段(当時)の急逝が将棋連盟に伝えられた日
  2. 先崎学六段(当時)「彼が死ぬと思うから俺は書くんだ」
  3. 羽生善治五段(当時)「そんなこと怖くて言えません」
  4. 42人の棋士が語る故・村山聖九段
  5. 渡辺竜王と藤井九段が驚いた、驚異の羽生マジック
  6. 渡辺明五段(当時)「羽生さんにビールをついできたいのですが……」
  7. 羽生善治五段(当時)「いえ、森内君の妹にはかないません」
  8. 1998年8月11日の羽生善治名人
  9. 羽生善治名人が語る藤井システム
  10. 「封じ手事件」の真相
  11. 森信雄六段(当時)「村山君よ、安らかに」
  12. 藤井猛九段「こっちは優秀かどうかで戦法を選んでない。指してて楽しいかどうかなんだから」
  13. 「私、森内の妹です」
  14. 佐藤康光竜王(当時)「休み?休みなんか要るんですか。だって勉強は労働じゃないでしょう」
  15. 羽生善治王座の、控え室の誰もが思いもつかなかった恐ろしい着想
  16. 谷川浩司名人(当時)「この男、将棋で負かした上に何の話があると言うのだろう」
  17. 棋士と顔が似ている有名人集大成(女流棋士編)
  18. 点のある・ない論争
  19. ヒールになってしまった羽生善治四冠(当時)…後編
  20. 森内俊之八段-伊奈めぐみさん戦
  21. 林葉直子女流名人(当時)「私の愛する棋士達 先崎学五段の巻」
  22. 「天才羽生、四段に上がる」
  23. 永井英明さん逝去
  24. 故・米長邦雄永世棋聖は言っていない「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」
  25. 羽生善治四段(当時)の超ユニークな自戦記
  26. 打ち上げの席で山崎隆之五段(当時)が渡辺明五段(当時)に話したこと
  27. 羽生善治竜王(当時)への深夜の電話
  28. 羽生善治四冠「彼は本物の将棋指しだった」
  29. 天野貴元さん逝去
  30. 第21回将棋ペンクラブ大賞最終選考経過
  31. 羽生善治六冠(当時)婚約記事
  32. 故・村山聖九段が語る羽生善治名人と森内俊之九段
  33. 羽生善治名人が奨励会に入会した頃
  34. 羽生名人を育んだ八王子将棋クラブ
  35. 1997年、郷田真隆六段
  36. 羽生善治竜王(当時)「八木下さんと出会わなかったら、将棋をつづけていなかったかもしれない」
  37. 「森内君を連れて来てもいいですか?」
  38. 先崎八段と行方八段
  39. 名人位の賞金総額を推計する
  40. 森内俊之竜王「話し足りないことがあるので、もう少しいいですか」
  41. 村山聖六段(当時)「知らないんですか、羽生先生の将棋を」
  42. 羽生名人が語るカニカニ銀
  43. 深浦康市六段「「丸山忠久という男」
  44. 山崎隆之四段(当時)「ウソダロ、ナンデダヨ」
  45. 河口俊彦六段(当時)「郷田君は、冗談じゃない、と真剣になった」
  46. 森信雄六段(当時)と山崎隆之少年
  47. 光速の寄せと、迫真の描写
  48. 羽生善治名人「体力は森内君にかないませんよ」
  49. 行方尚史三段(当時)「もし奨励会を退会するようなことになれば、ぼくは死ぬ以外に無い」
  50. 羽生善治三冠を動かした長岡裕也五段の連載講座

 

 

 

映画『聖の青春』を観る

先週の土曜日に、

  • 今日は昼からの飲み会があるので、来週の金曜日(11月25日)に『聖の青春』を観に行こうと思っている
  • 場所は、新宿か有楽町かで迷っている
  • よくよく思い出してみると、有楽町マリオンで前回観た映画は、2001年8月8日に『ジュラシック・パークⅢ』
  • 8月8日は村山聖九段が亡くなった日
  • ということは、有楽町で観るべきなのかもしれない

と書いたものの、

記事をアップした直後に、

有楽町マリオンでは、2001年11月に『冷静と情熱のあいだ』を観たこと、2001年8月8日が直近ではなかったことに気付き、

昨日(11月21日)になって、金曜日まで待てない、と思うようになり、

要は、昨日、月曜日の雨が降り始めた夜にもかかわらず、新宿で『聖の青春』を観てきました。

今日はその感想を。

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このような感じ方をする人は少ないかもしれませんが、映画『聖の青春』を観て、とても爽やかな青春映画だと思いました。

名人になる夢は叶わなかったけれども、必死に、前向きに、自分の夢に向かって生きていく村山聖八段(当時)。

周囲の、魅力的で個性豊かで温かい師匠・棋士・弟弟子。そして両親、羽生善治五冠(当時)。

将棋の過酷さも見事に描かれている青春映画。

エンドロールが流れる時に溢れてきた感情は、悲しさや切なさではなく、前向きな爽やかさでした。

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事前の予想と違って、私の場合はそれほど泣くことはありませんでした。

涙が出てきたのは、竹下景子さん演じるお母さんが泣いたシーンぐらい。

ただ、二度目、三度目と観るようなことになったら、松山ケンイチさんが出ているシーン全てで涙が出てくるという確信があります。

今回、最も心を打たれたのは、松山ケンイチさんの後ろ姿。

トボトボと歩く、少し丸まった後ろ姿に、村山聖九段が背負ったものが凝縮されているようで、言葉には言い表せないほど切なく感じました。

森信雄七段の奥様が、撮影の頃の松山ケンイチさんに会うなり泣いてしまった、というのがとても分かるような感じがします。

顔は決して似ているわけではないけれども、松山ケンイチさんから醸し出される雰囲気が村山九段そのもの、特に髪の毛を切った後の様子は、ビックリするくらい村山九段でした。

実際に村山九段と会っていた人たちからすれば、松山ケンイチさんを涙なしでは見れないのではないかと思います。

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2時間半のノーカット長回しによる最後の対局シーン。居酒屋での二人のシーンが非常に効果的に出てきて、なおかつ、勝負が決まる頃には、松山ケンイチさんの目に涙、東出昌大さんの目もかなり潤んでおり、凄絶かつ印象的な映像でした。

——–

今回の『聖の青春』は懐の深い映画。

見る人によって、あるいは見る時によって、ボロボロと泣く人、村山九段の強い決意に感動する人、いろいろな感じ方ができると思います。

きっと私は、もう一度、今度こそは有楽町マリオンに休み前の日に観に行くと思います。

松山ケンイチさんの出ているシーン全てで、涙を流してきます。

 

 

 

ブログ8周年

今日は6月4日(土)友引。

2008年6月4日(火曜日、大安)に、このブログが始まった。

昨日で丸8年、今日から9年目ということになる。

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2008年5月18日(日)、バトルロイヤル風間さんと浅草で飲んでいる時に、バトルさんから「どう、ブログ始めてみれば」と言われたのがブログを始めるきっかけだった。

この前日、5月17日が近代将棋最終号の発売日だったので、感傷的になりながらの飲み会だったのだと思う。

近代将棋が休刊した頃

はじめは「ブログを書くなんてありえない」と思っていたのが、怖いもの見たさで、どのようにすればブログを始めることができるのかを調べているうちに、いくつかブログサービスがあるけれども自分ならどれを選ぶだろう、ということになり、徐々にブログをやってみようという気が起きてきた。

バトルロイヤル風間さんの一言がなければこのブログは誕生していなかった。

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このブログの一番初めの記事は次のようなものだった。

近代将棋で「将棋ペンクラブログ」の連載が始まったのが2007年3月。当時の吉野編集長から「近代将棋に将棋ペンクラブの広報ページを作ってみては」という有り難い申し出があり誕生したコラムでした。

将棋ペンクラブ幹事である、アカシヤ書店の星野さんと私が交互に書くことになり、タイトルは「将棋ペンクラブ」+「ブログ」の合成語で「将棋ペンクラブログ」としました。将棋ペンクラブ大賞の選考過程など、きちんとした広報の月も多かったのですが、私は後半、日記風に結構好きなことを書いていました。

しかし、59年続いた近代将棋が5月17日発売の6月号をもって暫く休刊することとなり「将棋ペンクラブログ」も14回でフリーズすることに…

不思議なもので、それまでは原稿締切に追われるのが憂鬱だったのに、何もなくなってしまうと、それはそれで心に穴があいたような状態。

というわけで、この日のために「将棋ペンクラブログ」と名付けたわけではありませんが、流れ流れてネットで再登場いたしました。

将棋の話題以外も書くつもりです。そういうわけで「将棋ペンクラブ非公認」と名乗っています。

これからどうなることやら。私のお知り合いの方々、およびまだ私とお知り合いではない皆様、どうか暖かく見守ってやってください。よろしくお願いいたします。

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インターネット黎明期の1994年、ある広告会社のデジタル部門の室長の「そこに訪ねていけば必ず新しいことがある、1日最低1回は必ず更新されているようなホームページじゃなきゃいけない」と言った言葉が忘れられない。

この室長は、営業一筋かつ超アナログ、昔ながらの広告会社の雰囲気を持つ人だった。デジタルな人が情報技術先にありきで言うのではなく、そのような人が言うことだったので、私にとっては説得力があった。

ホームページとブログの違いこそあれ、このブログで心がけていることも、毎日更新すること。

桃栗三年柿八年。8年経ったけれども、きっとこのブログは、ネタ切れになるまでは、これからもあまり変わらないと思う。

9年目のこれからも、よろしくお願いいたします。

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この8年間で、多く読まれた記事TOP50。

  1. 村山聖八段(当時)の急逝が将棋連盟に伝えられた日
  2. 羽生善治五段(当時)「そんなこと怖くて言えません」
  3. 渡辺明五段(当時)「羽生さんにビールをついできたいのですが……」
  4. 渡辺竜王と藤井九段が驚いた、驚異の羽生マジック
  5. 42人の棋士が語る故・村山聖九段
  6. 羽生善治名人が語る藤井システム
  7. 羽生善治五段(当時)「いえ、森内君の妹にはかないません」
  8. 先崎学六段(当時)「彼が死ぬと思うから俺は書くんだ」
  9. 1998年8月11日の羽生善治名人
  10. 棋士と顔が似ている有名人集大成(女流棋士編)
  11. 「封じ手事件」の真相
  12. 「私、森内の妹です」
  13. ヒールになってしまった羽生善治四冠(当時)…後編
  14. 森内俊之八段-伊奈めぐみさん戦
  15. 羽生善治四段(当時)の超ユニークな自戦記
  16. 林葉直子女流名人(当時)「私の愛する棋士達 先崎学五段の巻」
  17. 天野貴元さん逝去
  18. 第21回将棋ペンクラブ大賞最終選考経過
  19. 打ち上げの席で山崎隆之五段(当時)が渡辺明五段(当時)に話したこと
  20. 谷川浩司名人(当時)「この男、将棋で負かした上に何の話があると言うのだろう」
  21. 点のある・ない論争
  22. 1997年、郷田真隆六段
  23. 佐藤康光竜王(当時)「休み?休みなんか要るんですか。だって勉強は労働じゃないでしょう」
  24. 永井英明さん逝去
  25. 故・村山聖九段が語る羽生善治名人と森内俊之九段
  26. 羽生善治六冠(当時)婚約記事
  27. 森内俊之竜王「話し足りないことがあるので、もう少しいいですか」
  28. 羽生名人を育んだ八王子将棋クラブ
  29. 羽生善治名人が奨励会に入会した頃
  30. 羽生善治王座の、控え室の誰もが思いもつかなかった恐ろしい着想
  31. 藤井猛九段「こっちは優秀かどうかで戦法を選んでない。指してて楽しいかどうかなんだから」
  32. 羽生名人が語るカニカニ銀
  33. 羽生善治竜王(当時)への深夜の電話
  34. 故・米長邦雄永世棋聖は言っていない「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」
  35. 羽生善治名人「体力は森内君にかないませんよ」
  36. 森信雄六段(当時)「村山君よ、安らかに」
  37. 深浦康市六段「「丸山忠久という男」
  38. 村山聖六段(当時)「知らないんですか、羽生先生の将棋を」
  39. 光速の寄せと、迫真の描写
  40. 羽生善治四冠「彼は本物の将棋指しだった」
  41. 行方尚史三段(当時)「もし奨励会を退会するようなことになれば、ぼくは死ぬ以外に無い」
  42. 先崎学五段(当時)の「森内六段(当時)の好きなところ」
  43. 第21回将棋ペンクラブ大賞
  44. 森信雄六段(当時)と山崎隆之少年
  45. 先崎八段と行方八段
  46. 天野貴元三段(当時)の「八十一格の青春」
  47. 佐藤康光王将(当時)「我が将棋感覚は可笑しいのか?」
  48. 鈴木大介八段の涙
  49. 林葉直子さんの新刊「遺言 最後の食卓」
  50. 羽生善治五段(当時)の卒業