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加藤一二三九段「私は自分が一分将棋の神様と言われる事は全く不本意で、一分将棋の達人とか、名手とか呼んでほしいと話をした」

将棋世界2000年10月号、加藤一二三九段の「わが激闘の譜」より。 私は6月24日に日本シリーズの対局で岡山に行った。着いてすぐに私は山陽新聞の記者に将棋の話をいろいろとした。記者は私の紫綬褒章受章、おめでとうございますと言って下さり、新聞...
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居飛車党の麻雀と振り飛車党の麻雀

将棋世界2000年9月号、鈴木大介六段(当時)の「鈴木大介の振り飛車日記」より。 棋士の場合、麻雀と将棋の棋風が似ている人が多く、特に大きく分けると居飛車党の人の方が先崎八段をはじめ駒の損得に厳しく麻雀でも理論的な現実主義が多い気がする。 ...
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大山康晴十五世名人「盤を出して調べるような暇はない」

将棋世界1980年5月号、毎日新聞の井口昭夫さんの「第29期王将戦・4-2で終わる 大山、56歳の復活」より。 さて、加藤の穴熊に、大山はいかなる対策を用意していたか。それは40手目の△5一角ではっきりした。前回、天童の対局では、7七にいた...
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鈴木大介六段(当時)「早く藤井システムが特許を取り藤井竜王しか指せない伝説の戦法になる事を祈る!」

将棋世界2000年8月号、鈴木大介六段(当時)の「鈴木大介の振り飛車日記」より。 棋王戦予選決勝、対日浦七段戦。これに勝てば四段昇段した時以来の本戦に入る事が出来る一局。日浦七段と言えば羽生四冠キラーで有名。一時期は「マングース日浦」とまで...
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棋士版「結婚披露宴スピーチの急所」(昭和編)

将棋世界2000年8月号、田丸昇八段(当時)の「マイ・フォト・メモリーズ わが兄弟子の西村一義九段が26年前に挙げた華燭の典」より。 私は奨励会時代、兄弟子の西村一義九段にいろいろとお世話になった。西村さんは大変に後輩思いの人で、同門の私だ...