読む ”天皇”と呼ばれた大経営者が一瞬で魅せられた名人戦 将棋世界1980年7月号、加古明光さん(毎日新聞社)の第38期名人戦〔中原誠名人-米長邦雄王位〕第3、4、5局盤測記「中原、大きくリード」より。 第5局の対局場は、静岡県袋井市の「葛城北の丸」という場所。事前に七番勝負の日程を発表した時、大... 2016.08.04 読む
読む 羽生善治三冠「度が合わなくなったので、めがねもその少し前に替えました」 将棋世界1999年11月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。 右脳研究がブームになっていた頃だから、7、8年前になろうか、テレビ局の依頼で研究の実験台になったことがある。場所は日本医大で研究チームのリーダーは大脳生理学者の故品川嘉也... 2016.08.03 読む
読む 真部一男八段(当時)「一言でいえば、羽生は知の人であり佐藤は理の人である」 将棋世界2000年4月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。 羽生四冠がまた勝った。王将戦4-0である。このことを少し考えてみよう。 これほどの大差をつけられるほど、佐藤康光名人は弱いのか、否、そんな問題ではない。羽生が断然強いわけで... 2016.08.02 読む
読む いにしえの将棋界三奇人 将棋世界1981年1月号、能智映さんの「棋士の楽しみ―(酒)」より。 ありきたりの表現だが、将棋指したちは”勝っては呑み、また負けては呑む”のである。 いつか、ある棋士に自省も含めて「あんまり呑むと、肝臓がやられちゃうんだってね。お互いに、... 2016.07.31 読む
読む 昔の棋士の前職 藤沢桓夫さんの『将棋百話』(1974年)より。 約80名を数える現役棋士のほとんどは、小学校を卒業する前後に、先輩棋士のだれかの弟子となり、将棋連盟の「少年棋士養成所」ともいうべき「奨励会」に参加し、ここで技を磨いて昇段の道を進んだ人たちば... 2016.07.30 読む