読む 行方尚史四段(当時)「荒削りだった三浦君の十八番だったんですよ」 将棋世界1995年7月号、泉正樹六段(当時)の「公式棋戦の動き」より。棋聖戦(産経) ベスト4入りを果たしたのは、谷川、森下、村山、三浦。挑戦権が目と鼻の先まで来たが、それ以上にデカイのは、次に負けても来期のリーグにシードを得た事。まあ、こ... 2016.02.08 読む
読む 盤側の妻 倉島竹二郎さんの「昭和将棋風雲録」より。 私は昭和7年から昭和10年までの3年間、溝呂木家の2階や3階で行われた多くの勝負を観戦した。飯塚七段が対局中南京豆を食いすぎて鼻血を出したこと、徹夜の神様といわれた斎藤七段が夜がふけて相手に疲労の色... 2016.02.07 読む
読む 嘘のようにのんびりとした対局室 倉島竹二郎さんの「昭和将棋風雲録」より。 当時から日本将棋連盟はあったが、まだ現在のように基礎が確立していなかった。本部は麹町の関根名人邸となっていたが、それは名ばかりの本部だった。そして、対局場は各社まちまちで、大崎八段が担当していた「国... 2016.02.06 読む
将棋関連書籍Amazon売上TOP10 将棋関連書籍amazonベストセラーTOP30(2016年2月6日) amazonでの将棋関連書籍ベストセラーTOP30。 2016.02.06 将棋関連書籍Amazon売上TOP10
観戦記 「2手目△3二金は志が低い」と語っていた森下卓八段(当時)に2手目△3二金 を指した羽生善治名人 将棋世界1995年7月号、野口健二さんの第53期名人戦〔森下卓八段-羽生善治名人〕第4局観戦記「頂上へのアプローチ」より。 対局場の銀波荘に着いたのは、1日目の昼食休憩の時だった。早速控え室へ行くと、主催紙・毎日新聞の山村記者がなにやら意味... 2016.02.05 観戦記