読む

佐藤康光名人(当時)「私の将棋は全面的に彼に認められていなかったと思う」

将棋世界1998年10月号、佐藤康光名人(当時)の村山聖九段追悼文「村山さんのこと」より。 村山死す、の報は8月10日、連盟で所用を終え、お昼を食べに行こうとした時に知らされた。 私は彼の病状を詳しく知らなかったが、気にしてはいなかった。そ...
読む

羽生善治四冠「彼は本物の将棋指しだった」

将棋世界1998年10月号、羽生善治四冠の村山聖九段追悼文「突然の訃報」より。 8月10日、連盟で対局をしていると、昼休みに村山八段が亡くなられた事を知った。「そんな…」信じられない気持ちだった。 結局、4月に広島で行われた名人戦イベントの...
タイトル戦の食事

第56期王位戦第3局対局場「六園荘」

王位戦第3局は、北海道釧路市の「六園荘」で行われる。→中継「六園荘」は、大阪の商人で後に釧路に永住した中西六太郎の、明治38年に建設された住宅。中西六太郎は弘化4年(1847年)に大阪府豊能郡池田町で生まれいる。当初は大阪と函館の間で商いを...
自戦記

内藤國雄九段「何をバカなことを言うか、谷川はそんな男ではない!」

将棋世界1988年5月号、内藤國雄九段の「自在流 スラスラ上達塾」より。 いつのことだったか、A級の定員が11名だった年、リーグ終盤に入って全員指し分けに終わるかも知れぬという、奇妙な事態の生じかけたことがあった。 皆が5勝5敗の同成績だと...
自戦記

谷川浩司王位(当時)「この連載自戦記では、私はいつも肩書きで統一しているのだが、今回だけは先生と書きたい気分である」

将棋世界1988年4月号、谷川浩司王位(当時)の連載自戦記〔A級順位戦 対内藤國雄九段戦〕「全力で戦った一局」より。 問題図は、△2四歩▲同歩△2二飛▲2八飛△2四角までの局面である。 後手の次の狙いは、もちろん△5七角成ではなく、△5六歩...