「谷川の心臓には毛が生えており、それは日本髪を結えるほど」

将棋世界1983年8月号、毎日新聞の加古明光さんの「史上最年少の谷川浩司新名人誕生!」より。

 自身が主催紙の一員としておかしいかもしれないが、6月16日付の各新聞にはびっくりした。箱根山中から東京に帰り、各紙を読んでみたら、いずれも「谷川新名人誕生」を破格のスペースで扱っている。ウチ(毎日新聞)が社会面トップの記事にするのは当然だが、他紙もそろって4、5段の大記事、中には、主催紙顔負け(?)で、一面と社会面に扱い、トップ記事のところもあった。驚いた、おったまげた。

 将棋界のニュースが、マスコミでこんなに派手に取り上げられたことは稀有ではないのか。かつて升田-木村の対決、大山-升田のライバル、加藤八段登場の「神武以来の天才」という言葉の流行など、社会面をにぎわしたことはある。今回の新名人誕生は、それを上回るにぎやかさであろう。

 フィーバーはさらに続き、17日の朝刊各紙一面下のコラムも、ほとんどが谷川を取り上げていた。この記事量を将棋界のPR代に換算したら、何億円、いや何十億円になるか。

 しかし、新名人誕生の余震が静まってくるにつれ、この騒動もむべなるかな、と思われてくる。新聞には、他社ものを小さく扱う「セコい」ところがあるが、史上最年少名人を生んだ第6局は、歴史的に、社会的に、セコい垣根をとっぱらうほどの意味を持っていた。現行制度が続く限り、21歳名人が生まれるには、ギリギリ16歳で四段になっていなければならない。昇降級リーグ(順位戦)で一度も遅滞が許されない上でのことだ。しかも谷川は、21歳と71日で名人位を手にした。空前にして、おそらく絶後であろう。

 タイトル戦初登場で最高位の「名人」をつかんだ谷川。人柄そのままに、周囲から温かい拍手を受けている。「コージ・コール」はまだ続いている。居並ぶ先輩を押しのけて一気に最高の座へかけ昇った谷川の大詰めの一局、第6局は―。

 谷川を見て感じたのは「この棋士、しゃかりきになって名人を取りに行くつもりなのだろうか」という気持ちだった。1、2、3局をストレートで勝ち、熊本で迎えた第4局では「一度やってみたかったので」という理由だけで無理な仕掛けに出た。第5局でも「夕食時には駒得していていいと思ってたんですがねえ」とあっさり言う。内面はともかく、表情に悔恨とか、疲労こんぱいというものが伺われない。

 観戦記の中で「谷川の心臓には毛が生えており、それは日本髪を結えるほど」と書いたが、負けてもひょうひょうとしている。ひょうひょうさに、図々しさ、生意気なところが伴っていないのがいい。無欲活淡なのだ。

(以下略)

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谷川浩司九段は中学3年で四段となり、初年度だけ足踏みしたものの、その後は順位戦で連続昇級をしてA級1年目で挑戦権を得て、21歳で名人位を獲得する。

中原誠十六世名人は18歳で四段となり、毎年順位戦で昇級をしてA級2年目で挑戦権を得て名人位を獲得したわけで、二人とも6年という超スピード。

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「心臓に毛が生えている」は、江戸時代には「肝に毛が生えている」と言われていたらしい。

「肝が座っている」や「肝だめし」という言葉があっても「心臓が座っている」や「心臓だめし」とは聞かないので、やはりこのような分野の言葉は昔は心臓よりも肝の方が本家だったのだろう。

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1980年代頃までは、

「きもい」=「肝い」=重要な、大事な

の意味で使われていたが、平成になってからは、

「きもい」=「キモい」=気持ち悪い

に主流が変わっている。

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ランブータンという南方の果物がある。

目玉に毛が生えているように見える果物で、味はライチに似ている。

初めて見た時は、キモいまではいかないが、水木しげるさんの描く妖怪にこのようなものがあったのではないか、と思ったほどだった。

スリランカでいただける”くだもの”:ランブータン(地球の歩き方)