羽生名人と森内前名人

羽生善治十九世名人が誕生した。

ようやく落ち着くところに落ち着いたというか、古い話で恐縮だが、三浦友和と山口百恵が結婚して「ようやく落ち着くところに落ち着いた」と感じた時のことを思い出してしまった。

一方、森内俊之前名人は残念だった。しかし森内さんが無冠である時期は短いと思う。

あれは2003年のことだった。

この年の5月、名人戦で森内名人が羽生挑戦者にストレートで敗れ無冠になった。

同じ6月、湯川博士、恵子夫妻の結婚30周年のお祝いが、埼玉県森林公園の温泉施設で行われた(日帰り貸切バスツアー)。湯川夫妻と縁のある人々50名ちかくが招待された。私も参加させていただくこととなった。

湯川博士さんのチェス仲間だった森内名人と羽生挑戦者にも5月中に招待状が出されていた。あいにく羽生さんは当日予定が入っており、湯川さんへは参加できない旨および結婚30周年を祝う丁重で心暖まる手紙が届いた。森内さんは参加の返事。

当日の朝、池袋集合。森内さんは当時新婚の奥様に見送られバスに乗ってきた。奥様はバスが発車したあともずっと見送っていた。森内さんはバスの中では若手のチェス仲間たちと静かに談笑していた。

ところで、乗った貸切バスのバスガイドは湯川さんのお嬢様。観光バス会社に勤務する本職のバスガイドであり、バスの中ではバスガイド芸を十分に見せてくれた。

温泉施設に到着すると、まずは入浴や自由行動。13時から宴会・演芸会が始まった。演芸会は元・将棋ペンクラブ幹事で出版社勤務のO氏のプロデュース。湯川博士さんの大学の同級生の落語、若手女性浪曲師の浪曲、O氏の落語、バトルロイヤル風間さんの似顔絵コント、そして湯川博士さんの落語初デビュー。

アマチュアとはいいながら面白い芸が続いた。森内さんも屈託なく笑っている。私が演じた芸ではないのだが、リラックスしている森内さんを見て、私も嬉しくなった。

そして、この年の9月。竜王戦挑戦者決定三番勝負が中原永世十段と森内九段で行われることとなった。たまたま私は、このとき3局とも控室を見に行くことができた。

森内先勝のあとの第2局目、中原永世十段の巧みな指しまわしで1勝1敗となった。打ち上げは感想戦終了後、連盟5階で23時過ぎから行われた。中原永世十段もご機嫌で面白い会話が続く。

「大山先生とのタイトル戦のときは参っちゃったよねえ(昭和46年以前)。1日目の午後4時頃、封じ手にしようと言うんだよね。どうせ1日目なんだから、早くやめて麻雀にしましょうよって。記録係の子に時間は適当に計算して加えておいてって。そりゃ大山先生は1日目は美濃囲いに囲うだけだからいいんだけど、僕は居飛車だから1日目からもの凄く考えなきゃいけないんだよね」

森内九段は中原永世十段の隣の下座に座り、笑いながら話を聞いている。しばらくすると、森内九段がビール瓶を持って席をまわりまじめた。新聞社、連盟職員、関係者の人達に「今日はお疲れさまでした」とビールをついでまわっているのである。私にまでビールをついでくれた。

負けた日なんだから、そんな気を遣わなくていいのにと申し訳なく思ったのだが、あとで考えると、あれが森内さんの地なのかもしれないとも思った。

その後の森内さんは、竜王戦の挑戦者となり竜王を奪取し、翌年の名人戦では羽生名人から名人を奪い返し、名人位を守り続け昨年十八世名人となった。

森林公園然り、連盟での打ち上げ然り。逆境の中での森内さんの良い意味での鈍感力、気遣い、性格のよさ(これはどの棋士にも共通しているかもしれないが)には、抜群なものがあると思う。

無冠の時ほど力を発揮できるのではないだろうか。

ここからは、半分冗談だが、2003年以降、森内さんが数々のタイトルを取り返した原動力の一つには、湯川博士さんの落語やバトルロイヤル風間さんのコントを名人戦直後に見たこともあるのではないかと少しだけ思っている。森内さんと羽生さんの最も大きな違いは、このときの演芸会を見たか見なかったかの部分だ。

ちなみに今年は湯川夫妻結婚35周年。9月に東京で記念演芸会をやるという話が伝わってきている。影響があるかどうかは別としても、ゲン担ぎの意味でも、また森内さんが、湯川博士さんの落語やバトルさんのコントで笑う姿をみて、私も嬉しくなりたいと思っている。