広島の親分(4章-2)

屋上の庵
「昨日は一緒できなくて、すまんかったなあ」
「いや、高木さん、広島焼、すっかりご馳走になっちゃって。美味しかったです」
高木さんはテレビのワイドショーをみていた。
「わしは新聞は読まん。こうやってワイドショーみていれば、裏で誰が動いとるとかが、手にとるようにわかるんじゃ」
 その後、高木さんは、以前将棋道場をやっていた跡地や、よく将棋を指す公園を案内してくれた。公園の物置には沢山の盤と駒があった。
 「麻雀・喫茶よしみ」へ戻って雑談が続いた。
「昨夜、眠っとったら警察から電話があってな、若いもんが暴れてるから手を貸してくれいうんじゃ。わしのところの者じゃなかったが、服を着替えて行ったよ。わしもダブルのスーツ着ればシャキッとするからの」
嬉しそうに高木さんは語った。
1階のカウンターの中の、女性が生ビールを持ってきてくれた。
高木さんは一晩に瓶ビール80本を空けたほどの酒豪だ。
「この家には、加藤治郎(名誉九段)先生や大山名人、大田学さん(初代朝日アマ名人)、西本(馨七段、木見門下で同門)さんなんかが訪ねてきてくれてな…」
昔話に花が咲く。
「そろそろ、上に行こか」
 3階建てのビルの屋上には高木さんが寝起きしている庵がある。
階段を上がる。少し曲がった感じの登りづらい階段だ。襲撃された場合でも、少しでも時間稼ぎができるよう細心の工夫がされているのだろう。途中に猫が寝ていた。
庵は、そこそこの広さだった。本棚、家具、テレビ、小さな仏壇、複数の将棋盤などが置かれている。
壁には、加藤治郎夫妻と一緒に撮った写真、大山十五世名人と一緒の写真、警察幹部と並んで撮った写真などが飾られていた。
仏壇には白い軍服姿の若い男性の写真。高木さんが2歳のときに亡くなった、海軍将校だった父親のなのだろう。
本棚を見ると、ほとんどの本が大山十五世名人の著作と湯川博士さんの著作ばかり。
 少し雑談をしたあと、将棋が始まる。

一局目は高木さんと私の対局。 
高木さんはオーソドックスな居飛車党、私は振飛車党。私が先手で三間飛車対居飛車急戦の戦いとなった。高木さんの指す手にはハッタリや無理攻めが全くない。正統派の将棋だ。
この将棋、中盤までは私が優勢だったが、終盤にミスが出て、逆転で私が負けた。
「いや、負けました」
「東京から来た人はウマいからなー」
高木さんは、勝って照れ笑いをしているかのように私の肩を叩いた。
 目が初めて笑っていた。
二局目は高木さんと湯川さんとの対戦。
対局が始まる前に、高木さんが電話で
「中華丼3つ」
と出前を頼んだ。