阪田三吉の将棋盤が復活

阪田三吉が稽古で使っていた将棋盤が、11月8日に大阪府吹田市で開かれる市民将棋大会の決勝戦で約半世紀ぶりに使用されることになった。(→ニュース

阪田三吉は現在の大阪府堺市の出身だが、大正13年から昭和9年の約10年間、現在の吹田市に居住していた。その頃の支援者(稽古も受けていた)の家が吹田市の重要建築として保存されており、将棋盤と駒はその家に保管されていた。

阪田三吉が自分で作らせて支援者の家に置いた将棋盤と駒ではないかと言われている。

写真で見ると、将棋盤の表面がかなり黒ずんでいる。専門家に委託して表面だけでも削れば新品のようになるのだが、吹田市の文化的保管物なので削るのは難しいのかもしれない。

駒は2つの王将に「坂田好(さかたごのみ)」と刻まれている。

坂田好」は駒の書体のひとつで、坂田好の駒は、阪田三吉が後援者に贈るためあらためて作られた駒ということだ。

ところで、阪田三吉と坂田三吉の二通りの名前の表記があるが、戸籍名は坂田だった。

大阪は江戸時代以前「大坂」だった。大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから大阪の字が定着したと、司馬遼太郎の本で読んだことがある。

同じ理由で阪田と表記するようになったのかもしれない。