腰掛銀戦法

一昨日の竜王戦第3局は、角換わり腰掛銀の大熱戦。

一日目に指された手数の多さ、プロ間で研究テーマとなっている局面からの闘い、劇的な△7九銀など、非常に見応えのあるドラマチックな面白い将棋だった。

それにしても、升田幸三実力制第4代名人の△3五銀、中原誠十六世名人の▲5七銀、羽生善治四冠の▲5二銀と、歴史的な絶妙手は「銀」の手が多い。

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角換わり腰掛銀は現在第3次ブームと言われている。

第1次ブームが終戦直後の昭和20年代、第2次ブームが昭和60年代。

私が将棋を覚えたのは昭和40年代。この頃は腰掛銀受難の時代だった。

当時の将棋世界には腰掛銀の実戦譜はほとんど載っていなかったと思う。

この頃の定跡書も、「よくわかる矢倉戦法」、「よくわかる棒銀戦法」はあっても、「よくわかる腰掛銀戦法」はなかった。

加藤一二三八段の大泉書店「初段をめざす将棋シリーズ」にも「矢倉の闘い」「棒銀の闘い」はあっても、「腰掛銀の闘い」はなかった。

横歩取りや相掛かりが斜陽戦法とされていた時代の話だ。

今では、腰掛銀、横歩取り、相掛かりがタイトル戦の常連になっている。

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「矢倉は将棋の純文学」と言ったのは米長邦雄永世棋聖。

団鬼六さんはエッセイで、「居飛車は現代小説、振飛車は時代小説」と書いている。

腰掛銀は現代小説では何になるのだろう。

中編SF小説なのかどうか、微妙なところだ。

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腰掛銀第1次ブーム以前から角換わり腰掛銀を指していたのが故・小堀清一九段。河口俊彦七段の師匠にあたる、

1987年に75歳で引退するまで、ほとんどの将棋を腰掛銀にしていたという。

升田幸三実力制第4代名人の著書では、小堀清一九段は、5筋の歩が切れているのに5六の銀の下に▲5七歩と打ったことがあるくらい腰掛銀が好きだった、と書かれている。

1950年の近代将棋創刊号、大和久彪七段の初心指導講座では「腰掛銀戦法は当初小堀七段が盛んに実戦に用いて相当な勝率を示したので次第にこれをまねる者が多くなって、一時は平手将棋の過半数は腰掛銀戦法であったほどだ」と紹介されている。

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私は角換わり腰掛銀を一度もやったことはないが、振飛車とは全くの別世界で、見るにはとても面白い戦法だと思う。

竜王戦第3局を見て、強くそう思った。