先週発売の将棋世界で、1971年名人戦の升田式石田流が取り上げられていた。
今日は、1971年名人戦第7局が終わってから2局後の升田幸三九段の将棋を。
升田九段の、非常に不気味で大胆不敵な技が出てくる。
将棋世界昭和47年新年号、五十嵐豊一八段の「手のつくり方」より。
升田九段らしい妖術。
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手づくりの名人
升田九段は手づくりの名人だ。手のないところに手をつくる、という表現は語弊があるかもしれないが、とにかく、一見手づまりを思わせる将棋でも、ほいほいと局面を打開して、いつのまにか「手」をこしらえてしまうのである。昭和46年度順位戦の升田・内藤戦に、図の局面があらわれた(先手:内藤、後手:升田)。飛先き歩交換型相腰掛銀とよばれる布陣である。
コマ組みの性質上、戦いがはじまったとたんに終盤へとびこんでしまうので、超急戦の代表的なものとされている戦型だ。
にもかかわらず、升田九段は自分のほうから4四歩と角の道をとざしている。こんなのは見たことがない。角筋を止めることは守勢を意味する。もし、アマチュアの方が、このような陣立てを用いたとしたなら、作戦の分裂もはなはだしいコマ組ですよと、注意を受けること間違いない。
図で、形にこだわる△4一玉は、▲3五歩△同歩▲4五歩。あるいは▲1四歩△同歩▲1三歩などの攻めをみられて、先手方に主導権をにぎられてしまう。
この時代は、飛車先交換後、引き飛車にしただけでも異例なことだった。
東公平氏の観戦記では、16手目に△8二飛と引くときに「二通りある…」と升田九段がひとりごとを言ったと書かれている。
(図からの指し手)
△6五銀▲同銀△同歩▲4五歩
升田九段は突如△6五銀とぶつける。この一手で、内藤國男八段の陣は金縛りにあってしまう。
一見普通のやりとりだが、裏側には恐ろしい狙いが秘められていた。
けったいな将棋
升田九段は、6五銀とぶつけて銀交換の挙にでた。普通は、先にコマを手にした側が「先」をにぎるので、有利な展開となるはずだが、この場合は、その常識があてはまらない。けったいな将棋である。
銀を交換した升田九段のねらいは、△9六歩▲同歩△9七歩▲同香△9八銀にあったと思う。
それなら、内藤八段のほうから、一足先に▲1四歩△同歩▲1三歩とハシ破りをくわだててはどうかの考えが当然起ってくる。
ところが皮肉なことにこの攻めが成り立たない。すなわち、▲1三歩のあと「△9六歩▲同歩△9八歩▲同香△9七歩▲同香△9八銀」(下図)で、あとのカラスが先になってしまうのだ。
香頭にたたく△9八歩は、△1四同歩によって得たものである。
柔道の極意は、相手のうごきを利用することにあるというが、高級な手づくりにも、同様の要素がふくまれていることを知られたい。
本譜、内藤八段がこの時点で指せる手は▲4五歩くらいしかなくなっている。まさに攻めさせられている状態。
東公平氏の観戦記より。
局後に聞くと、内藤は「よくても悪くても」行く一手だったと、暗に升田の構想に包み込まれた感じを語っていた。
この後の中盤の攻めで内藤八段が最善手を逃したということもあるが、この対局は92手までで升田九段の完勝。
本当に不気味な陣形だ。