将棋ペンクラブ会報2003年春号の新春対談ゲストは、特定非営利活動法人「将棋を世界に広める会」理事長の眞田尚裕さんだった。
(ホストは高田宏将棋ペンクラブ前会長)
眞田さんは松代藩眞田家の子孫。
司馬遼太郎の「関ヶ原」でも書かれているように、当主である眞田昌幸は眞田家の存続のために関ヶ原の戦いの際に、自らと次男幸村は西軍に、長男信幸(信之)は東軍に属した。
眞田さんは勝ち残った眞田信之の直系の子孫にあたる。
そして、眞田さんは今上天皇の学習院での幼稚園から大学までのご学友でもある。
対談より
眞田 将棋の話でいえば、天皇のヘボ将棋の相手をした人ということになります。私がクラスで一番強かったんだけれども。
高田 それは小学校何年生くらいの時ですか。
眞田 4年生の時です。学習院には沼津の遊泳場というのがありまして、夏休みには4年、5年、6年かな、必ず遊泳訓練というのがあったんです。赤い褌をしまして。その時に夜はまあ暇ですからヘボ将棋をやっておったと。
(中略)
眞田 昭和天皇が将棋を非常にお好きだったんですね。入江侍従をつかまえては将棋をやられる。入江侍従はたぶん昭和天皇よりも強かったけど負かすわけにはいかないので上手に負けていたのではないかと噂されています。本当のところはわかりませんが。「入江君は下手だねえ」とおっしゃったという話が可笑しいですよね(笑)
高田 その昭和天皇から現天皇が手ほどきを受けたんですね。
(中略)
高田 同級生としては呼ぶ時は殿下ですか?
眞田 最近は陛下ですが昔は殿下でした。でも陛下は弱いというわけではなく物凄い攻め将棋なんですよ。どちらかといえば割と大人しい温厚な性格なのですが、人をやつけるという感じではないのですが、将棋は突っ込んでくる攻め将棋でした。
高田 眞田さんは今の皇太子様にもお教えになったとか。
眞田 陛下は覚えていて「浩宮が将棋を覚えたから眞田教えに来てくれ」と東宮御所に一度招かれたことがあります。
(以下略)
とても心温まる話だった。