振り飛車党列伝

本の腰巻の表側が、

振り飛車党の熱き魂を聴け!

「羽生には勝つ」剱持八段

「定跡に頼ると将棋が浅くなる」大内九段

裏側が、

振り飛車党の棋士たちをインタビュー形式で紹介。

個性的な棋士たちの生き様に、

将棋ジャーナル元編集長、湯川博士が迫る。

振り飛車戦法の歴史を綴った「振り飛車の系譜」も収録。

この本は、2005年に出版された湯川博士さんの「振り飛車党列伝」。

絶版になってしまったが、古典派あるいはロマン派の振飛車党にとっては感涙の書だった。

目次は次の通り。

第1章 振り飛車党列伝

勝つと決めたら勝つのが男 剛剣軟剣両党遣いの、剱持松二八段

万年青年 西村一義九段

さばきのアーティスト 久保利明八段

振り飛車党三間派 中田功七段

心優しき妙剣遣い 山口英夫七段

自然体で辛抱勝負 加瀬純一六段

変則流・力戦振り飛車党 戦いの中に形あり 武市三郎六段

振り飛車党裏ワザ派異能棋士 飯野健二七段

なんでもござれの振り飛車党 真部一男八段

2度目の春が 櫛田陽一六段

振り飛車党・尽きせぬ探究心 大内延介九段

第2章 振り飛車の系譜

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第1章の振り飛車党列伝、この人選がまさしく湯川博士流。

特に、巻頭の剱持松二八段へのインタビュー記事は、涙が出るほど可笑しくて面白い。

内容の一部については、近々ご紹介したい。

第2章の振り飛車の系譜は、大橋宗桂、本因坊算砂の対局に始まり、三代伊藤宗看七世名人→五代伊藤宗印→大橋宗英九世名人→大橋柳雪→天野宗歩→関澄伯理六段→吉田一歩→坂田三吉の振飛車の代表局が続き、大野・升田・大山がメインかつ締めになっている。

振飛車を革命的に変化させたのは大野源一九段だが、江戸時代の振飛車の感覚、美濃囲いの第1号局など、それ以前の振飛車苦闘の時代も描かれているのが嬉しい。

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この中から、大山康晴十五世名人の振飛車党転向秘話を。

大山は金看板の矢倉をはじめとるす居飛車で天下を取った。ところが昭和32年、升田に名人位を奪われて無冠になった。このとき悩みながらも自分の将棋を再点検した。これはどんな天才でも一度は通過する、重要なひとときだった。では大山名人はいつ振り飛車に転向したのか。

最近発表された丸田九段回顧録(将棋世界2005年9月号)に興味深い箇所があった。(以下要約)

[中野にあった将棋連盟に大阪から来た大野八段が泊まって、翌朝、大山さんと会った。

「大山、顔色が悪いな。どうしたんだ」

「升田さんにタイトルを全部取られちゃったら対局が多くてくたびれたのよ」

こうしたやりとりのあと、大野八段は言った。

「矢倉みたいな辛気くさい将棋指しているからや。振り飛車をやれ。振り飛車は角道止めて飛車振ってあとは王様囲ってな。それまでは顔上げんでいい。それをこなすのは大山、わしよりお前のほうがうまいやろ」

大野八段が言うと大山は、「はい」と大きい声で答えた]

王様を囲うまで顔を上げんでいいとは、素人のようで面白い。ともかく兄弟子の助言で、大山が振り飛車を指すようになったそうだが、これは初めて聞く貴重な証言だ。ではどんな対局か。

(以下略)

湯川さんは、大山十五世名人が振飛車党に転向した第1号局を探るために、丸田九段に問い合わせている。(湯川さんの調査では、昭和32年8月10日の対丸田戦が第1号局ではないかという仮説を立てていた)

丸田九段からはすぐに手紙で返答が帰ってきた。

「大野さんが言った日は夏ではなかったから、違うでしょう。おそらく秋です。私は当時理事で、ときどき対局室を覗いて回っていたから対局者は私じゃありません。しかし8月の大山さんとの…(以下略)」

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第2章の振り飛車の系譜は、少なくとも大野ファンには必見だと思う。

振り飛車党列伝 振り飛車党列伝
価格:¥ 1,449(税込)
発売日:2005-11