いろいろな形態の将棋ファンがいるが、今日の話のような将棋ファンは、神の域に達していると思う。
将棋世界1998年7月号、中座真四段(当時)のリレーエッセイ「待ったが許されるならば……」より。
競馬はほとんどやらないのだが、一度だけおいしい思いをしたことがある。六年前(1992年)の「日本ダービー」である。
知人の中山氏と知り合ったのは、奨励会の三段の頃、西日暮里道場で指導対局をしたのがきっかけだった。氏は、気さくで面倒見が良く、三段時代随分お世話になった。
「明日のダービーで、ライスシャワーという馬を買ってください」
「ハア?」
「きっと来ますよ」
ある日突然氏から電話があり、競馬を知らない僕は、当時奨励会の後輩で仲の良かった、競馬好きの瀬川氏に相談してみることにした。
「ねえ、瀬川チャン。明日のダービー買いに行く?」
「ええ、もちろん行きますよ」
「ライスナントカって馬なんだけど」
「それ、ライスシャワーのことでしょう。ええ、出てますよ。でも、そんな馬来るわけないですから、やめた方がいいですよ」
後にライスシャワーは「天皇賞」を獲得するなど、大活躍したのだが、当時はあまり知られていなかった。
「知り合いの人が必ず来るって言うんだけど…」
「そんな馬が来るんなら、その人の靴を舐めたっていいですよ」
彼は冷酷に、僕の期待を吹き飛ばしてくれたが、とりあえずライスの複勝と、馬連をいくつか彼に頼むことにした。
ライス人気は18頭中ドンジリから8番目、もし来れば万馬券だが、どう間違っても来そうになかった。
ダービー当日、僕はテレビで観戦することにした。瀬川情報サービスは正確で、解説者のコメントにもライスのラの字も出てこない。それでも出走時刻が近づき、ファンファーレが鳴り響くと、全身が一気に緊張に包まれた。
一瞬の静寂の後、ゲートが開き18頭の馬が一斉に走り出した。
ライスシャワーは最初から飛ばし続け、一向に落ちる気配がない。しばらくすると、さっきまで一言も出なかったライスの名前が、テレビで連呼されだした。
最終コーナーからゴールまで、心臓が口から飛び出しそうだった。
そして、ライスは見事に2着に入った。
万馬券だ…。現実を前にしばし呆然。
電話の音で、我に返った。瀬川氏の声が興奮のためか、震えている。
「凄かったですねぇ。驚きました」
「瀬川チャンのおかげだよ。ありがとう。今日は僕がご馳走するよ」
「いや、あの、実はですねぇ…。僕も取ったんですよ」
「エエッ、あんなことを言ってたのに、買ってたの?」
「どうせ来ないとは思ったんですけど、お金が余ったんで、少しだけ買ってみようかと…」
もの凄い理由に動揺したが、そこまではまだ、勝っている余裕があった。
「良かったね。じゃあ二人とも勝ったんだ。祝盃をあげよう。で、瀬川チャンはいくら勝ったの?」
「えっ…、○十万です」
僕は卒倒しそうになった。
(この男、なんで俺より勝ってんねん?)
しかも配当金は僕の軽く倍である。
その夜、彼のご馳走になったのは言うまでもないが、帰り際にボソッと語った彼の一言がまた憎らしい。
「困ったなあ。財布に金が入りきらないよ」(コイツなぐったろか)
奨励会時代の懐かしい思い出である。
(この後、中山さんの心温まる話が続く。以下略)
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この話に出てくる瀬川氏は、もちろん瀬川晶司四段。
このエッセイが書かれたのが、瀬川四段が奨励会を退会して2年後のことだ。
それにしても微笑ましくてうらやましい話だ。
このエッセイの5年後に、中座真七段は中倉彰子女流初段と結婚をする。