清水市代女流王位に甲斐智美女王が挑戦する女流王位戦第3局は、福岡県飯塚市の「旧伊藤伝右衛門邸」で行われる 。
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昨年の10月21日の行われた女流王位戦第3局、石橋幸緒女流王位(当時)-清水市代女流名人(当時)戦も「旧伊藤伝右衛門邸」で行われている。
数ある対局場の中で、最も男女のドラマがあった場所だ。
(文末の昨年10月21日の記事抜粋参照)
[昼食予想]
「旧伊藤伝右衛門邸」が対局場で利用されるのは4度目だが、過去3回の昼食の記録はない。
両対局者とも、前夜祭が行われる、のがみプレジデントホテルによる「松花堂弁当」と予測したい。
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(昨年10月21日の記事)
~伝右衛門と白蓮の悲話~
「旧伊藤伝右衛門邸」は、筑豊の石炭王であった伊藤伝右衛門の邸宅。
明治期に建てられ、大正期・昭和初期に増築された近代和風建築物として飯塚市の文化遺産となっている。
伊藤伝右衛門(1860~1947年)は、貧しい家に生まれ幼い頃は相当な苦労をしたが、明治の中期に炭鉱経営に成功。巨万の富を築いた。また衆議院議員も務めた。
地元へ女学校を作るための寄付をしたり育英会を設立するなど、人柄も含めて地元からの信望が非常に厚い。
そして伊藤伝右衛門は、大正天皇の従姉妹であり大正三美人といわれた歌人・柳原白蓮(→白蓮の写真)との離婚劇でも有名になる。
ともに再婚同士。27歳も離れた結婚は、兄の貴族院議員出馬の資金調達の必要に迫られた白蓮側と名門との結びつきを求める伝右衛門側の利害が一致しての政略結婚とも言われた。
水洗トイレを取り付けさせたり、朝食をパンにするなど、伝右衛門は白蓮の希望を全て聞き入れた。(当時のパンは、外国船が出入りする門司港のベーカリーにまで買いにいかなければならないほどだった)
しかし、親子ほど歳が離れ、全く別の環境で育った二人の間では意思の疎通も難しく、夫婦仲は冷たいものになっていった。
伝右衛門の女性関係が奔放だったことも影響したかもしれない。
そして結婚10年目、白蓮35歳のときに、白蓮は7歳年下の雑誌記者との愛に燃え、駆け落ちをしてしまう。
白蓮は、朝日新聞紙上で伝右衛門に「公開絶縁状」を叩きつける。
著名な歌人が炭鉱王を捨てて、年下の愛人に走るというスキャンダルは、その直後に起きた原敬首相暗殺事件に勝るとも劣らない衝撃的なことだった。
当時の姦通罪というのは重い罪だったが、伝右衛門は絶縁状に対する反論を新聞に発表したものの、冷静に事態の収拾に当たった。
姦通罪(親告罪)で告訴することもしなかった。
両家の話し合いは穏便に進み、白蓮は華族から除籍されたものの、年下の雑誌記者と一緒になることができた。(白蓮は1967年逝去、夫は1971年逝去)
一方の伝右衛門は、その後は生涯後妻を迎えることなく、炭鉱始め多くの企業の経営に奔走した。 伝右衛門の寛大な措置は、地元での人気を更に高めることとなった。
現在は、「旧伊藤伝右衛門邸」のボランティアガイドが、伝右衛門びいきに、あるいは白蓮びいきに、邸内を案内してくれるという。
このようなドラマチックな出来事は、林真理子の「白蓮れんれん」などの著書にもなっている。
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