12年前の渡辺淳一さんのエッセイ

今からちょうど12年前の今頃発売になった、週刊現代1998年6月13日号より、渡辺淳一さんのエッセイ。

世間を騒がせたのは誰だ

芸能ネタのような話題にはあまり触れたくないのだが、少し下火になったので、中原誠さんと林葉直子さんのことについて、記すことにする。

といっても、主に中原さんのことについてだけど。

(中略)

ただわたしが少し気になったのは、最近出された、中原さんの進退についての処分の内容である。

それによると、中原さんは、今回のことで将棋界のイメージを傷つけ、世間を騒がせた責任をとり、指導対局や各種イベントへの出席を自粛するとのこと。

(中略)

しかしわたしはこの内容はいささか疑問というか、不満である。

その理由は、中原さんがなにか悪いことをした、罪人のようなイメージになっているからである。

大体、処分という言葉自体、悪事への見せしめ的な意味があるが、それほど中原さんは悪いことをしたのだろうか。

処分の是非よりも、まずそのことを考えてみたいのである。

今回、中原さんがお詫びをし、このような処分を受けるにいたった最大の理由は、世間を騒がせたという一点に尽きる。

しかしどう見ても、中原さんが世間を騒がせたとは思えないのである。

はっきりいって、この事件で世間を騒がせたのは、中原さんではなく、彼の秘密を暴いた週刊誌であり、それにのって、連日、大報道をくりひろげたテレビ局のほうだろう。

(中略)

これまでも、この種の事件がおきると、往々にして当事者が、「世間をお騒がせして申し訳なかった」といって、謝ることが多かった。

(中略)

しかし、謝罪し、反省したからといって、肝腎の当事者が特に罪を犯したわけではない。

あれほど騒がれた中原さんの場合でも、彼を慕ってきた若い女性と、深い関係になった、というだけのことである。

この場合、中原さんには妻子があるから、不倫ということにはなるが、現在、不倫をしたら罰せられる、などという法律はどこにもない。

好きな人を愛するのは現代人に与えられた自由であり、権利でもある。

むろん、それが不倫であったり、深刻な三角関係などであれば、いろいろな問題がおきてはくるが、それはあくまでプライベートな問題で、他人がとやかくいうべきことではない。

要するに、とくに法律に違反したわけでも、世間を騒がせたわけでもないのに、なぜ自ら悪いことをしたかのように、頭を下げなければならないのか。

(中略)

しかし、中原さんのように将棋という、勝ち負けの世界にいる人は、なにも芸能人の真似をすることはない。

いや、芸能人だって、スキャンダルが報じられてもビクともせず、謝らない人もいる。

実際、不倫騒動の場合、どうしても謝りたければ、当人の身内や、当の相手に対して謝るのが筋で、世間などに謝らなければならない理由はなにもない。

それどころか、むしろ他人のスキャンダルを楽しんで利益を得た分だけ、マスコミや世間が当事者に謝るべきだろう。

「そんなことをいっても、やはり謝ったほうが……」というのが、多くの人々の意見だが、人気や世間体など気にしなくてすむ人たちは、むしろ堂々としていたほうがいい。

それこそが、勝負の世界や自由業に生きている人の特権で、だからこそ、日夜一人で、激しい戦いをくり返しているのである。

幸か不幸か、中原さんは、世間にお詫びすることになったが、それで中原さんの偉大な才能が否定されたわけではない。

これからも、世間を騒がせたなどと思わず、世間が勝手に騒いだだけだと思って怯むことなく、よりよい将棋を見せて欲しいものである。

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当時、中原誠十六世名人と林葉直子さん、二人を知る複数の人は、この事件が起きても、誰も二人を悪く言うような人はいなかった。

大人の男女の問題なのだから、いろいろなことはあるだろうし、他人がとやかく言うべきことではないという思い。

私も同意見だった。