1998年将棋ペンクラブ大賞著作部門大賞は、山田修司さんの詰将棋作品集「夢の華」だった。
山田修司さんは「昭和の看寿」といわれる詰将棋作家。
詰将棋作品集が特別賞以外の将棋ペンクラブ大賞の候補作となることは非常に珍しいことだった。
「夢の華」には戦後の詰将棋の歴史が盛り込まれているとともに、解説自体が優れた読み物になっているという点が高く評価された。
山田さんの作風は、難解さや妙手よりも、音楽のような心地よい流れ、趣向に重きを置いた非常に斬新なものだ。
湯川博士さんは「山田修司の詰将棋は、盤上9×9を流れる音楽であり、淡彩画であり、叙情を紡ぎだす詩である」と書いている。
解かなくとも、正解手順を見るだけで楽しめる詰将棋ばかりだ。
1998年4月18日の日刊スポーツ北海道版に、『詰将棋作家山田さんの「夢の華」が大好評 芸術的100番』という記事が載った。
札幌のアマチュア詰将棋作家・山田修司さん(66=環境開発工業代表取締役)が初の作品集「夢の華」をこのほど出版した。
収められた作品100番のレベルは、現代における最高峰といっても過言ではない。芸術の域にまで達した詰将棋の世界をのぞいてみた。
(以下略)
そして、「夢の華」巻頭の作品「日の丸」(夢の華 第1番)の図面が載っている。
「日の丸」は1965年に東京で開催された全日本詰将棋連盟の第三回全国大会を祝って作られた名作。
初形が日の丸の形、しかも攻め方の駒が盤面に1枚もない。
これが詰んでしまう。
21手詰めなので、腕に覚えのある方は挑戦してみていただきたい。
(下に途中図あり)
途中、「日」の形が2回現れる。(途中図1,2)
6手目、日の丸の形に戻る。
また「日」の形になって、ここからは11手詰め。
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「夢の華」の最後の部分も秀逸。
「夢の華」より一部抜粋。
第99番【幻影】
「禁じられた遊び」と前後して作った作。
作った時期は早いがもう少し良くなるような気がして、長年オクラにしていた作である。森田氏の「詰棋メイト」創刊に際して何か投稿したかったが、詰将棋から離れていた時期だったから、ほかに自信を持てるような作がなく、思い出してこの作にした。
発表時は何事もなかったが、後日、中軸の部分に欠陥があることが判り、何度か改良を試みたが複雑な作だけに一筋縄にはいかなかった。何か一つ手を加えれば、思わぬところに別の問題が発生する。その検証に多大の時間と根気を要する。
今回、本書に加えたい一念で改造に再トライ、なんとか巻末に間に合わせたのであるが、この検討にはここ二年程メーカーとタイアップして取り組んでいたパソコンソフトの「脊尾詰」がやっと信頼できるものになってきて、大いに役に立った。
(中略)
とにかく改造の結果、原図は飛合の繰り返しに二歩を消費する型だったが、本図ではこのためやや単純化して一歩消費型になった。
今だから告白するがこの飛合による金鋸を思いついたとき、かすかにこれであの図巧第1番を捉えることができるかも、という思いが脳裏をよぎった。いや、夢を見た。
しかし、この作品は、多くの部分で山田さんの満足のいくものだったが、詰め上がりが気になった。
結局、合駒で出現する7八飛の後処理を含む収束形にえらく手こずって、今一つ詰上りに満足できる形が得られず、その夢は幻であることを思い知らされた。「幻影」とした意である。
(中略)
今思うに、もし身の程も省みずあの名作を意識するならば、完璧な収束もさることながら、やはり飛合の位置が変化していく趣向手順そのものの意味付けに、少なくとも誰も予期しない、例えば桂合回避のような壮大な含みを盛りこまなければならなかった。さもなければ万人を納得させることはできないのである。図巧第1番を捉えるには、趣向詰の域を越える何かが必要なのであろう。詰棋作家、永遠の「夢」であったか。
第100番【夢の華】(未完)
(実際の図面は後手の持ち駒欄がなくて、先手の持ち駒が空白)
夢の華―山田修司詰将棋作品集 価格:¥ 3,570(税込) 発売日:1998-02 |
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第100番「夢の華」の空白の図面が、夢の華というネーミングとともに、最終選考委員に絶賛された。
この年の将棋ペンクラブ大賞贈呈式には、多くの詰棋人がお祝いに来場していた。