コンピュータの歴史(前編)

将棋ペンクラブログ版「コンピュータの歴史」。

明日の「清水市代女流王将VSあから2010」戦をひかえ、たまには知的なことを書いてみようと思う。

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現在のコンピュータの基本的な原理を創ったのは、数学者であったフォン・ノイマン(1903-1957)だった。

フォン・ノイマンはハンガリーの生まれ。

元々は純粋数学(抽象的な数学)畑で実績をあげており、ゲームの理論、計算機数学、量子力学、経済学など、応用数学の分野で更に名を上げた。後には原子爆弾開発のためのマンハッタン計画にも参加しているが、現在のコンピュータのほとんど全ては「ノイマン型コンピュータ」と分類されている。

Wikipediaによると、フォン・ノイマンは、電話帳の適当に開いたページをさっと眺めて番号の総和を言って遊んでいたり、ENIAC(1946年にペンシルベニア大学で公開された、世界初といわれるコンピュータ)との計算勝負で勝ち、「俺の次に頭の良い奴ができた」と喜んだという。

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私は学生時代に数学史の本を読んだことがあり、良い意味で一般受けする数学の天才は、フォン・ノイマンと、インドのラマヌジャンだと思った。

もちろん、古代はピタゴラス、ユークリッド、アルキメデス、中世は微積分を創ったニュートン、ライプニッツ、近世ではアーベル、ガロア、フランスの集団ブルバキなど、それぞれすごいのだが、個人的にはそう思った。

ラマヌジャンは、定理の厳密な証明をしなかったにもかかわらず、感覚的に神がかりのように、正しい定理を予測した。

フォン・ノイマンは性格的に問題があったという話もあるが、応用数学分野での実社会への適用という意味では、非常に大きな影響をもたらしたことは間違いない。

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商用コンピュータ初期のスターは、レミントンランド(その後、UNIVAC→日本ユニバック→日本ユニシス)とIBMだった。

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日本初のコンピュータ導入は富士写真フィルム。レンズ設計用として導入された。

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日本のメーカーの対応は、富士通、日立がIBM互換。東芝、日本電気がハネウェル(GEから買収)互換という図式だった。

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中型機では、外資系のNCR、バロースなど。

この二社の営業マンは歩合給が大きかった。

この時代の営業を経験してきた人は、良い意味で個性的な人が多い。

以前も紹介したが、古き良き時代の物語の中で営業マンの姿をデフォルメした小説。

さそりたち (文春文庫 い 3-9) さそりたち (文春文庫 い 3-9)
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NCRの名称を少し変えた、WCRの営業チームとして描かれた。

これはお薦めしたいほど完璧に面白い。

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DEC、CDC、ワング、タンデム、ストラタスなど、パソコン以外で特色を持ったメーカーもあったが、他の企業に買収されたりいろいろで、姿を変えてしまった。

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明日はPC編。