広島の親分(2章-1)

少しの間、ブログを更新できる環境ではなくなるので、予定稿が続きます。

昨年、私とバトルロイヤル風間さんが将棋ペンクラブ大賞文芸部門優秀賞を受賞することとなった「広島の親分」。

(2004年に亡くなられてしまったが、広島に将棋が大好きな元・テキヤの大親分がいた。高木達夫さん。親分を引退した後の高木さんは、大型アマチュア大会の創設、将棋会館建設などの功績で、日本将棋連盟から七段を贈呈されている。「広島の親分」は、私と湯川博士さんが高木さんの住む広島へ訪ねていった時の話)

8月に、

将棋が大好きな広島の親分(1)

 

将棋が大好きな広島の親分(2)

 

将棋が大好きな広島の親分(3)

をブログに載せましたが、今日からはその続きを一挙公開。

長いです。

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広島抗争と仁義なき戦い 

ここで、広島抗争と高木達夫さん(広島の愛棋家、アマ七段)の位置付けについて書いておきたい。

イメージをつかみやすいように映画「仁義なき戦い」シリーズと対応させてみる。

高木さんからはこれらのことは直接聞いていないので、以下の記述は、複数の著書や資料などからの情報による。

映画「仁義なき戦い」は、飯干晃一著「仁義なき戦い」を原作としており、更にこの本は呉の美能組組長だった美能幸三が獄中で書き綴った手記がベースとなっている。

映画では美能幸三は広能昌三という役名、広能昌三を演じたのは菅原文太。

監督はそれまで東映で冷や飯を食っていた深作欣二。

脚本は東映で美空ひばりの時代劇や任侠映画を数多く手がけた笠原和夫。

第一作「仁義なき戦い」では呉での抗争を描いていたが、撮影中に急遽続編を制作することとなった。そうなると当時(昭和48年)関係者が何名も存命している広島抗争を書かなければならなくなる。

笠原は勘弁してほしいと言ったが、広島出身である当時の東映社長岡田茂の鶴の一声により、続編を決行することが決まった。

続編は「広島死闘編」「代理戦争」「頂上作戦」「完結編」。(以降、括弧内は映画で演じた俳優名または名称)

[第一次広島抗争…「広島死闘編」昭和20~29年] 

戦前の広島には渡辺長次郎という親分がいたが、原爆で亡くなった。終戦直後の広島で勢力を拡大したのは博徒系の岡組(村岡組)とテキヤの村上組(大友連合会)だった。岡組組長は岡敏夫(名和宏)、村上組組長は村上三次(加藤嘉)である。

高木さんは村上組。

当初は棲み分けがうまくできていたが、様々ないざこざの積み重ねにより、昭和 21年に最初の抗争が起きる。この抗争は昭和23年まで続くが、岡組の殺人マシン山上光治(北大路欣也)がいたのもこの頃。山上光治は村上組員5名を射殺して、最後は警察に取り囲まれ自決した。  

一方、村上組の暴れん坊は村上組長の次男、村上正明(千葉真一)。「仁義なき戦い」では最凶のキャラクターとして描かれている。 この抗争で、岡組長の岡敏夫や村上組長の村上三次、次男・村上正明などが逮捕され、抗争は沈静化した。 しかし、昭和27年、順次有力メンバーが牢獄から出獄して来ると、再び両組の本格的な抗争が開始される。 この間、昭和26年7月に村上組長は引退して、高木さんに二代目組長の跡目を譲った。この時、高木さんは 30歳。

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